拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

   魔境

2024年05月17日 | 東洋自分なり研究所

  これまで、『禅』や『禅修行』について実際に体験した事、同時期に読んだ『禅書』などから学んだ事などを織り交ぜてこのブログに書いてきたが

  『魔境』と呼ばれ、修行中に『道』から外れた境涯を不正と見抜けず信じ込んでしまう状態、避けなければいけない状態・・・についてはまだ書いたことがない。

 

  *ウィキペディアによると〜

  『魔境(まきょう)とは、禅の修行者が中途半端に能力を覚醒した際に陥りやすい状態で、意識の拡張により自我が肥大し精神バランスを崩した状態のことを指す。』

 

                 

                  私も『自殺志願者が線路に飛び込むスピードで』青春の門を駆け抜けたのだろうか・・・

 

 

  私の禅修行中、老師や居士林の和尚から『魔境』についての注意というのは、聞いたことがない気がする・・・。

  実際『魔境』というのはある程度、修行が進んだ者が陥るようなので、居士林での修行ではそういった心配はいらなかったのかもしれない。

  その頃、私は手当たり次第に禅書を読み漁っていたが、時折『魔境』について注意を促す禅僧の本があり、『仏様や菩薩を観た…などというような

  ことがあったら、幻想に過ぎないので一切取り合うな』・・・というような趣旨であった。

  もっと古い禅語録には『菩薩だろうが、如来だろうがそんなものは、棒でぶっ叩け!』などという表現で激しく、厳しく『魔境』を戒めている。

  私も一人で坐っている時など、暗闇で坐っていのに、灯りに包まれている感覚は何度もあったし、思いもしない『言葉』がふと『降りてきて』

  その『言葉』の意味が解った・・・などと言うことが何度かあったが、『魔境』の教えがあったので、深入りせず、取り合う事もなかった。

 

  伝統仏教としての『禅』には、老師という長年に渡って修行してきた指導者がいる点が、なにより素晴らしい所で、昨今『悟り』を口にして

  促す人々(私もその一人であるが)がYoutubeなどを見ると増えているが、禅でいうところの『魔境』に陥ってしまう危険性はどうだろう・・・。

 

  『魔境』についてググった時、『野狐禅(やこぜん)〜禅宗において、禅に似て非なる邪禅のこと。』の単語と共に

  『野狐禅』という(1999年結成〜2009年解散)二人組のフォークバンドの歌にであった。

  グループ名によくぞ『野狐禅』などと命名したものよ・・・と関心したが、それだけの値打ちのある『歌』であった。

 

  変なタイトル 『自殺志願者が線路に飛び込むスピードで』 の一番の歌詞だけ掲載

     「せっかく空を自由に飛べるようにこんな立派な白い羽根がついているのに こんなところに迷い込んできたら意味がないじゃない バカだねぇ」

      君はそう言うと 便所の小窓を開け ふわふわ白い羽根のついたタンポポの種子を そっと逃がしてあげるのだった

      ケツをかきながら 隣に突っ立っている 僕を見つめて 「あんたも同じだよ」と 僕の睫毛についた目ヤニを指で弾いた

      ナメクジみたいに君の体を這う毎日

      自殺志願者が線路に飛び込むスピードで 僕は部屋を飛び出しました

      目に映るものすべてをぶっ壊してやりたかったけど そんな時でも 一番お気に入りのTシャツを着てきた自分がバカバカしくて...」

  

  

                                                                                                    野狐禅 「自殺志願者が線路に飛び込むスピード」 Music Video 


  慈愛(The AI)ディープ・ラーニング

2024年05月15日 | 東洋自分なり研究所

  『 摩訶般若波羅蜜多心経・・・・ (偉大なる智慧の完成・到彼岸にいたる慈愛心)

  観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 ・・・』

 

                    

 

  ご存知、『般若心経』の出だし2〜3行部分で、もうこのタイトルとこの数行だけを探究すれば事足りる・・・のではないか?

  もし、そうであれば漢字の塊『般若心経』(262文字)、恐れるに足らず・・・であるかも。

  (しかし、芭蕉の一句を覚えるように、この心経を覚えて、他の人と共に大声で唱えるダイナミックも捨てがたい・・・経験ではあった)

 

  『AI』研究が深化して『AI用語』が産まれるたびに、馬骨流『仏教解釈』が深展するような気がするが

  『AI』そのものが、『人間』の模倣であればそれは当然な事なのかもしれない。

 

  私が最初に『ディープ・ラーニング』という言葉を耳にした時、我が愚脳は上記『般若心経』の『行深般若波羅蜜多時』をすぐさま想起したが

  後に『郷』、或いは『坐』の字を探究することで、図入りでその意味を一層よく理解したように思う。

                    

  人間にはこのように、『己事究明』の道の中で、『慈愛』を教えるもう一人の自己に出会う性質を持っている。

  これを仏教では『仏性』と名称し、それが『ディープ・ラーニング』であり『セルフ・ラーニング』システムなのだと思う。

 

  人間は自己の『慈愛ディープ・ラーニング』を探究すべきであり、また『AI』の深化には『慈愛(The AI)』を忘れてはいけない。                       

 

 


  量志力覚としての『坐』

2024年05月13日 | 東洋自分なり研究所

  我が『東洋自分なり研究所』の設立、はこのブログ記事から始まったようで 2020年4月30日〜『仏語』ちょうど4年目を迎える。

 

  この記事で『仏語』の『仏』を『ふつ=不二』と読ませ、『不二』の『二』を英語『two』の日本的発音『ツ』を適用し、

  仏語が『不二』という『法(悟り)』をベースに語られる言葉『仏語』であることを説明しているが、すでにいい加減、適当で

  設立者である私(馬骨)しか理解できないような『自分なり・・・』を発揮していた。(そんな事を書いたことをすっかり忘れていたが)

            

               

 

  しかし、時はそれなりに、いい加減に研究を深めていて

  今日は『坐』が『量志力覚(りょうしりきがく)』的に人間存在の最小単位であることの発見の発表である。

 

  『悟り』は『郷里・サトリ』であるとは、これまで何度も提唱してきたが、その根拠は『郷』の解字であるに由来し

  自我が無我に観音(鏡=響)を介して相まみえる状態を原点としているが、それはまた坐禅の『坐』の字へと悟学的に進化変形し

  『不二』の原姿『坐』であり量志力覚的に『原志』である。

  そこから、自我(自己)・無我(他己)の『自他不二』として『縁起』初発の基点(慈悲・智慧)が働きだす。

 

  それ故 『坐』の字は『悟り』の内容を禅『単的に示す』だけでなく、『行』として『坐=瞑想』を表現しているのである。

 


  花粉賞

2024年05月12日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  12年前だから60歳ぐらいの時から花粉症に罹り、以来毎年のごとくこの季節になるとブログに愚痴をこぼすようになったが

  それにとどまらず、何時の日か短歌でその苦しい心境を短歌に詠むようになっていた。→   2016年5月30日〜五月とは・・・

 

  それまで五月は私の生まれ月であり、明るい陽ざしに若葉の緑が眩しい、私にとって誇らしい月であったのに

  五月の皐月(さつき)というロマンチックな語感は、むしろ『殺気』の響きをもって私の神経を逆撫でる季節になってしまい

  自分にとって『花粉症』は季語なんていう生易しいものではなく、『狂気語』と言う言葉こそがふさわしい呪われた季節であった。(大袈裟)

 

  しかし、今日私は72回目の誕生日を迎え、あらためて私の生まれ月、5月と『花粉症』の事を考えると、また別な観方もあるようにも思えてくる。

  『花粉症』以前は、何気なく春を迎え、何気なく過ぎ去っていた春というものが、『花粉症』以後『そうは問屋は卸しませんよ』とばかり

  克明な爪痕を残す形で過ごす春の1,2ヶ月とでは、その重みというか、深みというか、このあと何度春を迎えるのかわからない年齢になれば

  あんがいそれもまた『良し…』と受け入れ、たっぷり『春』を味わうくらいな気持ちでいれば、それまでの『花粉症』が『花粉賞』にまで昇華するというものよ。

 

              

               『 花粉賞 春と俺との 息吹きあい 五月生まれの 誕生祝えば  』 一撮 (花粉症で喘息になるとは…)

  

 

 

 

 


  菩薩ゾンビーと『志』向性

2024年05月11日 | 東洋自分なり研究所

  茂木健一郎著『クオリアと人工意識』・・・読書中であるが、だんだん難しく、次々と出てくる用語が理解できているのか危ぶまれるなか

  『意識』には志向性があるのか、無いのか?・・・という問題提議がなされていて、科学的には未だに立証出来ていない(?)らしい。

 

  科学的にはそうかもしれないが、仏教的には釈尊が悟った瞬間から『志向性』が明確であったように私には観える。が、

  それってどうなの? と、思ってしまった。 だって釈尊によって示された『人間の意識の志向性』に対して、2500年もの長い間、

  誰も疑義を唱えなかったことに対し、今頃になって科学は人間にとって最も根本的な『意識』に疑問を投げかけ始めたのか?

  『AI』に着手することで初めて学者の間で、『意識の問題』が意識にのぼった。

 

  仏教では『三法印』と言って、『諸行無常』→『諸法無我』→『涅槃寂静』の流れで『意識の志向性』があることは明確でそれを『仏道』と言っている。

  それで覚醒した菩薩は『志向性』の権化となり、『衆生無辺誓願度・煩悩無尽誓願断・法門無量誓願学・仏道無上誓願成』の実現に一心不乱になるさまは

  例えは悪いが、まるで『ゾンビ―』・・・。噛まれたら最後、誰かれ構わずゾンビー化に全力を尽くす一途さは『菩薩ゾンビー』と言えないことはない。

  そこには、じつは『志向性』の大転換がありそれを『Z (ゼット)』とした場合、ブラッド・ピットのゾンビー映画の傑作『World war Z』を想起するが

  その典型的菩薩が『常不軽菩薩』であろう。

  会う人ごとに、合掌して『あなたはいづれ仏様となる人で、私は敬いこそすれ軽視することはありません・・・』と、言ったというのだから・・・。

 

  ところで、志向性の『志』の字について考察した時、『超Z世代』の馬骨的には『 +・ ― =0 の心』・・・つまり、先んず『0(無)』への志向の果、

  『観自在』の覚醒までを志向性とし、『涅槃寂静』の正体ではなかろうか。

  『志』の字を発明した中国の漢字創作家兼仏教徒は、まさかそのずーっと将来に『士』を『+とー』で『ゼロ(無)』と解読されるとは

  予想したであろうか? いや、そんなことなど織り込み済みのメッセージとしてこの字は創作されたのだ・・・と考えずにはおれない馬骨であるが。

 

            

             チューリップ祭りが始まりはじめた頃の写真。今日辺りはだいぶ花も散ったようであった。

 

  

 

  

 

   


  『必死』に東・西

2024年05月09日 | 東洋自分なり研究所

  今日はスイスではキリストの『昇天祭』ということで祝日になっている。

  と言っても、特別なにがあるということもなく、まぁ祝日ということで天気がよければ春の日差しを家族であびましょう・・・ぐらいなもの。

 

  最近、私の妄想のなかでは、キリスト教というものが、仏教・・・ことに『禅仏教』に非常に似た宗教のように思える気がしているが、

  私のキリスト教の知識はほぼゼロ、聖書も一度も読んだことがなく、ただこれまで沢山の十字架のキリスト像を観た・・・という体験だけからくる

  身勝手な印象論といえばそうであるが、これまで何度も言ったように『キリストの十字架』というのが禅の『公案(禅問答)』であると、

  もし受け入れることが出来た場合、『必死』という日本語の単語で禅とキリスト教の共通項を見いだせるような気がしたのだ。

 

  先日、5月4日のブログで『畳のうえで死ね!』という題で書いたが、禅の修行が、宗教的な意味で『畳のうえでの必死』を期したうえで

  『悟り』という人生の新しいビジョンの覚醒を画策しているならば、キリスト教の方では十字架という『必死』を設け、キリストの『死と復活』による

  衆生の神への目覚めの画策ではなかったか。 

  求める方向が自己の内と外、仏と神という違いはあれ、『必死』という『生命のアップデート装置』がどちらにも必要であったことは、面白い・・・。

 

        

            『必死』を超越した者・・・といった風貌  Jean-Marie Borgeaudの作品より

  

  


   『 赤 』心

2024年05月05日 | 考えるな、漢字ろ!

  今日は一ヶ月ほど前から、彫塑アーティスト・ジャン-マリーBorgeaud 氏の作品展を見る予定になっていた。

 

  (彼とは3年前に初めて会って、彼の作品と人柄にいっぺんに惹かれ、彼のファンになってしまったが、2度目に彼に会った時

  10万円以上する作品を『ちょっと欠けてしまったところが、あるけど良かったどう?』・・・とわずか数万円で譲ってもらった作品が

  我々の新居の居間に掛かっているが、多分、我々の貧乏を知ったうえでのご好意による提案ではなかったかと思っている。)

  最初に彼の作品を観た時の様子・・・は、こちら ヨーロッパに観る 『 丹電力 』 - 2021 9/ 28

 

               

                   今日5月5日に観た作品の一つで、私のお気に入り

 

  彼の作品展はNeuchâtel(ヌーシャテル)という街で、電車で我が街モルジュから50分の所。

  電車の中で、今日が5月5日で『子供の日』であることに気付き、そうであれば今日は『子供の日』にちなんだテーマでブログを書きましょう・・・と

  考えたが、子供を持たない我々夫婦にとって、『子供の日』とは他ならない我々自身の『童心』というところに落着しざるを得ないところから

  『赤ん坊』という単語を思い浮かべ、そう言えば何故『赤』なのか・・・と考える事になった。

 

  そうすると、『考えるな、漢字ろ!』モードになり、馬骨流・悟学『解字』が出てきたのだ。

  『赤』= +・− ・手(x2)・足(x2)・・・という答えが出てきて、『プラマイゼロの手足』を持った無心(=仏心)の赤ん坊が観えてきた。

   まぁ、こんな感じ(漢字)かなぁ・・・、やっぱり赤ちゃんは無心なんだよ。

 

  そんな事を妄想しているうちに、ヌーシャテルに到着、バスに乗り換えて15分ほどで、目的のギャラリー『Galerie2016』に到着した。

  今日は、アーティスト自身による解説(?)をギャラリーが企画し、Borgeaud夫妻がジュネーブから来ていた。

  彼の話が始まる前に我々はギャラリーの作品を一通り鑑賞したが、相変わらずどの作品も『生きる喜び』で『イキイキ』していた。

 

               

 

  作品に登場する人物は誰も『丹田』が豊かであるが、作者のジャン・マリーは、誰よりも肩の力が抜けて気取りのまったくない男で

  私は、今日のテーマである『赤ん坊』の発想から出てきたのか、彼自身も彼の作品も実に『赤心』に満ちている・・・という風に感じた。

    

    info : 彼の作品展は5月26日まで、お近くにお住まいの方は是非ご覧ください。 www.galerie2016.ch    で確認のうえ

  

  

 

 

 

 


  一畳詩人〜畳のうえで死ね!

2024年05月04日 | 東洋自分なり研究所

  ちょうど10年前か・・・『一畳詩人』なんていう、カッコいいタイトルでブログを書いていたようで、どなたかが読んで下さっていたおかげで

  今朝の私の目に止まり、読んでみると 2014年12月24日〜一畳詩人

 

  最後の二行に、私はこんなことを書いていた

  『 道場の畳(たたみ)一畳が各自に与えられたスペース、坐・食・寝をこの畳一畳で修行期をすごします。

    ここで、自我を殺すんですよね。死人になったらお祝いするんです。』 ・・・とあって、まぁ修行の日々について書いたわけであるが

 

  あれから10年たち、私の年齢も60代から70代へと変わり、自然、知り合いやら、親戚などの人々の死去の知らせを耳にするようになる中

  この一文の『畳』から触発した我が愚脳が『畳のうえで死ぬ』・・・という、いわば『人間にとって極上の死に方』を想起した時

  あれっ、待てよ・・・禅修行っていうのは、じつは『畳のうえで死ぬ』練習を実際に『畳のうえ』でヒーコラでやっていたのでは?!と思うと

  自己の『生前葬』をなんとか形にしょうと、それこそ『必死』を無意識にやっていたのだと、愉快になった。

 

  現実問題として、『畳のうえで死ぬ』ことは、あらゆる面からほぼ不可能になっている現在、坐禅で『畳のうえで』一度死んでおけば

  そのあと、どんな死に方しようが別にどうということもない境涯にあるわけだ。

  実際問題、私が『畳のうえで死にきれた』わけでもなく、せいぜい片足半分を畳という棺桶に突っ込んでいるくらいのもんであるとしても

  それだけで、単純で単細胞の私は案外、安心を得ているのかもしれない。

 

       *『畳のうえで死ぬ』とは、辞書によると 『事故死や変死ではなく、当たり前の死に方』・・・だとさ。

 

                 一畳で 死人となって 詠む一句 天上天下唯我独尊! 馬骨

  

 


  三種の仁戯

2024年05月03日 | 我が妻ニコル行状記

  3月、4月と我々夫婦にとって体調不良の時を経て、5月になり、二人ともようやっと復調の兆し・・・。

 

  塞翁が馬…というか、七転び八起き…というか、ただでは転ばない相方ニコル、今回の緊急入院事件を契機に、なんと『10kg』の減量に成功!していた。

  思えば、この入院事件の数日前であったか『動悸がする…』ということで医者に行った際、久々の体重計で自分の体重を知って、相当ショックを受けていたのだ。

 

  退院後、相方の減った体重維持の決意は相当強く、間食はせず、以前であればカフェに行くと必ず甘党のモノを何か所望していたのが一切なくなった。

  相変わらず甘党の私は若干寂しい気もするが、相方の決意は『あっぱれ!』なものとして内心褒め称え、この『緊急入院事件』というのは案外

  『後期高齢者』突入の前の心構えを大きく引き締めた・・・という意味で、彼女にとって必然的出来事であったのかもしれない、と思っている。 

                   退院後・・・たしかに。

 

  以前、我々夫婦の一日のルーティンに『花札』があることを書いたが 2021年3月30日〜『花』神事

  最近はその『花札』に加えて、西洋人の顔のイラストの『神経衰弱ゲーム』と盤上に『高下、白黒、穴の有無』の三要素の違いを利用した

  縦、横、斜めの線上に加え、4個が面として並べば勝ち…というゲームが加わわっている。

  三番目のゲームは時折であるが、『花札』と『神経衰弱』は特に予定がない限り、ほぼ毎日やっている。

  このゲーム中は、夫婦間の悪態をつくことは自由で、『仁義なき戦い』は飽くこともなく続けられているのだ。

            

            左上が洋風『神経衰弱』、右上が和風『花札』、左下が『盤上並ゲーム』と 我が家の『三種の仁戯』

 

  以前は、私が圧倒的に強かった『神経衰弱』が最近、相方のほうが滅法強く、私はどの『仁戯』でも負け越しているが、

  それはひとえに相方のダイエット効果なのではないか?・・・と私は観ている。 

 


  禅の濃淡

2024年05月02日 | 東洋自分なり研究所

  最近、『禅といっても、濃淡があるよなぁ〜・・・』なんて考えていたら、

  偶然か必然か? 昨日Netflixで1994年公開映画『フォーレスト・ガンプ』をたぶん3回目(?)を久々に観て、

  禅が理想とする人物像というのが、『ガンプ』のような真に愚直な人物であったことを思い出した。

 

  だから、良寛さんにしても大愚良寛であり、鈴木大拙も大拙・・・と、『愚』や『拙』の文字を禅界では尊重しているのだろう。

  果たして、フォーレスト・ガンプの『ガンプ』はアメリカ、アラバマ州の方言で『愚か者』を意味するそうで

  そう言えばガンプの母親のセリフに『死は生の一部なの・・・』とは、まさに『禅の台詞』だし、

  ただ黙々と数年に渡って走り続ける髭面のガンプの姿に感銘を受けた、自称弟子たちが、その後を追うシーン、

  そして突然足を止め、『疲れた、もう家に帰る』・・・と、弟子たちの勝手な期待をアッサリ肩透かししたガンプの無心ぶりは痛快で笑えた。

 

  そうしてみると、たとえば『能』の『幽玄』というような一見深淵そうな次元は、『道』で言えば、半ばのレベルであり

  フォーレスト・ガンプの如き、真正の無欲無心の愚直で気取りの無い生き方こそ、禅が求め得る最高の理想形なのだと言える。

 

  『悟り』の段階を表す『十牛図』というのが昔(中国12世紀)からあり、絵図で『悟り』の象徴としての牛を追う若者の姿を借りて表現する図があるが

  第十図の『入鄽垂手(にってんすいしゅ)』は、禅僧として有名な山田無文老師によると『何もかも捨てて、素っ裸になって、町の民衆にとけ込んで、

  皆と一緒に泥だらけになって暮らしてゆく。そしてそこに触れる人がみんな救われていく。それが入鄽垂手(にってんすいしゅ)だ。』と解説されて、

  まさにフォーレスト・ガンプそのもののようだ。

 

  それにしてもこの映画の中で、若き無名のエルビス・プレスリーに、かの有名なダンスの大ヒントを与えたのが、歩行補助金具をつけた

  幼児期のフォーレスト・ガンプの踊りだった・・・という架空の逸話は秀逸で、さすがの私も腹を抱えて笑ってしまった。

 

           

         隣町(Rolle)にある『茶の箱』という名のお茶葉や、骨董品を売っている店の一角が喫茶所になっており、

         我々のお気に入りの場所での写真だが、ついカッコ付けてしまう馬骨は、無心とは程遠い・・・の図

  


  ガイド10年、引越屋15年・・・

2024年04月29日 | 還暦録

  2017年の春に65歳で定年退職(スイスにて)したから、今年で7年目になる。

  

  日本にいた頃は、ほとんどアルバイト人生であったから、身体が動く限り死ぬまで働くんだろうなぁ…と、思い込んでいたので

  こちらスイスにきて自分が人並みに定年退職というような境遇を迎えることになるとは思わなんだ。

  まぁ、いくら働きたくても自由業でもない限り仕事がないのが現状であるから、私の場合選択の余地すらなかったのであるが

  貧乏でもそれなりに生活できている現在、悠々自適(辞書〜世間のことに煩わされず、思いのままに暮らすこと)の身分であることに感謝する今日此頃。

 

  というのは、この身分になってみて初めて、渡欧以来自分がやってきた仕事の案外キツかったことに思い至ったりするのだ。

  観光ガイド10年、引越屋15年・・・仕事自体のキツさ、それにヨーロッパという言葉も習慣も違う土地で生きていくというのは、それだけでストレスを

  否が応でも受けるわけで、私はそれを当たり前の事として、それを無視して前向きに生きてこられたが、今思うと『よく頑張った!』と自分でも思う。

  そこにはもちろん、相方の存在の大きい事にもあらためて思い至るわけだ・・・。

 

  何故、仕事がキツかったのかと思うのは、今現在のように、自分が重要であると思っている事柄を、その当時は掘り下げる余裕(時間)を

  まったく持つことが出来なかった事に、今更ながら思い至るからなのだ。 

 

  ガイドにしても、引越屋(海外引越)にしても、どこかイベント的要素の強い仕事で、通常のような心持ちではダメで、ある程度テンションを上げて

  立ち向かわなければ、良質な仕事を限られた時間内に完結することができない・・・そういった責任の重さを私は感じながら働いていた。

 

  特に引越しは、大きい引越しになれば、作業員も8人ほどになるので、引越屋に入社して1年半で、私は現場責任者にされ、毎回変わりがちな

  下請けのポルトガル人メンバーをなんとかまとめ、お客にもメンバーにも気持ちよく、納得できる作業環境、作業内容への配慮するなど

  気を配って疲れたが、それなりに満足感を得たことも確かだ。

  しかし、破損したり、紛失などがあってクレームなどがあると実に気が沈んだりするので、その意味でも現場責任者としては緊張感が常にあった。

 

  まぁ、そういった事は私に限らず、誰でも責任を持って仕事にたずさわった者は大なり小なりあるわけであるが、定年退職によって自由な時間を

  持つことが出来るようになった今、私は初めて本当にやりたかった事柄に、誰にも何の遠慮もなく、それこそ悠々自適に生きていける今の現状を

  有難い・・・とあらためて思うと同時に、65歳を越えても不本意な仕事をしなければ生活できない多くの年配の人々が、一刻も早く悠々自適といえる

  境遇にならんことを強く願っている。

 

                    

                  引越下請けメンバーと皿包嬢等と・・・大きな引越しが無事終了した図

                  海外引越しは、現場での梱包作業と倉庫でコンテナに入れる前段階の大きな箱詰め作業がある。

  

  


  クオリアと意伝子

2024年04月27日 | 東洋自分なり研究所

  先日、4月2日付けのYoutube動画、イマジン大学・学長の名で茂木健一郎さんが、いつもは良い意味で『忖度の塊』のような彼が、物凄く真剣な

  面持ちで語っているのについ惹かれて、動画内で語っていた彼の著書『クオリアと人工意識』という本を買ってしまった。

 

  茂木健一郎氏といえば、最新の科学的叡智を一般の我々に解りやすく解説する人物として、それらの専門家とインタビューなどを介し、

  彼等の研究内容を多少噛み砕いた形で紹介するなど、様々な番組にいまや落合陽一氏と並ぶ立ち位置で大活躍出演中の人物の印象を私は持っている。

 

  で、彼の本『クオリアと人工意識』を全部読んでからこのブログを書けばよいのに、読んでいる最中のひょっとした『思いつき』を

  書くことが許されるのが『自分なり研究所』のいい所でもあり、悪い所でもある。・・・というところを前提にして書くと。

 

  彼の言うクオリアという『意識の問題』というものが、どうもブッダの『悟り』ということに置き換えて、彼の主張するところを捉えると

  非常に解りやすい気がしたのだ。 科学的教養ゼロの私が、彼の学説について行こうとすると、そんな変則アプローチをすることで

  多少でも彼の言っていることが、理解できれば何時の日かまた別な切り口で彼の学説をより良く理解出来きる日がくるであろう・・・的なアプローチ。

 

  最近私は、『学問』に対する『覚問(ガクモン)』という造語を作り、学問では到達できない『仏陀の悟り』について模索、研究を目論でいるが

  その中で立ち上げた造語『意伝子』というものが人にはあって、深い瞑想によって『観音』という形で開花する『観』そのものが、茂木氏が言うところの

  『意識』ではなかろうか・・・と思っているところだ。

 

  茂木氏は著書『クオリアと人工意識』の中で、

  『人間は、なぜ人工知能を生み出すのだろうか? その根底にあるのは、自分の『似姿』をつくろうとする本能である気がしてならない・・・(略)

   人工知能は、私たちの「鏡」なのだ。その「鏡」の中には、果たして、「クオリア」に満ちた私たちの「意識」もまた、映っているのだろうか?』 

 

  と言っているが、私のいう『覚問』では、『観音』こそは悟りにおける『大円鏡智』の『観』であり、茂木氏のいう『一つの意識』ではないかと思う。

  そういった意味で、私は『AI』の人工知能は、私たち日本人が言うところの『愛』へ『志向』しているのは偶然では無いと思う。

 

            

         昨日、相方の姪マエルが十数年の同棲を経て、明日結婚するというので、『お祝いモノ』を探しに街に出かけると、こんなモノを見かけた図

  


  ガラスの棲家

2024年04月26日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  一昨日の木曜日、我がアパートの居間のヒビのはいった大ガラス(三層)が約2年半ぶりに交換された。(やっと・・・)

  本来、水曜日の予定であったが強風のため木曜日に延期されたのだ。

  我がアパート住民のネットワーク情報によると、ガラスにヒビが入ったのは我々のアパートだけではなく、19件もあったそうだ。(未確認)

 

  その中で、我が家は入居後、わずか2ヶ月目で、フランス語の『ショック・テルミック(熱衝撃)』で三層のガラスの真ん中のガラスに大きなヒビが入り

  アパート側に連絡すると担当者が来て、『これはオタク様の責任で、交換するのに百万円必要です!』・・・と言われ、それこそ『ショック&熱』で

  我々は2日間ほど寝込む寸前であった。そんな不条理な!? 我々が何かをガラスにぶっつけて破損したならまだしも、理由のわからないことで

  三層のガラスの真ん中だけが割れた・・・。それに責任を持て、と言われても? だったらガラス張りのアパートにするなよ。・・・

  というようなことで、相方が根気よく保険会社に交渉した結果、保険で支払われることになった。 しかし、交換実行するのに2年半かかったのだ。

 

  アパート周辺の道路をぐるりとフェンスで取り囲み、大型クレーンを配してのガラス交換作業はかなり大掛かり、3日間の日程で行われた。

  それはそうだ、ガラスに問題があったのは我々の家だけではなかったのだから。

 

             バルコニーの物を全部キッチン部に移動、居間のソファも移動。

 

  5人の作業員が来て、入口からガラス前の居間を養生し、トランシーバーでクレーン運転者と連絡を取りながら4階のアパートに誘導、搬出、搬入

  一枚250kgのガラスを手際よく交換してくれた。 彼等はあまり聞いたことのない言葉で会話をしていたので、そのうちの一人に聞いてみると

  彼自身は南米出身、その他スペイン人、フランス人、ポルトガル人のメンバーということは、わかったが言葉が何だったのか聞けなかった。

 

  私達は、ガラスのヒビについては室内温度にとくに影響もないので、べつにこのままでも問題なかったが、まぁ新しくなるのであれば気分もいい。

  それに、私が気にしていた相方が倒れた際の救急車代、腰が痛くて使えなかった車椅子でのエレベーター降下が不可で、4階から担架で降りる際に

  追加要請した消防隊員4名(!)の費用のことを考えると、貧乏性の私は落ち着かなかったが、約80%は保険が効くという事が最近明らかになり

  それも一件落着・・・と、なんだかんだのゴタゴタが、春の三寒四温のように徐々に徐々に緩和されようとしている今日此頃である。

  (目下の問題は花粉症で、来月まで予断を許さない状況ではあるが・・・。)

  

 

  

  

  


  還暦ギャラリー『森』〜 骸骨人

2024年04月21日 | 必撮無眼流

  前回のブログ記事、久保田早紀さんのヒット曲『異邦人』は、私の22歳の頃、制作した手作り写真集『骸骨人』を思い起こさせた・・・。

  

  若い時には誰もが、『求むべき誰か』を思い浮かべるものだなぁ・・・とは思ったが、

  彼女は『異邦人』と自己の外に、私は『骸骨人』と自己の内にそれを求め、結果的に彼女はキリストに、私は仏にたどり着いたのだろう。

  いま考えると、私が『禅』に向かう道はこのあたりから始まっていたのだろうか。

 

  写真集を企画するずーっと以前に故郷、北海道で撮った自撮、17、8の頃

 

  写真学校時代、あれこれ写真のテーマを模索する中、『そういう時、自分ってどんな表情しているのだろうか…?』というような好奇心から始まり

  また、好きな時に、好きなだけ撮れる自在なモデル・・・としての自己の存在、これは『撮人家』としては撮らない選択はないだろう、という発想があった。

                    

             タイトルを決め、一応写真を見せる順番なんかも考慮して作ったボロボロになった50年前のアルバム『骸骨人』

 

  写真学校時代当時、私は神戸の牛乳屋さんに住み込みの配達+集金人であったから、そこでの生活をベースに撮った写真が多い。

  バイクでの牛乳配達時   3畳ほどの空き部屋を暗室兼書斎に使わせてもらう。

 

    その部屋でこんな感じで『己事究明』  集金で〜す!

 

中華レストランで皿洗い   学校のスタジオで仲間に撮ってもらう…

 

      視覚的に作品ぽく  もしかして孤独を癒やしていたか?

 

近所のオーディオ施設でポール・モーリアと 学校の屋上の骸骨人

 

      当時みた映画『パピオン』にちなんだ写真 

 

        得意のフイルム増感現像、ハイコントラスト 富士フイルム、ネオパンの威力

 

                『骸骨人』・・・ぽい、微笑みも忘れずに

 

  この写真集『骸骨人』は、後に『貰った背広』という、ちょっと洗練された風のタイトルに変え、ここに展示した16枚中、13枚は未使用であるから

  今回初の展示となった。 写真も時と共にセピア色になる『諸行無常』のなか、骸骨人はそれなりに『諸法無我』を目指していたのか?

  


   私の『異邦人』

2024年04月17日 | 観・音楽

  

  それはSNSで、なんの媒体だったか? Facebook? Youtube? Instagram?・・・のいずれかの動画で

  女性が軽やかに歌っていたのが『異邦人』という曲で、聞き覚えのあるメロディに引き込まれながら聞き惚れていると

  『 あなたにとって私 ただの通りすがり ちょっと振り向いてみただけの 異邦人・・・』というのが聞こえて

  これはただの曲ではない、誰が歌っているんだろうか・・・と、『異邦人』で検索すると『久保田早紀』という名前が出てきた。

 

  彼女、久保田早紀は1979年、21歳でデビュ−すると、翌年1980年に『異邦人』が大ヒットし、一躍シンガーソングライターとして有名になった。

  私はその頃、28歳で関西から鍼灸学校に入学するために東京に出てきたあたりだったろう。この曲もラジオで何度も耳にし、気に入っていた。

  ただ、誰が歌っているのか知らなかったし、知ろうともしていなかった・・・。

  Youtubeで検索すると当時の久保田早紀さんの歌う姿が見ることができる。端正な顔立ちに、透き通った声が初々しい。

  この曲『異邦人』は20歳前の学生時代に作った曲だそうで、この詩の深い様に私は目眩を感じるが、 当時それに気がついていれば・・・・

 

  彼女は根っから誠実な人なのだろう、自らこのような詩を書いておきながら、その真意に到らない自己を追求するために

  華々しい芸能界を5年で去り、キリスト教、聖書を勉強するためにギリシャに渡り、帰国後は結婚し、現在『音楽宣教師』として

  普及活動しているという。

  私がもし当時、坊さんだったらこの曲『異邦人』をネタに 仏教の普及に大忙しであっただろう・・・。 

  迷える若者達に向かって、『異邦人は、もう一人の貴方である・・・』と説いて。  悟学的に突っ込みどころ満載の名曲なのだから…。

 

 

                          異邦人/ 久保田早紀「歌詞付き」(Cover)【歌ってみた】(久保田早紀本人ではありません) 

 

                         

  

           この写真展案内ハガキは、東京新宿にある小さなギャラリー『CAMP』といって、森山大道さん等のグループが運営していた処。

  そこで、私は1982年に 20歳頃から撮りためていた自撮写真を展示した。取り始めた頃から自己を『骸骨人』としていたが、それはまた『異邦人』でもあったわけだ。