十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

地域おこし協力隊  

2020-03-30 05:00:00 | 投稿

先日、三重県尾鷲市と宮崎市に在住していた「地域おこし協力隊」の方に、上士幌町役場でお会いし話を聴きました。

 

上士幌町は、帯広市から北の方向(日本百名山である大雪山の東山麓)50キロに位置し、人口約5千人の小さな町でありますが、自然豊かで福祉などが行きとどいており、わずかながら人口が増えています。

 

なぜ、地域おこし協力隊員を訪ねたかと言えば、日本は人口が減り続けており、増えている理由を聞くことによって何かヒントがつかめるかも知れないと思ったからです。

 

この上士幌町では、3年前から「かみしほろ塾」という講座を行なっており、私が聴いた元東大総長の小宮山宏氏の言葉が強く印象に残っています。

「考えただけではいけない、行動で示すべきだ」。

「十勝の活性化を考える会」会長

(写真:上士幌町観光協会提供)

注) 域おこし協力隊

地域おこし協力隊とは、人口減少高齢化等の進行が著しい地方において、地域外の人材を積極的に受け入れ、地域協力活動を行ってもらい、その定住・定着を図ることで、意欲ある都市住民のニーズに応えながら、地域力の維持・強化を図っていくことを目的とした制度である。

地方自治体が募集を行い、地域おこしや地域の暮らしなどに興味のある都市部の住民を受け入れて地域おこし協力隊員として委嘱する。

隊員には地域ブランド化や地場産品の開発・販売・プロモーション、都市住民の移住交流の支援、農林水産業への従事、住民生活の維持のための支援などの「地域協力活動」に従事してもらい、あわせて隊員の定住・定着を図る。一連の活動を通じて、地域力の維持・強化を図っていくことを目的としている。

総務省が隊員1人につき報償費等として年間200万円~250万円、活動費として年間150万円~200万円をそれぞれ上限に地方自治体に対して特別交付税措置する。

また、2014年度からは隊員最終年次か任期後1年の間、隊員の起業に要する経費について地方自治体が支援を行った場合、100万円を上限に国の支援が上乗せされた。隊員の期間は概ね1年以上最長3年までとしている。ただし3年を超えても活動の継続は可能である。

 

総務省は隊員の対象として

  1. 地方自治体から、委嘱状等の交付による委嘱を受け、地域協力活動に従事する者であること。
  2. 1の委嘱に当たり、地方自治体が、その対象者及び従事する地域協力活動の内容等を広報誌、ホームページ等で公表していること。
  3. 地域協力活動を行う期間は、おおむね1年以上3年以下であること。
  4. 生活拠点の3大都市圏をはじめとする都市地域等から過疎山村離島半島等の地域に移し、住民票を移動させた者であること。

従って、同一市町村内において移動した者及び委嘱を受ける前に既に当該地域に定住・定着している者(既に住民票の移動が行われている者等)については、原則として含まないものであること。

 

と定めている。委嘱の方法・期間・名称等は、地域の実情に応じて地方自治体が対応できる。

 

総務省によれば、隊員の4割が女性、8割が2030代となっている。また任期終了後については、同省調査(20152月)によると、5割が任地の自治体に、1割が任地の近隣自治体に定住しているほか、任地の自治体に定住した隊員のうち5割が就業、2割が就農または起業している。

[主な地域協力活動]

  • 農林水産業・産業 - 農林水産業への従事、地場産品の販売、地産地消の推進など
  • 環境 - 水源地や森林の保全活動など
  • 医療・福祉 - 見守りサービス、病院・買い物等の移動サポートなど
  • 観光 - 地域の魅力PR、観光ルート企画立案、来訪客サポートなど
  • 教育 - 学校行事の支援、子どもとの交流活動など
  • 地域づくり - 地域行事、伝統芸能の応援、都市との交流事業の応援など

 

(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

 

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新型コロナウイルスと「非国民」バッシング、そして持つ者と持たざる者。の巻(雨宮処凛)

2020-03-29 05:00:00 | 投稿

雨宮処凛が行く!

■新型コロナウイルス感染拡大で蘇る「派遣村前夜」の空気
なんだか「派遣村前夜」のような空気になってきた――。

そんな言葉を、生活相談や労働相談をしている支援者・活動家たちと交わすことが多くなった。このままでは、経済的困窮による自殺者、ホームレスが続出するのではないか――。多くの人が、「当たって欲しくない最悪の予想」としてそう口にする。

新型コロナウイルス感染拡大の混乱による失業や生活困窮が今、すごい勢いで広がっているからだ。
 派遣村とは、2008年末から09年明けまで日比谷公園で開催された「年越し派遣村」のこと。08年9月に起きたリーマン・ショックによって全国に派遣切りの嵐が吹き荒れ、当時、15万人の非正規労働者が職を失うと言われていた。景気の悪化によって職を失うのは非正規だけではない。少なくない自営業者やフリーランス、正社員もその余波を受けて困窮に陥っていた。

 とにかく今生かすべきは、派遣村の時の教訓である。
そんな思いからあの時の記憶を呼び起こすと、様々な光景が浮かぶ。
例えば派遣村には、派遣切りで職を失った以外の困窮者も多くやって来た。身体障害、知的障害、精神障害の人も少なくない数、訪れた。施設から逃げてきたという若い人もいた。これほど多様な人々が困り果てて、年末の公園の吹きっさらしのテントで年を越すためにやって来るのか……。派遣村実行委員会が想定もしていなかった人々も続々と訪れることに、多くの「気づき」があった。表には出なかったが、中にはもちろん女性もいた。

 また、当時派遣切りされた中には愛知県などの工場で働く日系ブラジル人も多くいた。それだけではない。直接「派遣切り」と関係ない形でも、リーマン・ショックによる不況で全国で失業者や困窮者、ネットカフェ難民が激増した。

 今回のような形で経済が打撃を受けると、もともと「条件があまり良くない人」「手持ちのカードが少ない人」の生活から一気に崩れてしまう。コロナと関係あるようには見えなくても、多くの人が連鎖的に困窮する。もっとも弱い立場にいる人に皺寄せがいくようになってしまっているのだ。

■:新型コロナウイルスと「非国民」バッシング、そして持つ者と持たざる者。

非常時には、格差がむき出しになる。持つ者と持たざる者の差が歴然と開く。そして、「国民一丸となって乗り切ろう」みたいな時に、様々な事情からその「一丸」に加われないとたちまち「非国民」扱いされ、糾弾される。
加藤厚労大臣は「みなさまが一丸となってこの新型コロナウイルスに立ち向かっていく」などと発言、「戦時中かよ」と批判されたが、みんなが一丸となるどころか、この騒動に便乗して分断や排除を煽るような動きが一部にあることが非常に気になる。

 そうして今回の「休校」では、またひとつ、格差が剥き出しとなった。子どもの世話をしてくれる親が近くにいる人や、お金を払ってプロに頼める人がいる一方で、自分が働かなければたちまち生活が破綻する母子家庭がある。

 そうしてコロナウイルスで仕事が流れても、貯金があって大して痛くない人もいれば、蓄えなどまったくない人もいる。また、完全歩合制の私のようなフリーランスもいれば、出勤しなければ1円にもならない非正規もいる。このような、貯蓄や「助けてくれる人間関係」などを総合して湯浅誠氏は「溜め」と言ったが、まさに「溜め」のあるなしが今、残酷なほどに分かれている。

そして今の悲劇は、日本で一番くらいに「溜め」がある人が政策を決めているということだ。

彼らはおそらく、子どもがいる世帯には専業主婦、もしくは家政婦やシッターがいると思っているのだろう。彼らの生きてきた世界ではそれが当たり前なのだから。そんな彼らは果たして、満員電車に乗ったことなどあるのだろうか? ライブやイベントは続々と中止され、学校は休校になりながらも満員電車が走り続けていることに疑問の声を上げる人は多い。が、満員電車と一生縁のない人が、現在の危機的状況の中、あらゆる決定権を握っている。

 

雨宮処凛
http://ameblo.jp/amamiyakarin/
あまみや・かりん:1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)、『自己責任社会の歩き方 生きるに値する世界のために』(七つ森書館)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。

出典「マガジン9:https://maga9.jp/」

本記事はマガジン9掲載記事『第513回:新型コロナウイルスと「非国民」バッシング、そして持つ者と持たざる者。の巻(雨宮処凛)』、第515回:『新型コロナウイルス感染拡大で蘇る「派遣村前夜」の空気。の巻』より抜粋・転載しました。

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三島由紀夫vs東大全共闘~50年目の真実〜

2020-03-28 05:00:00 | 投稿

2020324日付け「北海道新聞夕刊」(3面)のスクリーン記事について、以下のように書かれていた。

 

『学生運動が盛んだった19695月、東大駒場キャンパス大教室で作家の三島由紀夫と東大全学共闘会議(東大全共闘)が2時間半の激論を交わした。本作は、討論会の記録映画を軸に、時代背景や三島の半生を紹介するドキュメンタリー。言葉が現実に及ぼす力を信じ、その有効性を確かめようとする三島や学生たちの熱量に圧倒される。

 

討論会を企画した東大全共闘は学部の垣根を超えた学生らの組織で、大学改革を求めて闘争を展開。

 

しかし691月、立てこもった東大安田講堂から警察に排除され、運動は一気に失速していた。そこで対極にある右翼思想を持ち、華やかに活躍する作家を論破して、注目を集めようとしたのだった。

 

当日の観衆は千人超。東大全共闘は、「他者の存在」「自然対人間」「天皇」のテーマと観念的な言葉で論戦を仕掛ける。一方の三島は静かに相手の話を聞き、挑発にもユーモアで応じる。若者の言葉を正面から受け止め、自らの考えを真剣に伝えようとする姿には心を動かされた。

 

二元論、弁証法、主観・・・。哲学的な概念が行き交うやりとりは難解だが、平野啓一郎、内田樹、小熊英二ら作家や思想家がかみ砕く。討論に参加した元東大全共闘や三島が主宰した「楯の会」元会員の回想も理解を助けてくれた。

 

討論の最後、三島は静かに訴える。「言葉は言葉を呼んで、翼を持ってこの部屋の中を飛び回ったんです。その言葉を、言霊を私はここに残して去っていく。私は諸君の熱情は信じます。これだけは信じます。ほかのものは信じないとしても、これだけは信じるということは、分かっていただきたい。」

 

三島は討論会の翌年、自衛隊市ヶ谷駐屯地に乗り込んで決起を促し、自決した。それから50年、インターネット空間だけでなく国会でさえ、冷静さを欠いたやりとりが目立つ。思想が違っても相手に敬意を払い、言葉の力を信じて語り合った三島たちの姿には、今こそ学ぶものが多い。』

 

このスクリーン記事を読んで、次のように思った。当時、全共闘運動が全国に展開され、小田実氏が主宰するベトナム戦争に反対する市民連合である「べ平連」などもあり、社会は騒然としていた。なお、三島由紀夫氏や森友事件の赤木俊夫氏は、「憂国」を想って自殺したようである。

 

当時の全共闘運動は、大学改革を目指した闘争だったが、現在の日本社会にも様々な「改革」が必要でないだろうか。今回の新型コロナウイルスによるパンデミックが、それを示してくれているのかも知れない。

 

「十勝の活性化を考える会」会員

 

 

注) 全学共闘会議(全共闘)

 全学共闘会議は、1968年から1969年にかけて日本の各大学学生運動バリケードストライキ等、武力闘争として行われた際に、ブントや三派全学連などが学部セクトを超えた運動として組織した大学内の連合体。略して全共闘

全共闘は各大学等で結成されたため、その時期・目的・組織・運動方針などはそれぞれである。中でも日大全共闘東大全共闘が有名である。東大全共闘では「大学解体」「自己否定」といった主張を掲げたとマスコミが伝え、広く流布した。「実力闘争」を前面に出し、デモでの機動隊との衝突では投石や「ゲバ棒」も使われた。特定の党派が自己の思想や方針を掲げる組織運動というよりは、大衆運動との側面があったとされる。大学により、個人により、多様であったと言える。

全共闘と最も対立したのは、民青系全学連であり、東大紛争でも全共闘が乱入する中、七学部代表団を主導して大学当局と確認書を作り、終結させている。入試中止で文部省が動いた際には、ストライキ解除のために実力も行使し、これに全共闘も応戦したことで機動隊導入のきっかけとなった。日大で全共闘と対立したのは、体育会系・民族派系であった。

似た名前の全学連は、全日本学生自治会総連合の略称。

 (出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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連載:関寛斎翁 その25 『積善社』趣意書

2020-03-27 05:00:00 | 投稿

 この頃、我が国の農業は、内地はもとより北海道においても、一部の地主による土地の支配のもとで、大多数の農民が小作として農業を営んでいた。最近、「格差」という言葉がしきりに喧伝されているが、戦前の地主と農民のヒエラルキーは凶作の場合、餓死者が出るほどの格差であった。かねがねこうした矛盾に胸を痛めていた寛斎は、農家の自立と生活の安定を強く望んでいた。
 北海道開拓には、これまで種々述べてきたようにさまざまなモチベーションをみることが出来るが、帰するところは人間の尊厳と生活の安定であり、自作農としての農民の自活自立である。
豊頃に二宮尊徳の偉業を慕って訪問したのも、尊徳の思想に接することによって、自分自身の理念を照合し、改めて確認するためだったのである。
こうした寛斎も既に入植三年目である。そこで彼は二宮尊徳の報徳仕法などを下敷きにして、己れのポリシーを文字に起草。それが
『積善社』趣意書」である。(以下はその要旨)

 我家は北海道十勝国中川郡字斗満の僻地に牧場を設置し、場内に農家を移し、力行自ら接し、仁愛人を助くるを特色とし、永遠の基礎を確定したる農牧村落を興し、以て此れに勤倹平和なる家庭と社会を造らん事を期せり。
是実に迂老が至願なりとす。迂老は幼にして貧、長じて医を学び、紀伊国浜口梧陵翁の愛護を受け幸に一家を興すことを得たりと雖も、僅に一家を維持し得たるのみにして、世の救済については一毫も貢献する所なし。今に至り初めて大いに悟る所あり。
 自ら顧るときは、不徳非才事志と違ふこと多しと雖も、寸善を積みて止まざるときは、何れの日か心成の期あるべきを信ずる事深し。乃ち先ずこれを我牧場の小村落に実施し、延いて他に及ぼさむことを期し、これを積善社と名づく。
明治三十八年
七十六老 白里 関 寛

渡辺 勲 「関寛斎伝」陸別町関寛斎翁顕彰会編

 

§

のちにこの寛斎翁の志が、息子又一が農学校で学んだアメリカ式農場経営と大きく乖離し、対立することとなる。

ちなみに、「白里」とは寛斎翁が自ら名乗った「雅号」である。百から一を引いた九十九とは、寛斎が生まれ育った九十九里浜の光景であり、歳を重ねるにつれ生まれ故郷への憧憬が、寛斎をしてそう名乗らせたのであろう。

「十勝の活性化を考える会」会員 K

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大陸と日本

2020-03-26 05:00:00 | 投稿

大陸とは、ユーラシア大陸、北アメリカ大陸、南アメリカ大陸、アフリカ大陸、オーストラリア大陸、南極大陸の六つのことである。

 この大陸のことだが、新型コロナウイルスが猛威を振るい東京オリンピックが延期され、世界経済がリーマンショック以上の不況を予測するなど深刻な状況である。

 日本では、外国との封鎖措置が取られ大きな感染拡大を抑えられ、緊急事態宣言により外出の自粛要請から、遠からず収束すると思っている。

 これに関連して思ったのだが、日本は教育が行きとどいており、良し悪しは別として国の指示に従う傾向にある。今後、消費支出の減少が懸念されるが、いずれ景気は徐々に回復すると見ている。

 そして日本は、新型コロナウイルスの封じ込めにいち早く成功した国として、各国から注目されるだろう。そのためにも、国民が一丸となって新型コロナウイルスの撲滅に向けて対処しなければいけないと思う。

 ただ、今回のパンデミックにより日本が注目され、世界の経済成長に貢献できたならば、望外の喜びである。まさに、「禍を転じて福となす」である。

 「十勝の活性化を考える会」会員

 注) 大陸

 大陸とは、地球地殻上に存在する陸塊である。一般的にはユーラシア大陸アフリカ大陸北アメリカ大陸南アメリカ大陸オーストラリア大陸南極大陸の6つの陸上部分を指すが、これは相対的な判断によるもので厳格な基準は設けられていない。

大陸をどう数えるかについては複数の方法がある。

様々な大陸の色分け図。同系統の色で示された地域は統合または分割される領域を示す。

【面積と人口】

以下の表で、7大陸法で区分したそれぞれの大陸の面積と人口についての統計を示す。

全大陸の面積は総計148,647,000km2であり、地球表面(510,065,600 km2)の29.1%を占める。

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

 

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