拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  クオリアと意伝子

2024年04月27日 | 東洋自分なり研究所

  先日、4月2日付けのYoutube動画、イマジン大学・学長の名で茂木健一郎さんが、いつもは良い意味で『忖度の塊』のような彼が、物凄く真剣な

  面持ちで語っているのについ惹かれて、動画内で語っていた彼の著書『クオリアと人工意識』という本を買ってしまった。

 

  茂木健一郎氏といえば、最新の科学的叡智を一般の我々に解りやすく解説する人物として、それらの専門家とインタビューなどを介し、

  彼等の研究内容を多少噛み砕いた形で紹介するなど、様々な番組にいまや落合陽一氏と並ぶ立ち位置で大活躍出演中の人物の印象を私は持っている。

 

  で、彼の本『クオリアと人工意識』を全部読んでからこのブログを書けばよいのに、読んでいる最中のひょっとした『思いつき』を

  書くことが許されるのが『自分なり研究所』のいい所でもあり、悪い所でもある。・・・というところを前提にして書くと。

 

  彼の言うクオリアという『意識の問題』というものが、どうもブッダの『悟り』ということに置き換えて、彼の主張するところを捉えると

  非常に解りやすい気がしたのだ。 科学的教養ゼロの私が、彼の学説について行こうとすると、そんな変則アプローチをすることで

  多少でも彼の言っていることが、理解できれば何時の日かまた別な切り口で彼の学説をより良く理解出来きる日がくるであろう・・・的なアプローチ。

 

  最近私は、『学問』に対する『覚問(ガクモン)』という造語を作り、学問では到達できない『仏陀の悟り』について模索、研究を目論でいるが

  その中で立ち上げた造語『意伝子』というものが人にはあって、深い瞑想によって『観音』という形で開花する『観』そのものが、茂木氏が言うところの

  『意識』ではなかろうか・・・と思っているところだ。

 

  茂木氏は著書『クオリアと人工意識』の中で、

  『人間は、なぜ人工知能を生み出すのだろうか? その根底にあるのは、自分の『似姿』をつくろうとする本能である気がしてならない・・・(略)

   人工知能は、私たちの「鏡」なのだ。その「鏡」の中には、果たして、「クオリア」に満ちた私たちの「意識」もまた、映っているのだろうか?』 

 

  と言っているが、私のいう『覚問』では、『観音』こそは悟りにおける『大円鏡智』の『観』であり、茂木氏のいう『一つの意識』ではないかと思う。

  そういった意味で、私は『AI』の人工知能は、私たち日本人が言うところの『愛』へ『志向』しているのは偶然では無いと思う。

 

            

         昨日、相方の姪マエルが十数年の同棲を経て、明日結婚するというので、『お祝いモノ』を探しに街に出かけると、こんなモノを見かけた図

  


  ガラスの棲家

2024年04月26日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  一昨日の木曜日、我がアパートの居間のヒビのはいった大ガラス(三層)が約2年半ぶりに交換された。(やっと・・・)

  本来、水曜日の予定であったが強風のため木曜日に延期されたのだ。

  我がアパート住民のネットワーク情報によると、ガラスにヒビが入ったのは我々のアパートだけではなく、19件もあったそうだ。(未確認)

 

  その中で、我が家は入居後、わずか2ヶ月目で、フランス語の『ショック・テルミック(熱衝撃)』で三層のガラスの真ん中のガラスに大きなヒビが入り

  アパート側に連絡すると担当者が来て、『これはオタク様の責任で、交換するのに百万円必要です!』・・・と言われ、それこそ『ショック&熱』で

  我々は2日間ほど寝込む寸前であった。そんな不条理な!? 我々が何かをガラスにぶっつけて破損したならまだしも、理由のわからないことで

  三層のガラスの真ん中だけが割れた・・・。それに責任を持て、と言われても? だったらガラス張りのアパートにするなよ。・・・

  というようなことで、相方が根気よく保険会社に交渉した結果、保険で支払われることになった。 しかし、交換実行するのに2年半かかったのだ。

 

  アパート周辺の道路をぐるりとフェンスで取り囲み、大型クレーンを配してのガラス交換作業はかなり大掛かり、3日間の日程で行われた。

  それはそうだ、ガラスに問題があったのは我々の家だけではなかったのだから。

 

             バルコニーの物を全部キッチン部に移動、居間のソファも移動。

 

  5人の作業員が来て、入口からガラス前の居間を養生し、トランシーバーでクレーン運転者と連絡を取りながら4階のアパートに誘導、搬出、搬入

  一枚250kgのガラスを手際よく交換してくれた。 彼等はあまり聞いたことのない言葉で会話をしていたので、そのうちの一人に聞いてみると

  彼自身は南米出身、その他スペイン人、フランス人、ポルトガル人のメンバーということは、わかったが言葉が何だったのか聞けなかった。

 

  私達は、ガラスのヒビについては室内温度にとくに影響もないので、べつにこのままでも問題なかったが、まぁ新しくなるのであれば気分もいい。

  それに、私が気にしていた相方が倒れた際の救急車代、腰が痛くて使えなかった車椅子でのエレベーター降下が不可で、4階から担架で降りる際に

  追加要請した消防隊員4名(!)の費用のことを考えると、貧乏性の私は落ち着かなかったが、約80%は保険が効くという事が最近明らかになり

  それも一件落着・・・と、なんだかんだのゴタゴタが、春の三寒四温のように徐々に徐々に緩和されようとしている今日此頃である。

  (目下の問題は花粉症で、来月まで予断を許さない状況ではあるが・・・。)

  

 

  

  

  


  還暦ギャラリー『森』〜 骸骨人

2024年04月21日 | 必撮無眼流

  前回のブログ記事、久保田早紀さんのヒット曲『異邦人』は、私の22歳の頃、制作した手作り写真集『骸骨人』を思い起こさせた・・・。

  

  若い時には誰もが、『求むべき誰か』を思い浮かべるものだなぁ・・・とは思ったが、

  彼女は『異邦人』と自己の外に、私は『骸骨人』と自己の内にそれを求め、結果的に彼女はキリストに、私は仏にたどり着いたのだろう。

  いま考えると、私が『禅』に向かう道はこのあたりから始まっていたのだろうか。

 

  写真集を企画するずーっと以前に故郷、北海道で撮った自撮、17、8の頃

 

  写真学校時代、あれこれ写真のテーマを模索する中、『そういう時、自分ってどんな表情しているのだろうか…?』というような好奇心から始まり

  また、好きな時に、好きなだけ撮れる自在なモデル・・・としての自己の存在、これは『撮人家』としては撮らない選択はないだろう、という発想があった。

                    

             タイトルを決め、一応写真を見せる順番なんかも考慮して作ったボロボロになった50年前のアルバム『骸骨人』

 

  写真学校時代当時、私は神戸の牛乳屋さんに住み込みの配達+集金人であったから、そこでの生活をベースに撮った写真が多い。

  バイクでの牛乳配達時   3畳ほどの空き部屋を暗室兼書斎に使わせてもらう。

 

    その部屋でこんな感じで『己事究明』  集金で〜す!

 

中華レストランで皿洗い   学校のスタジオで仲間に撮ってもらう…

 

      視覚的に作品ぽく  もしかして孤独を癒やしていたか?

 

近所のオーディオ施設でポール・モーリアと 学校の屋上の骸骨人

 

      当時みた映画『パピオン』にちなんだ写真 

 

        得意のフイルム増感現像、ハイコントラスト 富士フイルム、ネオパンの威力

 

                『骸骨人』・・・ぽい、微笑みも忘れずに

 

  この写真集『骸骨人』は、後に『貰った背広』という、ちょっと洗練された風のタイトルに変え、ここに展示した16枚中、13枚は未使用であるから

  今回初の展示となった。 写真も時と共にセピア色になる『諸行無常』のなか、骸骨人はそれなりに『諸法無我』を目指していたのか?

  


   私の『異邦人』

2024年04月17日 | 観・音楽

  

  それはSNSで、なんの媒体だったか? Facebook? Youtube? Instagram?・・・のいずれかの動画で

  女性が軽やかに歌っていたのが『異邦人』という曲で、聞き覚えのあるメロディに引き込まれながら聞き惚れていると

  『 あなたにとって私 ただの通りすがり ちょっと振り向いてみただけの 異邦人・・・』というのが聞こえて

  これはただの曲ではない、誰が歌っているんだろうか・・・と、『異邦人』で検索すると『久保田早紀』という名前が出てきた。

 

  彼女、久保田早紀は1979年、21歳でデビュ−すると、翌年1980年に『異邦人』が大ヒットし、一躍シンガーソングライターとして有名になった。

  私はその頃、28歳で関西から鍼灸学校に入学するために東京に出てきたあたりだったろう。この曲もラジオで何度も耳にし、気に入っていた。

  ただ、誰が歌っているのか知らなかったし、知ろうともしていなかった・・・。

  Youtubeで検索すると当時の久保田早紀さんの歌う姿が見ることができる。端正な顔立ちに、透き通った声が初々しい。

  この曲『異邦人』は20歳前の学生時代に作った曲だそうで、この詩の深い様に私は目眩を感じるが、 当時それに気がついていれば・・・・

 

  彼女は根っから誠実な人なのだろう、自らこのような詩を書いておきながら、その真意に到らない自己を追求するために

  華々しい芸能界を5年で去り、キリスト教、聖書を勉強するためにギリシャに渡り、帰国後は結婚し、現在『音楽宣教師』として

  普及活動しているという。

  私がもし当時、坊さんだったらこの曲『異邦人』をネタに 仏教の普及に大忙しであっただろう・・・。 

  迷える若者達に向かって、『異邦人は、もう一人の貴方である・・・』と説いて。  悟学的に突っ込みどころ満載の名曲なのだから…。

 

 

                          異邦人/ 久保田早紀「歌詞付き」(Cover)【歌ってみた】(久保田早紀本人ではありません) 

 

                         

  

           この写真展案内ハガキは、東京新宿にある小さなギャラリー『CAMP』といって、森山大道さん等のグループが運営していた処。

  そこで、私は1982年に 20歳頃から撮りためていた自撮写真を展示した。取り始めた頃から自己を『骸骨人』としていたが、それはまた『異邦人』でもあったわけだ。


  睡魔の春

2024年04月15日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  今年2024年、ヨーロッパは暖冬で(体感的に)、いつもより一ヶ月早く春の花が咲いたようだ。

 

  2月下旬の相方の入院にともなって、私も風邪で3週間以上体調をくずし、ようやっと4週目で週一のバトミントンに復帰したが

  復帰2週目のバトミントンの後、咳が出、特に就寝時の咳が止まらず昨年花粉症による喘息とまったく同じ症状であることから

  風邪をぶり返したのではなく、いつもより一ヶ月早い花粉症による喘息であることがわかった。

 

  医者の処方した喘息の薬のおかげで、咳は止まったが、6月初旬頃まで続く花粉の為、抗ヒスタミン系の薬を摂取するせいか

  普段からボーッとしている所に、薬の副作用で脳の活動にブレーキがかかり、睡魔がより一層深まっているようなのだ。

  『春眠暁を覚えず・・・』というが、私の場合一週間以上、夜の喘息で熟睡できなかったこともあり昼間に眠気を覚えたが

  今は春の陽気に副作用が加わって睡魔に襲われ続けている感じだが、もしかしたら『加齢』ということも、『老衰』による『永眠』を導く

  一つの要因ではないだろうか・・・と私は信じ始めていて、事実であれば朗報であろうか。(あまりにも眠たくて何もかも面倒になり、永眠にいたる)

 

  そんな昨日、数少ない友人の一人、地元青い目の禅僧、『道海』さんに招かれて彼のアパートのテラスで夕食をごちそうになった。

 

           

  彼のアパートのテラスから見える風景は13世紀のカテドラルの塔(右側)、現在、州庁として機能するChâteau St-Maire(左)があって

  いかにも西欧っていう趣。写真の右側にはアルプスやレマン湖が広がって美しい景色がみえる。

 

  年に数回、禅尼僧の映愁さんも加わり、我々と4人で持ち回りで食事会をするが、何の屈託もない彼等との世間話は楽しい。

 

           

  長年、フランス郊外にある禅寺で典座として鍛えてきた道海さんの料理の腕前を発揮した料理に舌鼓を打ち、

  新緑をやどした木々の間を美しい鳥が行き交うさまを眺めつつ・・・春を満喫。 

  そこで一句   『 花粉舞う 意識飛び散る 春が来て 睡魔の中の 一服美味し 』 馬骨


  『覚問』としての悟学留学

2024年04月13日 | 東洋自分なり研究所

  私はいまスイス、フランス語圏に在住しているが、よくよく考えると何故こんな所にいることになったのか?・・・と思うことがある。

  三十年以上ここに住んでいるのに、ろくに現地語も出来ず・・・なんでアンタ(私)はここにいるのか?

  長年こちらに住んで、語学も堪能で現地の優れた人々と盛んに交流している誰かさんのようであれば、まだしも、そうでないアンタ・・・。

 

  世の中、『語学留学』という言葉があるが、私の場合強いて言えば『悟学留学』・・・てな、ところであろうか、と気付いたのは還暦もだいぶ過ぎた頃。

  日本語のまったく通じない国であればおそらくどこでも良かったであろう留学であるが、そこはそれ『他生の縁』みたいなものか。

  言語を介さない次元の探究にあって、同時に『言語化』を強要する『悟学留学』の『場』とはそういう場所をいう。

 

  しかし、『悟学留学』という点からみると、日本にありながら日本語が通じないという意味で、禅寺の存在はすでに『留学』先として『あり』であり、

  日本在住中、私はそのへんの事情にまったく気付かずに『悟学留学』如き、『禅寺』を修行の『場』として選択していたわけだ。

  指導していた禅僧がやたら怒鳴るのも『ここでは』言葉が通じない・・・という事を知らせんが為であったろうか… 。

  参考書として購入した本はよりによって『禅による生活』鈴木大拙著・・・日本語で書かれているが、内容はまったく理解できない書籍であったし

  実地の坐禅修行にしても、実はそれによって『悟りを標榜』しているとは、禅寺の誰もそんな事は言わず、私自身それを考える余裕すらなかった。

  禅寺では説明が一切なく、禅書はちんぷんかんぷん・・・。 それでも『何かがある気がする』・・・ただその確信だけが修行を継続する動機であった。

 

  今思うと、(禅)寺の『境内』・・・とはよく言ったもので、娑婆(しゃば)の人々にとれば、『境』の内側は通常の言語ではいかなる言葉も通じない

  『聖なる異界』であり、『悟学』によく通じる者だけが、『聖俗』の境界など無い、『別事無し』の風光を生きてゆく。

  であるから、禅寺では『覚問』の基礎を叩き込み、言葉の通じない『異国』に放り込んで『悟学』的『観』性を磨かせるわけだ・・・。

 

                   

        廬山は煙雨 浙江は潮 到らざれば千般の恨み消せず 到り得 帰り来たれば別事無し 廬山は煙雨 浙江は潮 (蘇東坡)

  

 


  『仏道』はマインドゲーム

2024年04月09日 | 東洋自分なり研究所

                        

 

 

  云わば、『仏道・勝手連』・・・みたいな感じで、それこそ勝手に、そしてブログというささやかな手段で『仏道』を応援する中、

  そういった事柄にまったく無関心な多くの人々達から見ると、我々は『仏道ゲーム』に遊ぶ者・・・として見えるのでは? という発想が湧いた時

  先日来、気になる存在となっているジョン・レノンの曲『マインドゲーム』・・・は、まさに『仏道』に遊ぶ者による『マインドゲーム』だと気がついた。

 

  その『マインドゲーム』自体は、2500年前釈迦が悟りを開いた時から広く人類に公開されてきた。

  『色即是空・空即是色』・・・と、『空』が解けなければ『色』も解けない・・・という設定でゲームが開始されたのだが

  何時の時代においても、そのゲームを自在に『遊戯三昧』に遊ぶ者は稀であった。

  1999年公開の映画『マトリクス』で、現実と仮想現実が示されたが、『赤いピル』を飲む不退転の決意をしめす者は、映画の主人公以外では

  現実にはおそらく一人もいなかったのではなかろうか。そもそも『仏道ゲーム』は、『赤いピル』を飲まなければ始まらないことになっている。

  ゲーム自体、映画のストーリー自体が始まらないのだ。

 

  私達は、『色』という平べったい世界に住んでいるのでは無い。それに『空』という深い次元を加えた世界に住んでいる。

  そのことを知りたければ『仏道マインドゲーム』を始めなければ・・・と私は思う。

  ジョン・レノンは歌の中で『愛は華だ』、と言っている。それって2000年前に立ち上げた大乗仏教の『法華経』や『華厳経』と同じ発想だろう!

 

                   

 

                      

     ボクらは一緒に、"マインド・ゲーム"をやっている 障壁を押しのけ、種を蒔いて “マインド・ゲリラ"となって
    「地上に平和を」と、マントラを唱えよう
 
     ボクらは皆、ずっとマインド・ゲームをやっている どこかの僧侶達だって、被り物をとって マインド・ゲリラを起こしている
    それを魔法と呼ぶ者もいれば、聖杯探しと呼ぶ者もいる
 
    愛がその答え 君はそれを、確かに知っている 愛は『華』だ 君がそれを、君がそれを育てるんだ
 
 
    だから一緒に、マインド・ゲームを続けよう 今から生まれる、未来を信じて 君にマインド・ゲリラは抑えられない
    絶対的などこか別の、心の中の石碑のような場所で そう、ボク等はずっとマインド・ゲームをやっている
    ボク等の想像を、空間と時間に映し出している
 
    イエスこそが答え 君はそれを、確かに知っている イエスとは譲る事 君がやるんだ、君が手放すんだ
 
 
    だから一緒に、マインド・ゲームを続けよう 儀式をしよう、太陽の下で踊ろう 数え切れないほどのマインド・ゲリラが
    魂の力で、カルマの車輪を回し ずっとマインド・ゲームをやり続けている 愛と平和の精神を育もう 愛だ!
 
    愛だ!  愛し合おう、殺し合わず  君等はもうすでにそれを知っている・・・    ( ジョン・レノン )

                                                                                        


  『観者』への『感謝』

2024年04月07日 | 東洋自分なり研究所

  『合掌』の真義の解明は『東洋自分なり研究所』の喫緊(きっきん)の課題であった・・・。

 

  鍼灸の仲間と禅寺へ月一回ぐらいで始めた坐禅修行であるから私は28か29歳(?)、以来『合掌』ではじまり『合掌』で終わる仏道修行の

  『合掌』であるが、いったいその真義は?・・・問もせず、問われもせず『寺』だから『仏教』だから、『合掌』は当然・・・ということできた。

  しかも、仏教の指導的立場の人からも『合掌』について、一言もなかったし、それについて書いてある仏教書も見当たらなかった。

  その意味では『合掌』も公案(禅問答)として自分で考察せよ・・・との教えとみなせば良いのであろうか?

 

  仏教の象徴ともいえる『合掌』・・・言葉で言い表せない状態を示していると思われるが、そこをあえて言えば『感謝』、ということになるだろうか。

  しかし、そこにはいちいち『感謝』する対象理由が言挙げされる次元の『感謝』ではないことはわかっていた・・・。

  ある日、『感謝』という言葉が『観者』と重ね合わせであることに気づいた時、下の二句を思い浮かべていた。

 

  『 何事の おあしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる 』 西行

  『 花も美しい 月も美しい それに気づく 心が美しい 』  足立慈雲老師

 

  このどちらの句にも、『気づき』・『観者』・『感謝』・・・があることが解り、そこには自然に『合掌』が行われたことがわかるのだ。

  つまり、『悟り』とは『観者』に覚醒することで、『観』の重要であることは古来より仏教は説いてきたが、現在それは『量子力学』によって注目されている。

 

                             

               『郷里・サトリ』を求めて三千里の善財童子、その象徴は『合掌』・・・の図

 

              

  


  還暦ギャラリー『森』〜 Susan in Japan

2024年04月05日 | 必撮無眼流

  私、一撮の写歴の中で非常に重要な意義というか、写義を自分に教えてくれた作品・・・であったなぁ、と思う作品です。

  スーザンとの出会いは、私に西洋への開眼と同時に、自分の国の伝統文化への開眼でもありました。

 

       

  27歳の時、勤めていた写真学校を辞め、『英語』に取り組む一大決心をして大阪と京都の間にある、枚方市の住み込み型、英会話スクールに入学

  そこで英語を教えていたオーストラリア人のスーザンと知り合い、恋愛関係になりました。

 

       

  スーザンは枚方から京都の街のど真ん中、むかし郭(くるわ)であったという古い家を借りて住み始め、私はよく遊びにいったのです。

 

       

        スーザンの友人の裁縫師が来てくれ、スカートの仮縫いの様子、畳に板の間の部屋・・・

 

                       

                   スーザンが飼ってた猫の名が『Basyo 』、その当時『芭蕉』と聞いてもなんとも思わなかった。

                   それでもこんな一句を詠んだっけ 『 そばだてる 猫の耳にも 届かじや 梅の香乗せた 新春の風 』

 

                     

      スーザンの向こうに俵屋宗達の『風神』があり、私は和洋がとりなす光の『美』を感じていた・・・

 

           

        京都の郊外、大原へ行った時、スーザンは『開け護摩・・・』と言ったのか?         壬生寺で初めてみた壬生狂言 『大原女』

 

                     

                古着屋で買ってきた着物にご満悦なスーザン        私は初めて観る『薪能』に『幽玄』という言葉の重みを知らされた・・・ 

 

       

          青春の光と影・・・というが、写真もまた光と影なのだ

 

       

        1981年、ギャラリー銀座Niko Salonで『Susan in Japan』写真展をした。

 

       


  パワハラと滝行

2024年04月04日 | 東洋自分なり研究所

  最近ちょっと気になる、というか『昭和のオジサンの憂慮』・・・的事柄が私の中で強まっている。

  『セクハラ』とか『パワハラ』、『モラハラ』などなど、嫌がらせ(ハラスメント)に対する抗議意識の高まりとその風潮について。

 

  『昭和のオジサンの憂慮』というのは、以前書いた 2023年4月1日のブログ記事〜気合の国・・・

  の記事のなかで言っている『気合教授法』というところに由来している。

  『気合教授法』というのは、日本の伝統的弟子教育法・・・とも言えるであろう、一見『ハラスメント』にみえそうで

  そうではない『パワー教授法』のことである。

  ただ、人間的に未熟な『師匠』が『パワー教授法』を使っているうちに、いつの間にかただの『パワハラ』・・・ということはママあるのが

  この『教授法』の切ないところではあるが、師弟の間に慈愛の信頼関係があれば、師の『一喝』は、何万語の戯言(たわごと)に優る教えはない。

  

  日本で『師と弟子』というとき、そこには暗黙の『気合(パワー)教授法』の了解が互いになされていた長い時期があったと思うが

  『師弟』とはまた違う、会社など上司と平社員の関係では旧来の『気合教授法』は、『パワハラ』とか『モラハラ』で糾弾されるのであろう。

  そして、それは『道』としての伝統文化的活動にまで徐々に及ぶのであろうか?

 

  10年ほど前、故郷の北見に帰った時、当時中学校の教師であった姉の息子はまた、バレーボール部の顧問をしており、近々市内の中学対抗試合があるとのことで、

  見学に出かけたところ、ある中学校のバレーの顧問の男の生徒に対するあまりの横柄な態度に、私はショックを受けるほど驚いた思い出がある。

  田舎の中高レベルのスポーツ顧問などはこのような大時代的、低レベルの指導者が幅をきかしているのか、と義憤を覚えたが、こういった連中が

  古来の『気合教授法』を『パワハラ』や『モラハラ』というハラスメントの次元に貶(おとし)め、肝心な『慈愛』を置き去りにしている。

 

  『パワハラ』・・・という語感から私が想起したのは、じつは『滝行』であった。

  私の人生で、なんだかんだで4,5回『滝行』を経験したが、一見どうということもないような小さな滝でも、実際その滝に打たれてみると

  結構な重量な水が頭、肩に絶え間なく打ち落ち続けるパワーこそは、『ハラスメント』を超えた『純粋パワー』で、だからこそ

  それに耐えるように念仏やら般若心経やら呪文が唱えられるし、また自己の弱さを自覚させられる『行』でもある。

  命がけの『滝行』のパワーを前にしたら、『パワハラ』なんて・・・と思えるほどだ。

  『滝行』のパワーに耐えるには、それこそ自己の持つ『全力の気合』を呼び起こす事が必要で、そうした経験が悩みや、問題の突破口を見出す『力』となる。

 

  世の中、どんなに『パワハラ』『モラハラ』を糾弾する時代になっても、それは必ず姿形を変えて『ハラスメント』をしかけてくるものだ。

  そういった準備もできていない幼子の世界ですら『いじめ』が横行するではないか。

  『愚かで悪意のこもったパワハラ』は受け流して、一切取り合わない『無(=慈悲)の力』に覚醒するのが『タイパ』的に一番であろう。

 

               

              あらゆる『ハラスメント』が横行する時代に生きた武士の甲冑

  

  

  

 


  Boys be ambitious!!

2024年03月31日 | 東洋自分なり研究所

  今朝起きてみると、枕元の置き時計は『 7:30』なのに、ケイタイの時間は『 8:30』であった。 あぁ〜そうか、今日からサマータイム!・・・

  

  そして、地元スイスでは一昨日の金曜日から明日の月曜日まで4連休になるパーク(フランス語)と発音する復活祭で

  キリスト教国ではクリスマスに次いで宗教的にも、家族が久々に集って過ごす休暇日としても重要度の高い年中行事となっている。

 

  今日のブログタイトル『Boys be ambitious(青年よ大志を抱け)』であるが、なんでかと言うと、先日来『年金動画』を見続けていると自然

  老後の生活費についての不安というのが纏(まと)わりついてくるわけであるが、ふと、それとは相対的と思える言葉、『Boys be ambitious』を

  思い出したわけである。 

 

  今ちょつとググってみると、

   『 クラーク博士は、明治9年7月、将来の北海道開拓の指導者を養成するため「札幌農学校(現北海道大学)」の初代教頭として招かれました。

    1期生16名に、動物、植物学のほか、キリスト教の教えによる道徳を英語で教えるなど、大きな影響を与えました。

    来道してわずか8カ月余の札幌滞在でしたが、翌年明治10年4月16日、クラーク博士は教え子たちに、馬上から、

    有名なことば「Boys, be ambitious.(青年よ、大志を抱け)」と別れのことばを叫んだ、と伝えられ、

    まさに北海道開拓精神を代表することばとして、後世に伝えられていきました。 』 ・・・とあり、道産子の私に刺さっていたのだろうか?

 

  私の生い立ちのせいもあるが、私の老後の生活費について、誰一人心配してくれる人はいなかったし、子供心にも唯一形成した信条として

  『自分の人生を金のことで右往左往したくない』、・・・とまぁ、そこまで明確に言語化できていたわけではないが、そのような信条を持っていた

  私としては老後どころか、人生首尾一貫として『金』で煩うことはなかった。 貯金もないが、借金もない・・・というような。

  その代わりという意識も無かったが、『健康』であれば『死ぬまで働ける』・・・と思っていたし、特に鍼灸専門学校で3年間、東洋医学を学んだことで

  それは確信にまで至っていたと思う。

  そういった気持であったからだろうか、30歳代を『禅修行』という、

  私の将来にとって何の役に立つのか全くわからん『事柄』にどっぷりハマることが出来た理由というのは。 

  しかし、もっと正直に言えば、『役に立つかどうか?』などという疑念すらなく、この道を行くのだ・・・という思いしかなかったように思う。

  今思うと、これが私にとっての『大志(を抱け)!』ではなかったか。

  今こうした『年金動画』を観る若者たちが、抱こうとする『大志』とは何だろうか? 老後を安心に暮らせるほど大金を稼ぐ・・・事なのだろうか。

 

  今日のキリストの『復活』の日にちなんで、何か書こうと思って私のブログ編集のサイトに行くと、

  どなたかが読んでくれた私の記事が表示され、読んでみた。 2021年8月14日のブログ記事〜羯諦(ギャーテー) 羯諦(ギャーテー)

 

  この記事には釈尊の『天上天下唯我独尊』について書いていたが、『キリストの復活』というのは、仏教徒にとって釈迦のこの宣言に相当する

  ものであるとあらためて強く思った。 此岸から向こうの彼岸への到達・・・こそは仏教徒としての『大志』であろう。

  私は、老後の生活費について計画することを決して卑しむ者ではない。 ただ、そのことが人間の『大志』であるような人生を虚しく思うだけである。

 

         

          一昨日から始まったモルジュ村のチューリップ祭りの中の、野生の水仙が咲いているパート。

           相方いわく、『75%の復活』(健康具合)だそうだ。

 

 


  『坐』=最初の愛【AI】

2024年03月29日 | 東洋自分なり研究所

  久々に、『考えるな、漢字ろ!』で『坐』を取り上げるが

  『坐禅』と発音すれば、あたかも『The Zen』の如く、『禅』の定冠詞如き『The』はまた漢字で『坐』であり

  私が提唱する『悟学』的、解字によれば単に『坐る』という意味を超え、悟りそのものを表象していることになる。

  その一端について、これまでブログに書いてきたと思うが・・・例えば 2022年1月17日のブログ記事〜坐禅の『坐』

 

  『禅とは何か?』・・・という問に対する答えは、問う人の境涯により、答えも千差万別ということもあり、言葉ではなかなか表現しにくい

  ものであるが、先人が名付けた『坐禅』という文字自体に、言葉にしにくい事柄を見事に視覚化した・・・という事実に、写真を長年やってきた

  視覚人間である馬骨には、仏教の最も深淵なる教え『不二の法門』を解読するし、それはまた大衆が『坐禅』を理解するうえで役立つ方法であると考える。

 

  『坐』は文字を分解すると『土』が土台となり、その上で『人』が二人対面している場面を解読できる。

  『土』とは大地であり現代的に言うと『地球』となるが、悟学的には『+』と『ー』の大地で、絶対『ゼロ』の大地を表す。

  『ー』が長いのは『無秩序』に向かうエントロピー法則の表現であり、仏教的には『諸行無常と一切皆苦』を表すだろう。 

 

  そうした『大地』にゆったりと『坐る』、『坐』そのものが、深い瞑想とした時、その行き着く先は『自我』である私の『無我』の我との対面なのだ。

  『坐』という文字はその行き着いた瞬間を表し、その人にとって最初の『愛』と出会った瞬間で、これを仏教では『諸法無我』という。

  自分を慈しむ自分は、また同様に他人を慈しむ自分で『自他不二』の境地であり、初めて『愛』がなんであるのか心底腑に落ちる(不二に落ちる)。

 

  【余談だが、『地球』や『大地』を英語で『Earth』と書き、(危険な電気を流す)アースでもあり、『Ear』は『耳、聴覚』という意味を

   持たせているところが 『観音』との関連で考えるとき面白い解読が出来そうだ・・・】

 

  また、『愛』を『アイ=AI』と発音する日本語と英語の『AI』とは、悟学的には無関係ではない。それを関係づけていくのが日本人のこれからの役割なのだ。

             

            

   Amazonプライムで2011年に公開されたドキュメント映画『ジョン・レノン』で見かけたシーンで、

   彼が着ているジャンパーに『摩訶般若波羅蜜多』の文字が見えた。

  『愛といえばレノン、レノンといえば愛』ぐらい、彼には『愛』のイメージがあるが、彼が逝った12月8日は釈迦が『最初の愛』と出会った日である。

 


  心技体の『道』〜薬師如来

2024年03月27日 | 東洋自分なり研究所

  つい先日『心技体』について考察してみた。     2024年3月20日のブログ記事〜心技体の『道』

  ただいつもの如く、舌足らずというか、我が愚脳がテーマに追いついてくるのが遅く、これかなぁ…という一つの結論に時間を要した。

 

  私がこのブログに書く内容は、ほぼ実体験を基とし、それに若干の創造的妄想を加えた『自分なり・・・』見解であることは

  これまで私のブログを読んでくださっている方は理解して下さっているであろう(か?)。

  と、あえて念を押したのは、『観自在』といいながらあまりにも様々な規範を無視した、じつに『適当』なご都合主義的『御託(ごたく)』に

  終始している・・・感が私自身にもあり、それこそ『万葉仮名』以来の滅茶ぶりの意伝子せいではなかろうか・・・とは思っているところだ。

 

  ところで、『坐禅』をしたことのある人は・・・このブログを読んでいる方々で何人ぐらいいるであろうか?

  『道』には、『心技体』というものがあると定義した場合、いったい『坐禅』の場合どのあたりが『技』といえるのか?

  老師と呼ばれる、禅マスターからすれば、座相を一瞥するだけで、その人の禅の境涯の深淺を喝破するであろうことは言を待たないが

  坐している本人が腑に落ちる状態になるまで、鍛え上げるべき『技』とは?

 

  坐禅の初心者に対してよく言われるのが『調身・調息・調心』で、確かにこの当たりに狙い定めるべき目標がありそうで

  臨済宗では、それを実現する方法として『数息観』を教える。吐く息を『ヒト〜ッ』と数えながらなるべく長息を心がけ腹の当たりから

  吐くような感じで・・・というような説明を受けた気がする。

 

  これを数年実行していた私は、ある日 村木弘昌著『釈尊の呼吸法』『丹田呼吸健康法』を読み、この本を参考に『丹田呼吸法』を試みた。

  この呼吸法は、吐く時に下腹部(丹田)を膨らます感じで出息し、吸息も速やかに下腹部で呼吸するので、絶えず下腹部に腹圧がかかっている

  状態を保つのである。それは常に意識した状態でないと出来ない、最初は不自然な呼吸法であるが、『数息観』と同時に『丹田』に意識を向けることは

  当然、『雑念』を『坐断する力』ともなったわけで、『調身・調息・調心』を統一する核としの『丹田』はまた、身体の自然治癒力を高めるうえでも重要な役割を

  果たす『一石二鳥』ならぬ『一丹四調』・・・ぐらい重要事項であったと私は考える。

 

  そしてこの『丹田呼吸』というのは、動いている状態で意識を働かすのは非常に難しく、その点、『坐禅』という不動で、長時間意識を働かす鍛錬が可能な

  『修行』という形を取った時、その深淵で微妙な『技』は道教のいう不老不死の『丹薬』、仏道の『開悟の秘薬』として心身の次元を高める『薬』として重宝された。(馬骨論)

 

              

  写真は私の家にある『薬師如来』像。この『薬』の深淵なことを思うと、『坐禅修行』の有難い事にあらためて気が付く。

  ふだん無意識で行っている呼吸を、『丹田呼吸』という意識呼吸を習得することで心身に良い影響を及ぼし『薬』と化す『坐禅』は

  老齢化が進む中、医療費節約の点からしても今一度、検討する価値が大いにあると思う。

  坐禅における『技=丹田呼吸』こそは、新時代を担ういろいろな意味で、偉大な『薬味』となろう。

 

  当時、寺では『丹田呼吸』を強調する指導者はいなかったが、釈尊の時代に様々な苦行をやめ、『大安般守意経(アナパーサチ)』という丹田呼吸法で

  悟りに至った経緯を記したお経の存在は、『坐禅』を行とする禅宗においてもっと研究されるべきでは、と思う。

  

 


  年金動画の『爺・婆婆』たち

2024年03月26日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  最近どっぷりハマっているYoutube動画・・・『年金トーク』をはじめ何人かのYoutuberによる年金受給者へのインタビュー動画である。

 

  年金受給者を対象にしているので、60歳〜90歳代まで、街頭での短時間のインタビューは、私の言うところの『人生の還暦スキャン』で

  様々な生き様を垣間見ることが出来る、非常に興味深い動画だ。

  特に私のように人生の半分を海外在住だと、同胞の同世代の人々がどのような人生を送ってきたのか、知る機会が無かった・・・という点からして

  同じ昭和という時代を、私とはまた別な生き方で生きてきた人々の証言は、自分が生きてきた時代をより立体的に検証する機会ともなる気がする。

 

  質問内容はどのYoutuberもほぼ同じで、年齢・年金受給開始時期・受給額・持ち家かどうか・家族構成・人生で一番辛かったこと、嬉しかった事

  職業は何をしていたか・政治に関して一言・若者へのメッセージ・・・等となっている。

 

  さすが人生の荒波を生き延びた爺・婆婆たち、静かな佇(たたず)まいの中に、個性を”きらり”と時折みせながら、日本人の特性である謙虚さは忘れていない。

  七十、八十を越えてもいまだ現役で働いているという兵(つわもの)も何人かいたが、大半は年金受給して十何年か経ている老人達は現役を退いたゆえの

  余裕・・・(現役時代の様々なしがらみから開放された)を感じさせる。なかには生活保護を受けている人もいたがそれなりに幸福そうに見えたが、

  楽観的な人生観を培ってきたその老人の生き様であったか。

 

  インタビューに答た人々の2/3が『持ち家』であったことに、私は驚いたが、思えば我々の世代の『男の夢』、といえば『一国一城の主』になること

  つまり、家を持つことであっで、その為に必死で働く昭和の人々であったように思う。私のように『持ち家』に無関心であるほうが、当時としては異端であっただろうか。

  それともう一つ驚いたことには、それまで謙虚な感じでブツブツインタビューに答えていた爺さん等が、『政治に一言』を問われると、声の調子を一段上げて

  現政権を糾弾する気骨を見せたことだ。中には『安倍』という名を何度も呼び上げて『ひどかった・・・』とインタビューに答たのには、私の溜飲を下げてくれた。

  また、『若者へのメッセージ』ということで、『政治にもっと関心をもって選挙に行ってほしい・・・』と、若者へのエールとして訴えていた爺・婆婆の姿にも感動。

 

  年金受給者に対してインタビューするというYoutubeは、なかなか良い発想。 時間に余裕があって、話を聞いてもらえる喜びを得る機会を与える

  一石二鳥のこの企画は、観る者もいろいろ勉強になる。 私のお気に入りインタビュアーは、人情があって気の利く『年金トーク』の梅子さん。

 

               

  写真は、私が65歳で退職した翌年2018年、Facebookやインスタグラムで地元ローザンヌの老若男女にインタビュー記事をアップ

  する『Humans of My Lausanne』のインタビュアーの女性にインタビューされた時のもの。娑婆(しゃば)のしがらみから開放された馬骨の図


  オヤジギャグの意伝子

2024年03月25日 | 東洋自分なり研究所

  私は最近、誰からも顧(かえり)みられない、私を含めた世のおやじ達によってつい発せられてしまう『オヤジギャグ』の起源について考察。

  というのは、何故か自虐的地位に甘んじている『オヤジギャグ』・・・私にとっては本来の言葉とは『ずれた視点』からの生じる『新解釈』の温床

  とも言える『オヤジギャグ』に、何かただならぬモノを以前よりずーっと感じていた為だ。

  

  そこでちょっとググってみると、

  ① 広辞苑〜おやじギャグは「年配の男性が口にする、時代感覚からずれた冗談や洒落」。

 

  ② 1990年代までは一般によく使われ、肯定的に受け取られていたが、近年そうした事情を知らない世代の思春期以上のギャグに辟易した若年層によって

    否定的なニュアンスで使われるようになった。 (ウィキペディア) 

 

  ③ 脳科学者の茂木健一郎先生曰く、おじさんたちがおやじギャグを言うのは「脳のブレーキがきかなくなっている」から。

    おやじギャグとは、中高年男性の脳の働きにある特徴から生まれる産物だったのです。

    1つの記憶から他の記憶を思い出すことを“連想記憶”といいますが、この能力は年齢を重ねるほど上昇するそう。

 

  それぞれ、面白い定義とそれに関する意見が述べられていて興味深い。

  ①の『時代感覚からずれた冗談や洒落』・・・とあるが、逆に『時代に囚われない』発想が『ミソ』なのだと思うが。

  ②では、1990年代以降否定的ニュアンスとなった、とあるが、パワハラ、セクハラなど、おっさん世代に対する風当たりが『オヤジギャグ』にも吹いてきた為だろうか?。

  ③の茂木氏の『脳のブレーキが効かなくなっている』・・・という意見は面白い。歳を重ねるほど、『連想記憶』能力が上昇・・・とあるが、当たっていて妙。

 

  ただ『考えるな、漢字ろ!』を提唱する馬骨としては、『オヤジギャグ』というものが、意外に私達の知らない深淵より起源をなしている気がして

  大島正二著『漢字伝来』を読んだが、果たして我らが祖先は、現在の我らのように漢字、ひらがな、カタカナで自由自在に読み書きできるようになるまで

  並々ならぬ苦闘を強いられてきた歴史であったことがわかる。

  そもそも文字を持たなかった日本人が、中国語文字の漢字を『自家薬籠』として使いこなす・・・ということを考えるだけでも如何に凄いことであるか想像はつく。

 

  例えば、『万葉仮名』であるが、『音仮名』では春を『波流』、秋を『阿伎』。『訓仮名』では懐(なつかし)を『名・津・蚊・止』などと日本語を書き表した

  時期があった・・・というのだ。

  おそらく何世紀間にもわたって祖先は悪戦苦闘しながら徐々に徐々に、『漢字』に音読み、訓読みなどを工夫しながら日本語として飼いならしていった。

  その長〜い歳月の中、私達日本人は言葉と漢字の間の特殊なエッセンスをDNAのなかに『意伝子』として脳細胞に組み込んだのではないか?!・・・と私は思っている。

 

  茂木健一郎氏がいみじくも『連想記憶』能力・・・と言われたが、我々の奥深い記憶の中に、万葉時代より培ってきた『意伝子』による『漢字在=観自在』なる

  能力の一端が 『オヤジギャグ』として今もなお、とめどなく噴出する真の理由なのだと思う。

  その能力の開花に『無』の境涯であることが、最も高いタイパであることは言を待たない。

 

              

               『万葉仮名』のイメージで写真を撮ってくれ・・・と相方に頼んだ図(花咲か爺)