これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

洒落にならない探し物(2)

2008年05月31日 17時24分14秒 | エッセイ
 夫がスーツケースの鍵をなくした、だから何だというのか。
 妻はそれより前に、もっとスペシャルなものをなくしてしまい、探し続けているのだ。
 それは、結婚指輪。
 娘を産む前までは確かにあった。しかし、かかりつけの産科では「妊婦は体がむくみやすく、指輪が外れなくなって一大事となるケースがある」という理由で、はめない決まりになっていた。
 私もそれを守り、なくさないようにと和紙に彩られた小箱にしまったはずなのだが……。
 出産後、箱を開けたら見当たらなかったというわけだ。
 ひょっとしたら、しまった場所を勘違いしていたのだろうか。不用になったジュエリーボックスを、中身ごと捨てたことを思い出す。もしや、あの中に紛れ込んでいたのでは……。
 幸いなことに、産後は手荒れがひどく、あかぎれやひび割ればかりで指輪がはめられない状態だったから、不審に思われなかったらしい。
 でも、数年経って手荒れが治ってしまうと、厳しい現実が待っていた。
「ママは何で指輪をしないの? パパはしてるのに。おばあちゃんが結婚指輪は毎日しないといけないって言ってたよ」
 娘が保育園に通っていたころ、そんなことを言われてドキッとした。指輪のことは、私の中では最高機密だが、目ざとい義母が勘付いてしまったようだ。
「ご飯を作るのに邪魔だから、しまってあるんだよ」
 ふーん、と娘は納得し引き下がった。しかし、いつかは夫にも打ち明けねばなるまい。
 どう言えばいいかを、頭の中でシミュレーションしてみる。
「実は指輪をなくしたの。でも、質量保存の法則では、化学反応の前後で質量の増減がないと証明されているのよ。私の指輪も、形が変わっているかもしれないけれど、この世界のどこかに存在しているはず。だから、本当の意味ではなくなっていないってことね」
 これでは言い訳どころか開き直りだ。体育会系の夫は納得するどころか、屁理屈だと怒り出すだろう。
 路線を180度変えて、こういう手もある。
「あのねぇ、指輪なくしちゃったんだ~。だから、もう1個買ってちょうだい!」
 精一杯カワイコぶって言っても、「自分で勝手になくしたくせに図々しい」と、これまた一喝されそうだ。
 よく似た指輪を買って、素知らぬ顔をしてはめるという方法を友人からは勧められたが、自分で買うのはシャクだ。第一、ご利益がない。
 結婚指輪のご利益とは、「少なくとも、一人くらいは相手にしてくれる人がいることの証明」だろうか。
 当時の私は、40代を目前にして先行き不安なお年頃だった。同年代の女性が、当たり前のようにプラチナの輝きを薬指から放っていると、取り残される感じがする。あちらは保証書つきだけど、こちらは保証書なし、といった気分だ。やっぱり、指輪が欲しい。
 そこで、17年ぶりに、夫に誕生日プレゼントをあげた。
「あ、パスケースだ。欲しかったんだよね~」
 夫が、パスモを剥き出しで使っていたので、絶対喜ぶと確信していた。ラルフ・ローレンの渋い一品を、娘と一緒に選んだのだ。
「みーちゃん、ありがとう」
 ……夫が、娘にだけお礼を言ったのには腹が立ったが、大事の前だったのでこらえた。
 やがて、私の誕生日が近づいてきた。
「ママ、誕生日プレゼントは何がいい?」
 よーし、来た来た!!! その言葉を待っていたのだ!
「そうね、指輪が欲しいの」
 心の高鳴りを抑えつつ、私は物静かに話す。
「いいよ。どこで買おうか」
 最初は、保証書としての指輪が欲しいと思っていただけだったのに、誕生日がくる頃にはすっかり欲の皮が突っ張ってしまった。
「ミキモトがいいな。プラチナでダイヤがついているやつ。もうネットを見て、決めてあるのよ」
 パソコンの画面を見てモノを確認すると、夫はもう一度「いいよ」と言った。
「よかった! 実は、結婚指輪が長いこと見当たらなかったから、もう1個欲しいと思っていたんだよね。どこかに紛れてるはずなんだけどさぁ~」
 さらりと言って、あとは笑顔でやり過ごす。夫はちょっと驚いたようだが、前言撤回するまでのことではないと判断したのだろう。その後はいつも通りだった。
 やった~、作戦勝ち!!
 平常心を装いながら、私は心の中で大きくガッツポーズを作った。
 結婚指輪は人の付加価値を高める。はめるだけで人間性がアップするような気がして、自信がつく。いい感じで40代のスタートが切れてうれしい。
 しかし、姉にこの話をしたら、冷静な言葉が返ってきた。
「その指輪の値段は、パスケースの何倍したのよ。まるで詐欺じゃない」
 たしかに、指輪はパスケースの10倍ほどの価格だった。詐取、巻き上げる、などの類語が脳裏を横切る。
 私だって良心は痛むが、贈った彼も満足しているのだから、まあよしとしよう。
 私の人生後半がどのようになるかは、神のみぞ知る。



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洒落にならない探し物(1)

2008年05月28日 21時02分12秒 | エッセイ
 夫はきれい好きで片付け魔なのだが、収納場所を忘れるという困った習性がある。
 翌日、私が仕事に持っていくものを、忘れないように玄関に準備したとしよう。彼の目には出しっぱなしと映るようで、いざ出かけるときには、きれいさっぱりなくなっている。どこへやったのかと聞けば、「おぼえていない」と答える始末。彼は片付けには向いていない。
 まだ娘が5歳だったころ、家族旅行でオーストラリアに行ったことがある。前日になって荷造りをしようとしたら、夫が必死で何かを探し始めた。
「スーツケースの鍵がない……」
 これには私も驚いた。子供が生まれて以来、しばらく海外には行っていなかったから、どこにしまったかなどおぼえているはずがない。スーツケースとセットにしておかないから、いざというとき困るのだ。
「やっぱりないな。隣から借りてくるよ」
 隣の家には、夫の弟が家族で住んでいる。義弟が快くスーツケースを貸してくれたので、どうにか出かけることができたが、夫は自己嫌悪に陥ったようだ。
 鍵のかからないスーツケースなんて、持っている価値がない。帰国してからも、夫は心当たりを探し続けたが、一向に見つかる気配がなかった。
 翌年、またオーストラリアに行きたくなった。
「新しいスーツケースを注文してきたよ。来週届くってさ」
 旅行までにはまだ余裕があったが、夫は早々に、古いスーツケースに見切りをつけた。あとは粗大ゴミに出すだけだ。
 そろそろ、冬が近づく季節だった。私は屋根裏の収納庫にひざ掛けがあったことを思い出し、クリーニングに出しておこうと考えた。透き通った収納ケースからひざ掛けを取り出すと、皮製の小銭入れが下から姿をあらわした。
 妙な胸騒ぎがした。開けてみろ、と言っているような気がする。
 ファスナーを開くと、外国の硬貨が出てきた。ペニヒだ。そういえば、夫婦二人で最後に旅行したのはドイツだったっけ。
 そして硬貨とともに、あれほど探しても見つからなかった鍵が出てきたのだ!
「何で、新しいのを買った途端に見つかるんだよ~」
 注文した2日後、まだ新品が届く前である。夫がクサるのも無理はないが、もともと世の中は不条理なものだ。新しいスーツケースを買ったからこそ、鍵が見つかったのだと思ったほうがいい。
 夫が旅行に使ったのは古い方だった。
 新しい方は屋根裏でビニールをかぶったまま、もう一度、鍵がなくなるときを待っている。



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招かれざる客

2008年05月25日 22時03分26秒 | エッセイ
 昨年、小学生の娘が理科の授業でメダカの卵をもらってきた。
「おや?」
 稚魚が成長した頃、水槽の珍客を発見した。タニシのような貝がガラス面にへばりついている。いつの間に入ってきたのだろう。
「これはモノアラガイっていうんだよ。残った餌を食べて、水槽を掃除してくれるんだって。理科の先生が言ってた」
 娘は貝の正体を知っていた。どうやら、水草に卵がついていたらしい。なかなか愛らしいのでメダカと一緒に飼っていたが、アクアショップの店員は厳しいことを言った。
「モノアラガイは水草を食べるし、ものすごく増えるんです。見つけたらすぐに潰したほうがいいですよ」
 ……しかし、生きて動いている貝を潰すなんて、そんな酷いことはできない……。
 結局放置してしまい、モノアラガイは続々と増えていった。
 モノアラガイに食い荒らされた水草を、新しいものに取り替えたあとのことだ。
「お母さん、水槽の中に蚊がとまっているよ」
 虫の嫌いな娘が、顔をしかめて報告に来た。たしかに、水槽上部の、水が届かない壁面に1匹の蚊がとまっている。でもフタが閉まっているし、餌をやるための穴から出てくる気配もない。気にも留めないでいると、翌日には3匹に、そして翌々日には30匹ほどに増えてしまった。
 水面には、細い足を見せた蚊がフワリ、フワリと、互いにぶつからないように飛び交っている。水面からわずか10cmほどしかないスペースには、4面のガラスにびっしり、黒い斑点のような蚊がへばりついていた。
 どうしてこんなことに? まさか……。
 水槽に顔を近づけて目をこらすと、黒い糸のような生物が上へ下へと漂うように泳いでいるではないか。
 ボウフラだ! まさか、これも水草に!?
 一体何十匹いるのだろう。ひと目で、おびただしい数のボウフラが確認できた。
 刺されたわけではないのに、体中が痒くなった。腕にも足にも鳥肌が立ち、夏だというのに寒気がした。
 絶対、全滅させてやる!
 蚊取り線香をガンガン焚くと、成虫はあっけなく死んだ。が、水中のボウフラ退治が難儀だった。水を取替えるときは多くても半分までという原則を無視し、全部取り替えるしかない。足のないヤスデのような姿のボウフラが、赤茶色の体をくねらせて抵抗する様は、まるで悪夢を見ているようだ。メダカとモノアラガイだけを取り出して、あとはきれいさっぱり捨ててやった。
 気づかなかったとはいえ、こんなものを飼っていたとは!
 すっかり懲りた私は、新しい水草を買ったとき、これでもか、これでもか、というほどしつこく水洗いした。
 それから半月ほど経ち、娘がまた何か持ち帰ってきた。
「お母さん、今度は先生がヤゴくれたよ。ボウフラも食べるけど、糸ミミズがいいって」
 そういえば、ボウフラの天敵はヤゴだった……。 
 今頃、遅いんだっつーの!!!



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マッチョなピーマン

2008年05月24日 22時14分15秒 | エッセイ
 その日の夕飯はチンジャオロースーに決めた。夫と娘の大好物だが、我が家の夕食は魚が中心なので、ここ何年も作っていなかった。
「やったー! 久しぶりだね。楽しみだあ!!」
 小学生の娘は、小躍りして喜んでいる。とはいっても、クックDoのチンジャオロースーの素に頼ったお手軽中華でしかないのだが、あれは結構イケるのだ。
 仕事の帰りに、スーパーで食材を買った。茹で筍、牛肉、チンジャオロースーの素、ピーマン……。ピーマンを買うのは久しぶりだ。多分、チンジャオロースーを作るときにしか買わないだろう。
 野菜売り場に行くと、何やら違和感を覚えた。袋入りのピーマンが、やけに細くて弱々しく見えたのだ。手に取ってみると、まるで病気の子供のようにフニャフニャしていて頼りない。
 ピーマンって、こんなだったっけ? なんか不味そう。他のないかなあ。
 辺りを見回すと、すぐ近くに静物画から抜け出したような、姿形の整ったピーマンが並んでいた。4個入りで、ラップの上からも艶やかな緑色が光っている。触れると肉厚でがっしりとしており、渡辺裕之のような筋肉質の逞しい男性を連想させた。
 あら、いいじゃない。
 私は迷わずそれを選び、会計を済ませた。
 働く主婦の夕食作りは戦場だ。炒めて和えるだけの料理でも、食材を切る手間はバカにならない。特に、ピーマンの種を取り出して細切りにする作業は時間がかかる。一心不乱に調理していたら、指先が熱くなってきた。しびれるような、ピリピリするような感覚がある。
 目尻にも、燃えているように熱を帯びた場所があり、不思議に思った。ピーマンを切っているとき、目尻がかゆくなって触れた箇所ではないか。どうしてこんなにジンジンするのだろう?
 チンジャオロースーが完成して、さらに謎が深まった。
「なにこれ、すごく辛~い!!」
 アツアツのチンジャオロースーは、いまだかつて味わったことのない激辛だったのだ! 一家団欒のはずの台所が一転して灼熱地獄と化し、夫と娘の悲鳴が轟いた。
 作った私は一向にわけがわからなかったが、じきに犯人に思い当たった。
 あのマッチョピーマンだ!
 ゴミ箱から外袋を拾い出すと、そこには『かぐらなんばん ピリ辛野菜』という文字が書かれていた。
 なんと……。
 私がピーマンだと思い込んで買ったものは、唐辛子の仲間だったらしい。ルックスばかりに気をとられ、袋の字を全然見ていなかったことが悔やまれる。
 これからは、ケイン・コスギや佐藤弘道のようなピーマンであっても、きちんと商品名を確かめなくてはいけない。



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第二ボタン

2008年05月22日 21時20分46秒 | エッセイ
 卒業式の記念に、好きな男の子から制服の第二ボタンをもらう習慣は、いまだに健在のようだ。抜け目のない女子は意中の男子にボタンを予約し、予約が殺到する男子は第三、第四ボタンだけでなく、すべてのボタンをもぎ取られることになり、満足そうな顔をする。
私も中学生のときは、第二ボタンをもらいたい相手がいた。高瀬というサッカー部の男子で、目がパッチリとしていてかっこいいからもてるのだが、決してデレデレしない硬派なところが好きだった。
 彼女がいないみたいだし、せめて第三、第四ボタンでもいいから欲しいなあ。
そう思ったものの、平凡な私とイケメンの高瀬とでは、どう考えても無理がある。
今、髪がボサボサだから、余計いけないんだよね……。
 ちょっとはマシになろうと思い、卒業式の前に美容院でカットすることにした。
「ちょうど新しい美容院ができたんだよ。近いから行ってごらん」
 当時、わが家の周りには美容院がなく、髪を切るときにはわざわざ自転車で出かけるくらいだったから、歩いてすぐの場所に可愛らしい美容院ができたことはありがたかった。
 小さな白い店舗には木製の洒落たドアがついていて、お菓子の家を連想させた。
が、ワクワクしてドアを開けると、期待は見事に裏切られた。お菓子の家どころか、中学生の目にも平均以下の設備しかない店だとわかったからだ。狭い店内に椅子はたった2つしかなく、パーマ用のお釜は1つだけだ。入ったことを後悔させるに十分な光景だった。
「あ、いらっしゃいませえ~」
 小太りの主婦にしか見えない中年の美容師は、暇を持て余していたようで、私を見つけるとすばやく近づいてきた。だめだ、もう逃げられない。もしかして、客がいない分丁寧に切ってくれるかもしれない……と私は覚悟を決めた。
「2センチくらい切ってください」
 横の長さは耳が隠れるくらい、後ろは襟に届くくらいのショートヘアだった。丸顔なので、短くまとめたほうがさっぱりして見える。髪型は変えずに、全体的に2センチ短くなるスタイルを期待していた。
 ところが、美容師の手つきが妙にゆっくりで怪しい。不慣れで迷うような切り方だった。カットが終わるまで、私はハラハラしながら鏡の中の自分を見守った。
「乾かしますから、熱かったら言って下さい」
 彼女が手にしているものは、見たこともない、掃除機の蛇腹がついたドライヤーだった。
 頭を掃除されているような奇妙な感覚で過ごした10分後、原型とは似ても似つかない、とてつもなく奇妙な髪形が姿を現した。ありえない、と叫びたくなるほど前髪がひどかった。中央は短く眉毛が見えているのに、端に行くにつれ急激に長くなっている。まるで、半円をくり抜いた黒い紙を貼り付けたようだった。
 本当に美容師免許、持ってるの?
 私は取り返しのつかない現実に、ただ呆然とするだけだった。 
 髪型のよしあしは前髪で決まるという。ひどく落ち込んだ私は、高瀬に第二ボタンをもらうどころではなかった。なるべく下を向いて、このみっともない姿が級友の記憶に上書き保存されぬよう卒業式を終えた。
 それから半年後、高瀬の通う高校の文化祭に行ったら、ブクブクと太って別人のようになってしまった彼がいた。
 とたんに、第二ボタンをもらえなかったことは、どうでもよくなった。



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お客様相談室

2008年05月18日 20時19分47秒 | エッセイ
 その日、私はいつものように、職場でお弁当を食べていた。
 おかずは温めるだけでOKのミートボール。今ではもう食べなくなったが、娘が保育園に通っていたときは、手抜き弁当が普通だった。
 ミートボールなのに、トマトではなくカレーソースを使っているところが珍しく、子供が好きそうな味だと思って咀嚼していたときだ。突然、ガキッという不吉な音とともに、異物の歯ごたえを感じた。ビックリして口から出してみると、ミカンの種くらいの、いびつな形をした金属片が現れた。
『万一、品質に不都合がございましたら、弊社あてに商品をお送りください』
 多分、ミートボールのパックには、こんな言葉が書かれていたはずだ。
 そういえば、子供のときも菓子から輪ゴムが出てきたことがあった。抜け目のない母が、菓子の外箱と輪ゴムをメーカーに送ると、お詫びの手紙に高級そうな菓子折りが添えられて返ってきた。
「やっぱり、言ってみるもんだねえ」
 まるで宝くじに当たったかのように、ほくそ笑む母を思い出す。たまたま輪ゴムだったからよかったものの、もし指やゴキブリだったら立ち直れそうもない。
 面倒だけど、私もこれを送ろうかな。
 そんなことを考えながらお弁当の残りを食べていると、何やら奥歯が痛む。虫歯かしらと不安になり、舌で歯をなぞってみると大きな穴が開いていた。
 さっきの異物は、虫歯の治療で詰めていた銀だったのだ!
 気づかずにクレームをつけたら、赤っ恥をかくところだった。危ない、危ない。
 それから間もなくゴム手袋を買った。3双パックと書いてあるのに、家で袋を開けたら右手用は3つあるけれども、左手用が2つしか入っていない。
 今度こそ、お客様相談室の出番だ!
 袋に印刷された電話番号を確認すると、「06-××……」と書いてある。
 うそっ、大阪!?
 さすがは大阪商人、フリーダイヤルではない。東京からの通話料はいくらかかることやら。状況を説明して、住所などを伝えるだけで、ゴム手袋より高くつきそうではないか。
どうせ、先に破れるのは右手用なんだよね……。
消耗の激しい右手用さえ3つ揃っていれば、長持ちする左手用は2つでも帳尻はあうだろう、と考えて無理やり妥協した。
 こんな気弱な対応では、「クレーマー」と呼ばれ、企業から恐れられる存在には到底なれそうもない。



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心神耗弱につき(2)

2008年05月17日 17時52分50秒 | エッセイ
 どうにかして、歯ぎしりとイビキを封印しなくてはならない。
 歯ぎしりに関しては、「マウスピースをつけて寝るとしなくなる」と教わったことがある。ちょうど歯周病の治療中だったので、かかりつけの医師に相談してみた。
「歯ぎしりは歯周病を悪化させますから、今すぐマウスピースを作りましょう。笹木さんの犬歯は、土台の骨が溶けてしまって、半分くらいなくなっていますからね」
 ……ぞっとした。単にやかましいだけでなく、歯がなくなるところだったのか!
 総入れ歯になれば歯ぎしりの心配もないだろうが、それはあと30年経ってからでよい。
 その場で上の歯の型を取り、数日後にはマウスピースが出来上がった。これをはめて寝ると、何の苦もなく歯ぎしりをやめられる。自分の歯に合っているから、違和感もなく熟睡できる。
 しかし……。マウスピースの分だけ口元が膨らんで、まるで原人のようだ。静かになったとはいえ、やはり誰にも見られたくない。
 そして、イビキはうつぶせ寝枕を購入して撃退することにした。あの日野原さんの枕である。耳鼻科で治療を受けるとよいとも聞くが、知人は芳しい成果がないとこぼしていた。病院に行く時間もないから、まずは枕を試すことが先決だ。
 私は体が硬いので、うつぶせで寝るのは苦痛だった。寝入りばなはよいのだが、目が覚めると必ず仰向けになっている。きっと、レム睡眠のときに楽な姿勢をとってしまうのだろう。果たして、どのくらい効果があるのだろうか。
「ねえ、昨夜はママ、静かだった?」
「そうだね、この頃よく眠れるから静かだと思うよ」
 娘が起きないのであれば、イビキもおさまっているのだろう。
 だが……。うつ伏せで寝た翌朝は、顔がむくんでいる。目は腫れぼったくなり、頬も膨らんで顔が大きくなってしまい、ブス度120%である。マウスピースを入れたままだと、さらに原人状態が加わり、思わず鏡を叩き割りたくなる。出勤までには大体元通りになるけれども、ときには戻らないこともあり、仕事を休みたい衝動に駆られる。
 寝ているときにイビキをかいていても、周りの人にはわからない。しかし、むくんで不細工な顔は、ひと目でそれとわかってしまい、隠しようがない。
 醜い顔で出かけるくらいなら、イビキをかくほうがマシかもしれない……。
 これも一種の心神耗弱……、などという言い訳は、厳しい娘に通用するだろうか。



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心神耗弱につき(1)

2008年05月12日 19時32分48秒 | エッセイ
 寝ている姿は、誰にも見られたくない。
 中3の修学旅行では、2日目の朝、同じ部屋の友達にからかわれた。
「あたしたち、2時まで起きてしゃべってたんだ。そしたら、暗闇からギジッギシッて気味の悪い音が聞こえてきたから、思い切って電気をつけてみたら……」
 私が下あごを左右に動かし、歯ぎしりをしていたのだという。
居合わせた誰もが笑った。私だけは苦笑いだった……。
10代の頃は、歯ぎしりがひどかったらしい。私自身はまったく知らないけれども、一緒に寝ていた妹からは毎日のように苦情が寄せられた。
「大体はキュッキュッて音が聞こえてくるんだよ。ギリギリってときもあるし、昨日はカチカチだった。毎日毎日うるさいんだよ。もう、いい加減にして!」
 本人だってやめたいのだが、寝ているときの行動には責任がとれない。かくして、二段ベッドの上で寝ている妹は、毎晩、下から聞こえる歯ぎしりの音に悩まされた。
 しかし、妹は泣き寝入りするタマではない。
「始まってすぐに『うるさいっ』て怒鳴れば、ほとんどの場合は収まるね。それでも聞こえるときはこれで……」
 出てきたものは長い竹尺だった。彼女はこれをベッドに忍ばせ、歯ぎしりをやめない私をビシビシ叩き、やめさせていたのだった……。
 20代になると、歯ぎしりをしなくなったようだ。
 大学生のとき、サークル合宿で伊豆に行った。酔っぱらった私は眠くなり、みんなが起きている隣でさっさと寝てしまったのだが……。
「『ねるとん』を見ていたのに、砂希ちゃんのイビキがすごくて聞こえなかったんだよ」
 翌朝、友人に指摘されても信じられなかった。
「イビキ?! 言われたことないよ。歯ぎしりはしてなかった?」
「してなかったよ」
 飲んだから、たまたまだろうと高をくくっていた。
 結婚してからも夫にイビキを指摘されたことはないが、彼は遠慮していただけなのかもしれない。
 30代前半のころから、朝起きると喉がヒリヒリすることが続いた。風邪かと思っていたのに、遠慮をしない娘から衝撃の事実を知らされた。
「ママは夜中にイビキかいてうるさいよ! ガーガー言ってるから喉が痛いんだよ」
 なんと!!!!!
 確かに毎晩飲んではいるけれども、そんなにやかましいとは知らなかった。夫と違って、娘は騒々しい私に容赦しない。
「ママのイビキで目が覚めちゃったから、やめさせようとして起こしたのに、全然起きないんだよ。しょうがないから蹴ったら静かになった」
 悪びれもせず、さらりと言ってのける。道理で、体にアザができているわけだ。
 娘の安眠のためにも何とかしなくてはと焦ったものの、仕事が忙しいことを言い訳にして結局何もしなかった。
そして、迎えた30代後半……。
「ママ、昨日はイビキの合間に歯ぎしりしてたよ! ギリギリ、ガー、ギリギリ、ガーって今までで一番うるさかった!」
 あああ……。ついにここまで来たか! こうなりゃ、もうヤケだ。
「すごいね! そんなこと出来る人、ママくらいしかいないよ! 友達に自慢できるよ」
「そんなこと、恥ずかしくて言えるわけないでしょ!」
 ムキになって反論する娘を放置して、私は真剣に「どうにかせねば」と考え出したが、浮かんでくるのは歌のフレーズばかりだった。
 ♪試練は続く~よ~、ど~こまで~も~♪




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呪われた勝負服

2008年05月10日 12時37分14秒 | エッセイ
 30代後半から服装に気を遣うようになった。くすんできた肌を少しでも明るく見せたくて、ピンクや黄色などのカラフルな服を着たくなる。間違っても、灰色や黄土色などといった汚らしい色を身につけてはいけない。
「今日は完璧」と自信が持てる服装だと、周りの人も親切になり、ドアを押さえてくれたり、落としたものを拾ってくれたりするものだ。
 が、「今日は手抜きで」といい加減な服装をしていると、エレベーターは待っていてくれないし、店員の対応もそっけない。やはり、開運の鍵は明るい色にあるのだろう。
 昨年、スペイン料理のディナーに誘われた。情熱の国を思い浮かべ、赤のワンピースを着ていきたくなった。外相時代の川口順子氏が「赤は私の勝負服」と発言したことは有名だが、確かに赤は華やかなうえに自己主張を倍増させるような力強さがある。その日、一緒に出かける相手が若くて美人の同僚二人だったこともあり、いつも以上に気合いが入った。
 赤のワンピースは十年以上前にドイツで買ってきたものだが、胸元が大きく開いていて、貧弱体型の私に着こなせる代物ではなかった。試着もせずに買ったので、胸のサイズが全然足りないことに気づかず、いざ袖を通してみたら下着丸見えで、いたたまれない思いをした、いわくつきの代物だ。結局何年も放置したあと、胸側だと思い込んでいたカットの大きな面を、背中側にすれば着られることに気づき、三回ほど袖を通したことがある。
 去年より太ったかもしれないけれど、まだ着られるわよね……。
 ディナーの前日、私は鏡の前でファッションショーをした。当日になって、あてにしていた服が着られなかったら目も当てられない。幸い、体型に大きな変化はなく、それなりに見栄えがした。
 大丈夫。これなら彼女たちと並んでも、恥ずかしくないでしょ。
 完璧、とまではいかないが、80点くらいは取れた印象だった。
 あと3点、と欲を出したのがいけなかった。畳んでしまっていたので、ワンピースにはシワがついていた。これさえなければ、さらに印象がよくなるはずだ。夜中だったにもかかわらず、私はアイロンを出してシワを伸ばし始めた。
 眠かったから、最初は目の錯覚かと思った。アイロンをかけた部分が少し黒ずんで見える。
 スチームで色が濃く見えるだけでしょ、と私は軽く受け流した。
 なおも手を動かしていると、どんどん赤黒い部分が増えてくる。どうやらスチームのせいではないようだ。
 大変、焦げちゃったんだ!
 アイロンが触れた部分と、そうでない部分との色が明らかに違っている。取り扱いのタグが邪魔で捨ててしまったことを、つくづく後悔した。
 なんて薄幸なワンピース……。何年間もタンスに押し込められたまま忘れられ、ようやく日の目を見たかと思えば、それもつかの間、アイロン操作のミスで焦がされゴミ箱行きである。
 はるばるドイツから連れてきたというのに、気の毒なことをした。
 何を着てもパッとしなくなったら、それは年のせいではなく、ワンピースの祟りである。



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青い房総半島

2008年05月09日 22時53分25秒 | エッセイ
 10年前、住み慣れた浦和から、義母が住む練馬へ引っ越すことになった。
「おはようございます。本日はよろしくお願いいたします」
 時間通りにやってきた引越し業者のリーダーは二十歳そこそこの若者で、ジャニーズ事務所から派遣されたかのような容姿をしていた。滝沢秀明ことタッキーをゴツくしたような顔、185cmを超す長身、やや茶色がかったサラサラの髪、そして白い歯を覗かせる爽やかな笑顔に目が吸い寄せられる。
 こんなイケメンが引っ越しを?
 芸能人になれそうなのに、チャンスに恵まれなかったのだろうか。もっとも、そのおかげで七面倒くさい引っ越し作業を、まれに見る美青年にしてもらえるのだから、こちらはツイている。
 私は心の中で、小さくガッツポーズをした。
 このタッキー君、顔がイイばかりでなく、子供好きなところがさらにイイ。当時1歳だった娘に、話しかけたり抱っこしたり、仕事の合間にもたくさん相手をしてくれるではないか。娘も赤ちゃんのくせに、相手がカッコいいとわかっているようで、妙になついて嬉しそうに甘えている。
 きっと、いい父親になるよ、と私は確信した。
 ところが、作業場所が台所に移ったとき、彼の別の面が見えてきた。
「奥さん、細々とした調理用具は紙で梱包して、この箱の中に入れておきますね」
 タッキー君はそう言うと、厚手の白い紙を取り出し、包丁を真剣に包み始めた。続いてマジックをポケットから取り出す。どうやら、外側に何を包んだかを書こうとしているらしい。
 だが、マジックは包装紙の上で動かない。ちょっと考えてから、彼は黒い文字を書いた。
『ほうちょう』
 それを見た瞬間、私は金縛りにあったような衝撃を受けた。ひらがなだったこともショックだが、文句のつけようのないルックスからは想像できない、稚拙で汚い字であることにビックリした。字の中心はことごとくズレて、てんでにバラバラの方向を向いている。どの字もしょんぼりとしており、自信がなさそうだ。きっと小学1年生のほうが、堂々とした、立派なひらがなを書くだろう。
 凍りついている私に気づかないまま、彼は他のものを梱包しマジックを走らせる。
『サラダアブラ』
 この男、もしや平仮名とカタカナしか知らないのでは……?
 美女のわき毛や美男の鼻毛といった、見てはならないものを見てしまったような気がした。
 私がどれほど衝撃を受けていようが、作業は順調に進行していく。
 練馬に到着したとき、家具の梱包を解いていたタッキー君が、血相を変えて私に近づいてきた。
「お、奥さん……、このタンス、カ、カビが生えてますよ!!!」
 彼は、まるでネズミの死骸を見つけてしまったかのように取り乱していた。そうそう、通気性の悪い場所で加湿器を四六時中つけていたら、タンスに青カビが発生し、房総半島のような形に広がったのだっけ。アルコールで拭いたのに、汚らしい色が取れなかったのだ。
 でも、細かいことを気にしない私は、消毒したから大丈夫だ~と平気で使っていた。
 今度は、タッキー君が唖然とする番だった。一見、人畜無害に見える若奥さんが、身の毛のよだつ不潔なタンスを使っているのだから。
 私は苦笑いを浮かべながら、一刻も早くこの場から逃げ出したいと思った。
 これでおあいこ。いい勝負だった。



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吾輩は猫又である

2008年05月06日 10時59分17秒 | エッセイ
『ハローキティ』には妙な魔力がある。
 ティーンエイジャーの頃、私は『ハローキティ』に取り憑かれていた。何が発端かわからないが、つぶらな瞳と小さな鼻がバランスよく配置された顔や、赤いリボンと6本のヒゲが、ほんの僅かでも視界に入ったとしよう。とたんに私の意識はすべてキティに集中してしまい、欲しくて仕方なくなる。
 当然、キティグッズをたくさん買った。ハンカチ、ティッシュ、ホチキス、ペンケース、下敷き、鉛筆、ぬいぐるみetc……。小遣いで買えるものには限界があったので、バッグなどの高額なものは誕生日プレゼントにしてもらった。
 それなのに、社会人になったと同時にキティからの呪縛が解けた。多分、スーツに似合わないキャラだから、正気に戻ったのだろう。
 私ったら、なぜこんな子供っぽいものを必死に集めていたのかしら。
 魔法が解けてしまうと、私はコレクションを処分し始めた。汚れたものや使い道のないものは容赦なく捨て、使えそうなものは引き出しの隅や物置に押し込めた。そして、すっかり忘れてしまったのだから、今から考えると相当ひどかったかもしれない。
 生き延びたキティたちは、突然の手の平を返したような仕打ちに驚きながらも、再び表舞台に返り咲くチャンスを伺っていたようだ。
 やがて、私は結婚し、娘が生まれた。
 ―あの子を洗脳するのよ―
 ―あたしたちの可愛さをわからせなくちゃ―
 ハイハイをするようになると、娘は自力で動いて片っ端から引き出しを開け、中を覗くようになる。しかし、そこは、出番を今か今かと心待ちにしていたキティたちの巣窟だった。
 ―さあ、あたしたちを見てごらん!―
 結果は言うまでもないだろう。娘は文房具や日用品をキティで揃えたがり、旅行をすれば必ずご当地キティを欲しがる。出費もばかにならないので、他に代用できるものがないかと考えていたら、タンスの奥や物置に眠っているグッズを思い出した。
 まずはハンカチを引っ張り出す。
「わあ、すごい。いっぱいあるね」
 華やかなフラワーキティではないけれども、たくさん見つかったので娘は上機嫌だった。鉛筆やハサミは小学生にちょうどいい。ミニチュア黒板やクリップなど、キティの生き残りを次々と掘り返した。
 ―この日が来るのを15年も待ったのよ―
 古びたキティたちが、そうささやいた気がした。



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妖怪、あらわる

2008年05月04日 20時43分57秒 | エッセイ
 私の視力は左が0.3、右が0.06だ。近視もあるが乱視が強く、横の線がぶれて見える横乱視だという。
 これで人を見ると、誰もが6個も8個も目のある妖怪となってしまう。頭や体の輪郭も三重、四重にぼやけて見え、まるで亡霊のよう。この世でまともな人間は私一人ではないかと思い、ちょっと怖い。
 そこでメガネをかける。魑魅魍魎の百鬼夜行が、たちまち生身の人間に変わる。これこそ「真実の窓」だ。なんと素晴らしいことか。もし関東地方に大地震が起きても、これだけは壊されたくない。メガネの有難味は、目の悪い人にしかわからないだろう。
 まだ高校生だったとき、映画『天と地と』が公開された。映画館でアルバイトをしていた友達が無料券をくれたので、喜んで観に行った。ところが、いざ劇場につきバッグを開けると、メガネが入っていなかったという失敗をしたことがある。
 10メートル以上離れたスクリーンでは、目が8個ではなく、一人残らずのっぺらぼうとなる。これでは、どれが榎木孝明なのかわからない。せいぜい、男か女かの区別がつく程度だ。
 戦の場面でも、馬に乗っているとか鎧兜をつけているなどということはわかるが、敵味方の判別はつかない。ときの声を上げ、旗を翻して何万騎もの人馬がドドドドッと殺到する、迫力満点の見せ場が台無しだ。誰かが斬られたり射られたりしても、完璧に他人事でしかない。ちんぷんかんぷんのうちに、スタッフロールが流れ出した。
 夏場のメガネはちとツライ。私はただでさえ暑さに弱いので、レンズで風をふさがれると、体感温度が2度ほど上昇するような気がする。目の周りに浮かぶ汗が忌々しく、思い切ってコンタクトレンズを作ってみた。
 コンタクトのよい点は、涼しく、鮮明に見えることだ。耳の裏も痛くならず、下を向いてもずれない。
 しかし、いらぬところまで見えすぎるという致命的な欠陥があった。
 コンタクトを入れて初めて鏡を覗き込んだとき、そこに映っている顔が信じられなくて、私は何度もまばたきを繰り返した。
 目の下のクマとたるみはなに? 目尻にはシワができているじゃないの……頬の黒ずみはシミかしら……。
 コンタクトは情け容赦なく自分を映す「現実の窓」だ。裸眼では見えず、メガネをかければ隠れてしまう部分を非常にもあぶり出し、「これがアンタよ」と客観的事実を突きつける。何とぶしつけで押しつけがましいヤツなのだろう。
 コンタクトレンズをつけると、妖怪は鏡の中に現れる。
 いつの間に、こんな顔になってしまったのやら。
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食べ物の恨み

2008年05月01日 20時55分42秒 | エッセイ
 我が家は共働きなのだが、夫はよほど家事をしたくないらしい。休日になると、実に都合よく体調が悪くなる。
「頭が痛い」
「腰が痛い」
「気持ち悪い」
「お腹が痛い」
 様子を見ていると、どうも仮病ではなさそうだ。不登校の子供のように、掃除や洗濯をしたくないから、本当に体の具合が悪くなるのだろう。
 あの日も、腰痛を訴えて家でゴロゴロしていた。仕方なく、私が一人で掃除・洗濯・布団干し・娘の世話をする羽目になった。
 それなのに、夫は手伝うどころか寝坊して足を引っ張る。夫が起きてくるまで掃除も布団干しもできないから、彼がモタモタしていると困るのだ。9時ころ起きてこられると家事を終えるのが11時。娘を公園でたっぷり遊ばせたあと、昼食の買い出しから戻ったら午後1時を回っていた。
「あれ?」
 家を出るときにはなかったものが、玄関先に置いてあった。まだ水滴のついた寿司桶だ。私が孤軍奮闘しているにもかかわらず、ちょっと家を空けたすきに、夫は義母と寿司の出前を取って食べたのだ。隠すわけでもなく、堂々と置いてあるから余計に腹が立つ。
 お寿司! 私も食べたかったのに!
 我が家は二世帯住宅だ。連れ合いに先立たれた義母が1階で、私たち3人家族が2階で暮らしている。長男である夫は完璧なマザコンで、休日ともなれば妻や娘とではなく、母親と一緒に昼ごはんを食べることが多い。
「お昼はスパゲティにするけど、食べる?」
 出かける前に一応夫に聞いたとき、道理でいらないと答えたわけだ。
 元凶は夫に決まっている。
 義母は一見共犯に見えるが、ゴミ出しから娘のお守り、宅配便の受け取りなどを二つ返事で引き受けてくれる、とてもやさしい人だ。今までに義母が誰かの悪口を言ったことはないし、失敗した相手を責めることもしない。
 だから、私は夫だけが悪いのだと思っていたのだが……。
 それからひと月くらい経ったころだろうか。夏も終わり、南国の海のような青い空が広がった、気持ちのよい秋晴れの日だった。
 ちょっと風が強いけれども、たまの休みに布団を干さない手はない。掛け布団は布団挟みでしっかり留めたが、敷布団は大丈夫だと思い何もしなかった。
 夫は仕事に出かけていた。いつものように娘と公園から戻り、布団を裏返そうとしてベランダに出ると、どこかに違和感を感じた。
 ……あれ、どうして手すりに隙間があるんだろう……?
 狭いベランダは、布団で埋め尽くされていたはず。となると……。
 飛ばされたんだ!
 あわてて手すりから身を乗り出し、庭を見下ろした。あった、あった、折り紙を雑にたたんだような格好をして、夫の敷布団が無言でこちらを睨みつけていた。
 しかも、落ちた場所が悪かった。夫の敷布団は義母の物干し台を直撃し、バラバラ事件になっていた。竿は義母の服を巻きつけたまま、1メートルも吹っ飛び、草の上で意識を失っていた。石の足をつけた物干し台も、竿と並んでペチャンコにつぶされていた。
 申し訳ないとは感じたが、吹き出さずにはいられない。笑って笑って笑って、お腹がねじれてしまうのではないかと思った。どうして写真を撮っておかなかったのだろう。なにしろ、現場を見た義母までが爆笑したくらいなのだから。
 まるで、寿司の仇をとったようだった。
 
 
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