十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

アイヌの世界的木彫家

2023-01-31 05:00:00 | 投稿

 

令和5年1月18日付け読売新聞の18面に、アイヌの世界的木彫家「貝沢徹氏」の記事が載っていた。その中の記事に、アイヌの「アイデンティティ」のことが書かれていた。

彼はアイヌであることを隠す人、アイヌとしてのアイデンティティ(誇り)を持っている人、北海道白老町の国立アイヌ博物館(ウポポイ)で働いている若者のようにアイヌとして生きている人の三つのアイヌがいるというのである。私の母方の先祖は北東北地方であるから、アイヌの血が流れていることになるが、私のような場合には「アイヌ系日本人」となるのであろうか。

初めて“アイヌ系日本人”という言葉を使ったのは、第一高等学校に150人中12位の成績で合格し、東京帝大を卒業して北大教授になった知里真志保氏(享年54歳)であった。彼は、『分類アイヌ語辞典』などの作成で有名であるが、彼もアイヌ系日本人だったと思っている。

なぜなら彼も我々も縄文人で、アイヌとの混血で生まれたからである。もっとも、知人のアイヌ学者によれば、日本人はすべて縄文人と弥生人の混血で、「和人」と言われた人もアイヌ(エミシ)との混血であるそうだ。

アイヌと言われ始めたのは18世紀前後で、古くはエミシ、その後にエビス、エゾ、アイノ、カイノ、エンチュウなどと呼ばれていた。エミシとは荒ぶる人の意味であって、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島東国(現在の関東地方東北地方)や、現在の北海道樺太などに住んでいた人々の呼称である。

多くの日本人に、アイヌは北海道のみに住んでいたと思われがちであるが、全国に住んでいたのである。なお、終戦直後、樺太には約27万人の日本人が住んでいて、その中に従兄の奥さん(樺太アイヌ)の5人家族も含まれていた。

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チャシ

2023-01-30 05:00:00 | 投稿

チャシはアイヌ語で、アイヌが築いた施設であって高い場所に築かれ、などで周囲と切り離された施設である。アイヌの城やとりでとして利用されていたとされる。チャシはアイヌ文化の中でも重要な位置を占めているが、アイヌによる文献史料が存在しないため、詳しいことが分かっていない。

チャシの総数は不明であるが、北海道のチャシ跡は約500カ所が確認されており、チャシの分布は道南道東に多く、特に根室釧路十勝・、日高地方に集中している。その理由は江戸時代前期のアイヌ部族の首長であったシャクシャインらが和人と戦う中で、多くのチャシが築かれたのではないかと推測されている。なお、十勝のチャシ数は、72箇所が確認されている。

ところで、日本の城というと「武士の城」をイメージする人が多いだろう。しかし、南北に長い日本列島の城を、「武士の城」だけを思い浮かべてはいけない。北東北から北海道、そして北方領土には、アイヌの人々が築いたもう一つの城「チャシ」があり、沖縄には琉球の人々が築いた「グスク」がある。

グスクとは、奄美群島から八重山諸島地域にかけて多数存在する遺跡本土戦国時代の武士の城とは異なり戦いに備えた建築物とは限らず、館や拝所であったと考えられるものもあり、地域や時期により形態や呼び方に違いがある。

琉球王国のグスク及び関連遺産群は、沖縄本島南部を中心に点在するグスクなどの琉球王国の史跡群から構成される「世界文化遺産」である。2000年に、日本で11件目の世界遺産として登録されている。これら三つの城は、少なくとも16世紀から18世紀にかけて併存したという。これほど多様な城がひとつの国に同時にあったのは珍しいそうである。

日本の城は、武士の城・チャ・グスクからできた複合的なものであった。武士の城を代表する姫路城と沖縄のグスクがそれぞれ世界遺産に登録されているのに対して、アイヌの人々のチャシだけが、世界遺産になっていないのは問題ではないかと思う。ウポポイ(民族共生象徴空間)には、チャシをイメージした迷路があったが、国立博物館であるので、アイヌの歴史や文化を知らしめるために、もっと来店客に説明すべきだろう。

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北方四島

2023-01-29 05:00:00 | 投稿

 

先日、脚注のポスターのとおり”ビザなし交流の思い出”と題する講演を聞いてきた。北方四島とは、クナシリ(国後)島、エトロフ(択捉)島、シコタン(色丹)島、ハボマイ(歯舞)群島の4つである。以前、この4つの島の漢字を読めない沖縄北方大臣がいたが、大臣ともあろう人が読めないのは、日本国民として、そして道民としても大変残念である。

講師の方はロシア語の通訳もしており、元横路孝弘知事や元高橋はるみ知事などと北方四島に数えきれないほど行っているらしい。国後島の“ムネオハウス”で有名な鈴木宗男国会議員や佐藤優元外務省職員とも親交が深いようである。

北方四島には戦争が終わった時、1万7千人の日本人が住んでいて、小学校が39校ほどあったそうであるが、今は、1万7千人のロシア人やウクライナ人が住んでいる。なお、樺太には約27万人の日本人が住んでいたそうで、その中に従兄の奥さん(樺太アイヌ)の家族5人も含まれていた。

北極海航路はいま、砕氷船により通年にわたってヨーロッパと往来が出来るようになっているそうで、そのうちに地球温暖化により砕氷船も必要なくなるかも知れないと思っている。なお、北方四島は北海道の面積の約6%弱で、十勝の半分の広さである。なお、十勝の広さは、日本で7番目の広さを誇る岐阜と同じで、とても大きいのである。

講師の話では1月15日現在、ロシアでは軍人を含めて約16万人が戦死しているそうである。ウクライナ戦争を見ていると、北海道がいつまでも平和であるとはいえず、米中の対立などを見ていると第三次世界大戦がいつ起こっても不思議でないのである。

今回の戦争で小麦など国際商品が値上がり始めているが、最も恐れているのは食料事情の悪化である。実際、戦争が起こって困っているのは、世界中の人々である。ウクライナは、ヨーロッパの穀倉地帯と言われる所であるから、日本はもっと食料自給率を上げなければいけないと思っている。

その点で十勝の食糧自給率は、カロリーベースで1,000%を超えているので、十勝だけを見る限りでは心配ない。“食たりて礼節を知る”ではないが、食が満たされてこそ人間は生きていけることができると思う。

ここで俳句を一句。  

“いずかたも 地は荒らぶれど 休耕田”

日本の国土疲弊、食料自給率の低下を詠んだ俳句である。まさに、減反政策で休耕田が増えている日本農業に関する俳句である。

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羊蹄山(蝦夷富士)

2023-01-27 05:00:00 | 投稿

 

北海道の面積は日本の約22%、人口で約4%である。北海道の基幹産業は農業と観光業のウェイトが他県よりも大きくなっている。一人当たりの生産性を見ると平均よりも低いが、これには豊かな自然や四季の美しさを考慮していないので、何とも言えないだろう。

生産力が同じであれば自然が一杯あった方が良く、ニセコに訪日外国人がくる理由は、パウダースノーのスキーができ、雪をたたえた「羊蹄山」(標高1,898m)が見え、夏も自然が一杯あるからであろう。そのためにニセコは、日本で一番地価の値上がり率が高い。羊蹄山は日本百名山の一つで、その姿が富士山に似ていることから別名“蝦夷富士とも呼ばれ、北海道民に愛されている。

北海道経済は、新型コロナでインバウンドが減って大変な状況であるが、いつまでも新型コロナが収束しないわけでなく、それまでに本当の“おもてなしを準備すれば良いのである。 

2021年の札幌で開催された東京オリンピックマラソンをテレビで見て思ったが、北の都“札幌”は綺麗なまちで、道民も自粛要請どおり自宅で応援して、ワンチームにまとまっていたようである。外国人をおもてなしするためには、日本がひとつにならなければならないと思っている。

ところで先日、50年ぶりで学生時代の知人に電話した。彼は私と違って音楽鑑賞や冬にはニセコでスキーをやっているらしい。ただ、十勝にもクラブメッド“北海道サホロスキー場”があるのをご存じだろうか。

サホロスキー場は、十勝にあるスキー場だからニセコより寒く、良質なパウダースノーと高い好天率から、国内外のお客さんから支持されているのである。札幌国際や富良野スキー場にも行ったことがあるが、北海道で一番良い雪質のスキー場のひとつだと思っている。

またテレビを見ていたら、円安が進んで外国人観光客が日本に来やすくなっている。現在は新型コロナで中国からの入国が制限されているが、いつまでも感染が拡大するわけではないので、今が正念場であると思っている。

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※ 羊蹄山

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)


本の感想

2023-01-26 05:00:00 | 投稿

 

先日、昨年の10月に出版されたエマニュエル・トッド著“我々はどこから来て、今どこにいるのか?”の本を読んだ。この本は、フランシス・フクヤマ氏が40年前に“歴史の終わり”に書いていた内容と全く逆である。

すなわち彼は、冷戦の終結により資本主義は勝利し世界平和が訪れると書いていた。フクヤマ氏は1952年生まれ。政治経済学者の日系3世で、スタンフォード大学教授を務める。本には資本主義、共産主義、人間の理性や欲望、気概(誇り)のこと等を書いていた。一方トッド氏は、アメリカや日本の資本主義である「直系家族型社会」、中国・ロシアの共産主義である「共同体家族型社会」に関して書いていた。

いま世界は、冷戦終結後30年を経てウクライナ戦争などによってひび割れを起こし、大変な不安定期に入ってしまった。国際秩序だけではなく、経済世界も、国内政治も、そして情報コミュニケーションの秩序も大きく揺らいで、世界中に不安が広がっている。また、“悪法も法なり”とはいえ、個人情報保護法により人と人とのつながりが失われようとしている。

それに加えて、私たち人類の共通の星である地球が、もはや取り返しがきかない危険性に陥っているのである。それは、最近の世界で多発している異常気象を見れば分かるだろう。まさに、絶体絶命の状況なのである。

私は理性が大切であり自己中心的に生きていけば、人類の歴史は終わるのではないだろうかと思っている。理性とは、人間に本来的に備わっているとされる知的能力のひとつとされる。我々が子作りする場合、性欲により無意識に動かされているのと同じで野生的ともいえよう。だから私は、野生的な人間といわれることが多い。

人間が理性的行動、つまり計画的行動を行なうことが出来るのは、現在だけにとらわれず過去や未来を考慮するからである。いわば、自らの欲求を抑えているにすぎないのが現実で、本来の理性に起因するものではない。例えば、ウクライナ戦争のような場合、計画的行動により極めて大きな悪を実行することが可能である。ユダヤ人の大量虐殺があるように、そのことは歴史が実証している。

理性は純粋に精神的能力であり、情動や性欲が肉体的な作用である。大変に騒がしい場所にいる時や大変に悲しんでいる時には、理性的な判断を下すのが困難になるのである。

このことは、ロシアのウクライナへの軍事侵攻を見ていると、プーチン大統領や側近にも言えるのではないだろうか。地球温暖化に伴う異常気象なども考慮すれば、人類は歴史の終わりに近づいていると思わざるを得ない。

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