十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

“記憶にございません”という言葉

2021-03-31 05:00:00 | 投稿

先日、民放のモーニングショウで、“記憶にございません”という武田総務大臣の国会での答弁に関して放映していた。これに関連して、作家 吉永道子さんが記憶のないことに関して、「最近の政治家や官僚は、頭が悪い人が多い」とも言っていた。

私は認知症なので人の名前を何回も聞くが、すぐに忘れる。しかし、大切なことは記憶しているつもりなので、記憶にございませんとはあまり言わない。証拠となるテープなどを聞かされるとすぐに翻意するのは官僚などと同じであるが、本当に使い勝手のある責任を逃れる言葉である。

 記憶にございません“という言葉で思い出すのは、ロッキード事件の小佐野賢治氏である。ロッキード事件では、米航空機メーカー、ロッキード社の航空機受注をめぐり、30億円もの工作資金が政財界にばらまかれ、最終的に田中角栄元首相までが逮捕された戦後最大の政界汚職事件と言われている。

この事件において、国際興業創業者の小佐野賢治氏が裏金のカギを握る人物とされ、衆議院予算委員会で証人喚問された際、多くの質問に「記憶にございません」を連発、同年の流行語にもなった。その後も“記憶にございません”は、偽証や証言拒否を避けつつ回答に向き合わない戦法として、国会答弁の決まり文句になった。

この言葉とウソはほとんど同じで、今の子供にウソが多いのは、このように大人がウソをつくからだと思っている。素直な子供に育てるためには、まず“傀より始めよで、大人がウソをつかないことである。

「十勝の活性化を考える会」会長

注) 傀より始めよ

大事をなすには手近なことから着手せよとの意、転じて、いいだした者から始めよとの意。

中国戦国時代、燕の昭王が天下に人材を求めたとき、遊説者の郭隗が王に「昔、王から名馬を求めてこいと千金を託された馬丁が、遠方まで出かけて行って死馬の骨を五百金を投じて買って帰った。王がそれをなじると、『死馬の骨ですら五百金で買う王なら、生きた馬はきっと高価に買ってくれるだろうと、いまに天下の名馬が王のもとに集まってくるに違いない』と答え、はたして王は千里一駆けの名馬を三頭も求めることができた」というたとえ話を語り、「これと同様に、賢者を招こうとするなら、まず私のようにあまり優秀でない者を優遇することから始めるのがよい。そうすれば、秀れた賢人が王のもとに続々と集まってくる」と説いた、と伝える『戦国策』や『史記』の故事による。

 出典:小学館 日本大百科事典より抜粋)

 

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武士道

2021-03-30 05:00:00 | 投稿

 

横綱 白鳳が、ひざの故障で5場所連続休場したそうである。横綱 鶴竜も5場所連続20回目の休場をしているので、横綱不在の今場所であった。

『日本相撲協会の芝田山広報部長(元横綱大乃国)は16日、春場所千秋楽翌日の29日に横綱審議委員会の定例会合が開催されることを明らかにした。1月の初場所後は新型コロナウイルスの影響で見送られていた。
 昨年11月場所後に行われた前回の定例会合では、白鵬鶴竜の両横綱に休場が目立つとして「注意」を決議。横審はこれより重い「引退勧告」を決議することができる。今場所は鶴竜が初日から、白鵬は3日目から休場。次回はさらに厳しい意見も予想され、芝田山部長は「何もないことはないでしょう」と述べた。』 (【時事通信社】ニュースより)

この記事を読んで、横綱千代の富士の引退会見を思い出した。3日目の貴闘力戦に敗れて、「体力の限界」と言って角界を去っている。何という美しい引き際だろう。それに比べて外国人力士の引き際は、日本人力士のように美しいものではないような気がする。

日本人力士、あるいは日本人には、“武士道というものがある。武士道とは、儒教思想等に基づき武士階級の間に発達した責任感や潔さ等、日本独得の倫理観念で、作家 三島由紀夫の割腹自殺にも武士道が背景にあるのだろう。

ところで、仏教の教えのひとつに諸悪莫作(しょあくまくさ)というものがある。諸悪莫作とは、道元禅師の教えによれば、「もろもろの悪いことを行ってはならない」から、

修行により、「もろもろの悪いことを行なおうと思っても、行なうことができない」ということになる。なお、横綱鶴竜は3月24日に引退宣言している。鶴竜は昨年、親方になるために日本国籍を取得していて、年寄り「鶴竜」を襲名し後進の指導にあたる予定である

「十勝の活性化を考える会」会長

 

注)武士道

武士道とは、日本近世以降の封建社会における武士階級の倫理道徳規範及び価値基準の根本をなす、体系化された思想一般をさし、広義には日本独自の常識的な考え方をさす。これといった厳密な定義は存在せず、時代は同じでも人により解釈は大きく異なる。一口に武士道と言っても千差万別であり、全く異なる部分が見られる。

武士道は江戸時代、支配階級である武士に文武両道の鍛錬と徹底責任を取るべきことが求められたことに始まる。狭義の武士道は、この「文武両道の鍛錬を欠かさず、自分の命を以って徹底責任をとる」という武士の考え方を示し、広義の武士道は、この考え方を常識とする日本独自の思想を示す。

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

 

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渋沢栄一と十勝開墾合資会社

2021-03-29 05:00:00 | 投稿

 

令和3年3月14日、清水町主催の“渋沢栄一と十勝開墾合資会社”の講演を聞いてきました。講師は、渋沢資料館(東京都北区所在) 館長井上潤氏で、自粛宣言継続を受けてオンラインで行われ、会場には、清水町の阿部町長のほかたくさんの観客が来ており、時の人である同氏に寄せる関心の大きさを感じました。

渋沢栄一は埼玉県深谷市血洗島町の豪農の出だったそうです。その昔、その辺りで合戦があり、家臣の一人が切り落とされた片手を洗ったので血洗島(チアライジマ)と言った伝説もあるそうですが、事実のほどは分かりません。

私は昨年と一昨年の2回にわたり、渋沢栄一氏が作った「十勝開墾合資会社」 熊牛農場を見にいったのですが、敷地内には樹齢400年のカシワの木もあり十勝の開拓が130年間しかたっておらず、歴史の一端を垣間見ることが出来ました。

また、1919(大正8)年に建てた厩舎が現役の牛舎として活躍しており、当時の建築を知る上でも貴重です。また会場には、現在の熊石農場所有者も講演を聞きに来ており、いろいろと聞くことができました。

渋沢栄一氏は“日本の近代資本主義の父”とも言われ、日本経済の発展に尽くした人物で、2024年に発行される新1万円札紙幣の自画像にもなる予定です。また彼は「道徳経済合一説」も唱えていたそうで、見習うべきことがたくさんあると講師の方は力説していました。

「十勝の活性化を考える会」会員

注) 十勝開墾合資会社 熊石農場

(情報元:yahoo検索、[撮影日] 不詳 [撮影者] 不詳

 

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本当にいやな時代

2021-03-28 05:00:00 | 投稿

 

先日、東京に住んでいる知人に電話したら、本当にいやな時代と言っていたことが、印象に残った。ヘイトスピーチには、元オリンピック組織委員会の森喜朗会長や 東京五輪・パラリンピックの開閉会式の演出を統括するクリエーティブディレクター佐々木宏の言葉がある。知人の言いたいことは、次のようなものであったと思われる。

「言っていいことと言ってはいけない言葉があるが、上の二人はヘイトスピーチを理由に辞任したが、SNSではこれでもか、これでもかとイジメのような投稿が繰り返される」と。私には昔、和人がアイヌをいじめたと同じように思えた。

また、317付けのブログ(幸せのヒント)で自分の庭のことを書き、この文章の中で、ギョウジャニンニクのことを別名アイヌネギと書き、ある女性からヘイトスピーチだと叱られた。ウキペディアで検索すると、北海道では別名アイヌネギと言われることがあると書かれていたので、差別表現なのでウキペディアから削除する必要があるかもしれない。

なお、アイヌの天才少女である知里幸恵が書いたアイヌ神謡集の序文を参考として載せよう。

 『その昔、この広い北海道は、私たちの先祖の自由な天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されて

 

のんびりと楽しく生活していた彼らは、真に時代の寵児、何という幸福な人たちであったでしょう。 (中略)

 その昔、幸福な私たちの先祖は、自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変わろうなどとは、露ほども想像し得なかったのでありましょう。

時は絶えず流れる、世は限りなく発展していく。

激しい競争場裡に敗残の醜さをさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強い者が出てきたら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがて来ましょう。それは本当に私たちの切なる望み、明け暮れ祈っていることで御座います。

けれど、愛する私たちの先祖が起き伏す日頃、互いに意を通ずるために用いた多くの言葉、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消え失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい、名残惜しいことで御座います。

アイヌに生まれ、アイヌ語の中に生いたった私は、雨の宵、雪の夜、暇あるごとにむち打って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中、極く小さな話の一つ二つを拙い筆に書き連ねました。

私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事ができますならば、私は、私の同族祖先と共に本当に無限の喜び、無上の幸福に存じます。』

 

「差別」とは、人に「差」をつけ、自分とは「別」の存在(グループ)として一種の排除をすることだと思う。人間には能力や外見など合理的あるいは非合理的な様々な違い(差)があることは否定できない。大切なことは、その事実を認めたうえで、その「差」によって人を排除しないことである。差別には様々あるが、学校などのイジメも差別のひとつだと思っている。

私が心配しているのは、イジメられないために多くの人がイジメる人の味方について、少数派の人をイジメることにつながらないかということである。

「十勝の活性化を考える会」会長

 

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大学入試の台本(10分間の自由表現)

2021-03-27 05:00:00 | 投稿

 

以下は、九州に所在するO大学の入試演技の台本である。入試は、10分間の自由演技のみの合否判定で、試験官には東京芸術大学の教授だった人もいたらしい。この台本で、何かの十勝の活性化につながればと思って掲載する。

『生まれ故郷、北海道を飛び出し、初めて九州の地に、足を踏み入れた。

大分市は、俺が住んでる帯広の姉妹都市。だからだろうか?柔らかく俺を包んでくれた。

初めの一歩、今の自分には、単なる一歩かも知れない。だが将来、俺は胸を張って、こう言うだろう。「あの時の一歩は、未来を切り開く大切な一歩だった・・・」と。

北海道の中でも、一番の雄大さを誇る十勝平野。 果てしない大空、広い大地、何ひとつ偽りの無い大自然、そんな中で俺は、18年間、伸び伸びと育った。

俺の高校、もちろん自然に囲まれている。校舎の裏には、広大な草原が広がっている。冬になると、白く輝く白鳥が天使の翼を広げやってくる。

昨年の紅白歌合戦、黒四ダムで「地上の星」を歌った“中島みゆき”は、実は、俺の高校の先輩だ。俺もいつか、地上の星になる。だから俺は、この大分大学で「自分の個性」という名の翼を、力いっぱい羽ばたかせたい。

 

~~(「翼をください」の歌をうたう)~~

 

 [いま、私の願い事がかなうならば・・・・・]

俺の高校生活、部活のラグビーと生徒会が中心だった。高校生活最後、俺は実行委員長として、学校祭を大いに盛り上げた。フィナーレを飾る花火・・・。仲間と抱き合いながら、感動の涙があふれ出た。

部活のラグビーでは、この言葉の大切さを知った・・・。 「ワンフォアオール、オールフォアワン、一人はみんなのために、みんなは一人のために・・・」。 ゴールライン間近、仲間がつないだボールをトライした時、みんなが喜ぶ姿を見て、熱い想いを感じた・・・。 俺のトライはみんなのトライなんだ・・・。

「人」という字は、人と人とが支えあってできる。今までの俺は、家族や友達、いろんな人に支えられて生きてきた。今度は自分が、誰かの支えになりたい。

ラグビーでは「前へ」を合言葉に、常に前進してきた。過去を懐かしく振り返る暇はない。希望に満ちた未来を目指して、突っ走れ!

    ~~~(「大空と大地の中で」の歌をうたう)~~~

「生きることが辛いとか、苦しいだとか言う前に、野に育つ花ならば、力の限り生きてやれ!、 凍えた両手に息を吹きかけて、しばれた身体を温めて・・・・、 果てしない大空と広い大地のその中で、いつの日か幸せを自分の腕でつかむよおー。自分の腕でつかむよおー 大分大学、トライ!

「十勝の活性化を考える会」会長

                    

 

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