十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

性と欲

2022-10-31 05:00:00 | 投稿

 

性(さが)と欲を考えてみた。このふたつを考えてみると、全てのことが理解できるようだ。ロシアのウクライナ侵攻を含めて戦争や事件、不祥事などのことである。人類は有史以来、民族間の争いや領土の奪い合いが絶えなかった。

そして今も、世界のどこかで続いている。コロナの補助金詐欺や政治家などの不祥事もすべて金銭欲などの欲が、その原因となっているのではないだろうか。

欲にはいろいろあり、人間の5大欲求については、①生理的欲求、②安全の欲求、③社会的欲求、④承認の欲求、➄自己実現の欲求がある。この欲求は、上になるほど高次元の欲求となる。

1.食べたい、飲みたい、眠りたい等の根源的な欲求

2.安全な環境にいたい、経済的に安定していたいなどの欲求

3.家族・集団をつくり、どこかに所属しているという満足感を得たいという欲求

4.自分が集団から存在価値を認めてもらい尊重されたいという欲求

5.自分の持つ能力や可能性を 最大限に発揮したいという欲求

資本主義にしても共産主義にしても、この欲求が基本にあり成り立っている。30年前に出版されたガルブレイスとメンシコフ共著“資本主義.共産主義、そして共存”の本には、資本主義と共産主義の違い、核・原発の脅威、貧富の拡大などが書かれていた。

この本を読んで思ったことは、新型コロナ禍により人々の格差が拡大する中で、資本主義の限界などを指摘したカール・マルクスが、最近、あらためて脚光を浴び、50100年も経つとお互いが良いところを取り入れているらしい。確かに、資本主義国では福祉に、共産主義国では市場経済に注力している。

IMFによれば、今年度の世界経済のGDPは昨年度よりマイナス予想となり、中国をはじめ世界の景気悪化が懸念されている。日本にも様々な影響がでるのは必至で、新型コロナ禍を機に、全ての価値観が変わるかもしれない。

なお、2021年の一人当たりの名目GDPは、1位ルクセンブルク、2位アイルランド、3位スイス、4位ノルウェー、5位シンガポール、6位アイスランド、7位アメリカ、8位カタール、9位デンマーク、10位オーストラリアとなっている。

  世界はこの2年半あまりコロナに振り回されているが、新型コロナは変異した形で再来する予想もあるので油断大敵である。ただ、地球環境を破壊してきたのは「人間」だけであり、米中の対立をはじめ国々の対立ではなく、「共生社会」の実現を図ってもらいたいものである。

「十勝の活性化を考える会」会員


自利他利

2022-10-30 05:00:00 | 投稿

仏教用語に自利他利という言葉がある。自利他利とは、仏教の修行者や求道者がみずから修行を積んで、自身がその結果を得るものを自利という。これに対して、生きとし生けるものの救済のために実践するのを利他といい、自利と利他との完全な調和に大乗仏教の目的がある。(ブリタニカ辞典より)』

私は大学に入って空手部に入部したが、当時の監督は、いつも他利のことを考えていたのではないかと思っている。そうでなければ、他大学出身の人が30年間の長期間にわたって監督を引き受けてくれるわけがない。

唐突になるが、人間にはこのような師弟関係や、持ちつ持たれつという関係、また奉仕の精神が必要だと思っている。そのような意味で監督の偉大さに対して、感謝や脱帽するしかない。

現在、部員数が45名なので、廃部にならないかと心配している。文科系や体育系に限らず、人間関係を醸成するためにクラブに入部しないことは正にもったいないと思っている。私が脳出血による介護3を克服できたのは、空手部のおかげだと思っている。人間は、ひとりでは生きていけないのである。そして、水泳の池江璃花子選手が言ったように努力は人を裏切らないのである。

監督は昨年、享年85歳で天国に旅立ったが、“人間の役割”を考えてみた。私は年齢71歳だから、寿命に近づいているのは間違いないが、現役を退いてから好きな趣味などに精力をつぎ込むのも良いだろう。ただ、人間は生きた証として、ボランティア活動など“他利”で生きることも大切だと思っている。それが、人間の役割ではないのだろうか。

話は変わるが、先日、馬文化の講演を聞きに帯広畜産大学に行ってきた。この大学でも女子学生の比率が約7割で、女性の進出が目立っている。男子学生は、どのようなクラブに入っているのであろうか。大学では、オンライン授業などで友人を作る機会が減っており、是非とも人生の友人となる人を作ってほしい。

「憂国」の本を書いたのは三島由紀夫氏で、楯の会の同志と共に自衛隊員に決起を促したが不調に終わった。女性の社会進出はとても良いことであるが、日本の国に対して憂国を感じるのは、三島由紀夫氏だけであろうか・・・。

                 『十勝の活性化を考える会』会員


老化と認知症

2022-10-29 05:00:00 | 投稿

 

老化による物忘れと認知症による物忘れとは、現象が似ているが原因は全く違っている。いずれにせよ「忘れる」という現象は、経験者でなければその辛さは分からない。

私は11年前に小脳出血を罹患し認知症を併発した。その後遺症で右半身にマヒが残り不自由であるが、リハビリ効果もあり良くなっているので、人間の自然治癒力に驚いている。

倒れてから7~8年間は夢を見ることはなかったが、最近、毎日のように夢を見るようになった。これは以前にも夢を見ていたと思うが、高次脳機能障害により記憶に残らなかったのであろう。最近、自然治癒力により高次脳機能障害がなおってきている。

自然治癒力 とは、 心身全体が生まれながらにして持っているケガや病気を治す力である。 脳出血の際、35ccの出血量を除去するために頭蓋骨を5センチぐらい割ったので、高次脳機能障害を起こしたのだろう。MRI写真を見ると出血箇所が白く写っており、今でも真っすぐに歩けないが、頭蓋骨は修復しつつある。

現在、週1回の機能回復型デイサービスでリハビリを続けているが、体力を維持することで、老々介護も避けることができると思っている。

高齢者が多くなり、認知症による交通事故などの悲惨な事故や事件が増えてきており、これを未然に防ぐには人工知能の活用だろう。即ち、老人が持っている経験や勘を利用することも大切だと思っている。

年寄りの冷や水ではないが、私は敢えて言いたい。経験しなければ分からないことはたくさんあるので、経験することは大切である。歳をとるということは、それだけ多くの経験を積んでいることだから、何事も、百聞は一見に如かずで、“現場に赴き現物をとって現実を知る”という三現主義を重視しているのは、そのためである。

私は71歳であるから前期高齢者の老人で、“老いては子に従え”という諺があるのは知っている。老人になれば、老化や認知症で“忘れる”ようになるが、老人を如何に活用していくかが重要であろう。これからの日本は、人口減少社会になっていくので、AIやロボットを効率的に使い生産力を維持していかねばなるまい。

「十勝の活性化を考える会」会員


難病

2022-10-28 05:00:00 | 投稿

元会社のOB会報に、同期入社(28名)の方が、“難病のことを投稿していた。病名は、“筋痛性脳脊髄炎“という聞きなれない脳の病気である。6年前に罹患し闘病中で、国内に数万人の罹患者がいるという。脳の免疫異常による炎症が原因といわれるが、まだはっきり分からないそうである。

難病ではないが、私も10年前の61歳の時に小脳出血を患った。出血量が35ccであったから死んでもおかしくない量である。その後遺症で右半身にマヒが残っているが、風呂に入ったりするなどの日常生活に支障はない。

彼に電話すると、今まで健康で病気ひとつしなかったので、病気の苦しさを初めて分かったという。私は自費出版本に、「同じ境遇に置かれなければ、その人の本当の気持ちは分からない」と書いたが、彼の言葉がまさにそれを物がたっている。

当初は“要介護3”でベッド生活が長く続き、首の筋力を失ったために頭を支える補助具をつけていた。私の罹患を知った会社の友人は、半年にわたり毎日のように見舞いに来てくれた。障害を克服できたのも彼のおかげだと思い感謝している。

また、水泳選手の池江璃花子選手(22)が白血病からの回復を果たし、東京オリンピックにも出場、多くの人に勇気と感動を与えた。彼女は、「努力は人を裏切らない!」という言葉を残しているが、まさに驚くほかはない。

一方、私と同じ小脳出血を罹患した人が、倒れてはじめて人間というものが分かったという。彼の書いた「何故一歩を踏み出せないのか?」の文章は次のとおりで、とても分かりやすい。

【自己紹介】

20057月、50歳のとき脳出血を罹患。言語障害(失語症)、右片麻痺の後遺症が残っている。急性期病院の医師から「社会復帰は望めない」と言われ絶望感に襲われた。25メートル泳げたという自信が、その後「勇気・希望」がもて「変容」につながり、新しい自分(居場所)を発見した。

 現在、障害を持ったからこそ果たせる役割があると公益活動に従事しながら、大学で障害者福祉をゼロから学んでいる。

【はじめに】

多くの人は中途障害を抱えると、回復の停滞感や減速感から徐々に落ち込み、情緒が不安定になり、引きこもりになる場合も多い。私も4年間にわたり希望を失い、どん底の毎日を経験した。

しかし、ちょっとした「きっかけ」(出会い)から「動機づけ」(変容)の変わり、新しい自分(居場所)を発見した。

【存在意義の否定】

 私は救命されたものの、医師からの心ない言葉で失意のどん底に陥った。さらに仕事の仲間からは「三嶋は終った」と囁かれ、人間不信にもなった。こうなると、どんどんモチベーションが下がっていった。

自分が知らぬ間に「社会的弱者」と思うようになり、障害の有無にかかわらず、人間にとって最も避けたい存在意義を失った。これではいけないと思っていても、なかなか行動に移せない、一歩が踏み出せない日々が続いた。

【モチベーション(動機づけ)を上げるためには】

一番怖かったのは、目指す絶対的な価値観がなくなり、どこを目指したら良いのか分からず、空回りが続いた。それに加えて過去の自分と比較し、それが足かせになった。

心理学者のE.デシは、「自分がやりたいことをやった時、一番能力が発揮できる」と説いている。モチベーションを上げるためには、「これだったら、自分もできるかも知れない」ことを、一つ見つけることが大切。自分ができるところから、自分のペースでゆっくりやればいい。「自分で決めたこと」をやれば高いモチベーションが保てる。

【克服へのきっかけ(出会い)】

2009年、リハビリの一環として水中リハをはじめ、一年後に25メートルを泳ぐことができた。その時の水中映像で、麻痺側下肢がしっかり動いている自分の姿を見て、それまで「動かない」と思い込んでいたことにハッとした。

 泳げたという「自信」と脳の可能性を信じる「希望」。そこから克服のチャレンジがはじまった(心のスイッチが入った)。当初、泳ぐことに躊躇していたが、指導員から背中を押してもらったことも、「きっかけ」になった。

【きっかけ(出会い)から動機づけ(変容)】

 とはいっても、どうやったら「心のスイッチ」が入るのか? それには自分を信じることと、自分ができることからはじめる。私の場合は、泳げたという「自信」と麻痺側下肢がしっかり動いている姿を見て「希望」がでてきた。

しかし、それだけではスイッチは入らない。どうやったら、きれいに泳げるのか。そのための目標を、自発的に取り組むことで「これだったら、できるかも」と納得し、意欲も湧いてきた。この過程が、きっかけ(出会い)から動機づけ(変容)に変わった(スイッチが入った)。

【動機づけとは何か】

「きっかけ」は、自分以外の持つ力、助力によるものが多い。動機づけは一般に「モチベーション」と訳され、自分が納得し意慾をもって作り上げるもの。人は何か「自信」や「希望」を持つとたとえ障害があっても、人の価値は変わらないことに気が付く(価値観の転換)。そして「意欲」は、心の持ちよう次第ですぐに湧いてくる。「動機づけ」は、心の心理的な原動力である。

【新しい自分(居場所)の発見】

人には必ず「役割」があると思う。ここでいう役割とは、お金や時間には代えられない「生きる喜び」のことである。

私は一時仕事を失ったが、私を必要としている人とめぐり合い、「まだまだ人の役に立つ」と感じるようになった。そして私は、一人で希望が持てるようになったのではなく、支える他者と共にいることで立ち直ることができた。

「十勝の活性化を考える会」会員

 


障害を抱えて・・・

2022-10-27 05:00:00 | 投稿

 

障害を抱えて”、分かったことがたくさんある。負け惜しみでないが、今までに知らなかった世界を知ったことである。障害をあえて抱えようとは思わないが、障害を抱えて人間としての幅が広がったように思っている。

視覚障害者が北海道新聞の「ひと」の欄に、子供から大人まで幅広い層に分かってもらうために「みえなくても みえるんだよ こころで みているよ」「かわいそうだと おもわないで」とシンプルな言葉で心境を表わしていた。

8年前、神奈川県相模原市での知的障害者殺傷事件を覚えているだろうか。入所者19人を刺殺、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた大量殺傷事件である。犯人は、「障害者なんていなくなってしまえ」という持論を供述していた。

一方、識者からは、「生きる価値は障害者も健常者も変わらないことを、社会は理解すべきだ」との声が出されていた。日本社会は、表立ってはいないが「優生思想」で命の選別が始まっているのではないだろうか。生産性がない人間は、抹殺しても構わないような図式になっている気がしてならない。

更に言えば、そういったことに日本社会が、それほど怒っていない印象すら受けるのである。多くの人間の命を犠牲にして幸福を手に入れることが、すばらしい人生であるとは思えない。ウクライナ戦争を見ていて、つくづく思っている。

私たちは宇宙の力によって生かされているのであって、今の社会はそんな単純なことを忘れてはいないだろうか。新型コロナの命の選別である“トリアージ”とは、まったく違うのである。

しかし、権力を手に入れた人間は往々にして、現状維持で法律などについて再考しようとしない。人間にはヒエラルキー(階層、階級)があり、正義が勝つという保証もないことである。

これらを考慮すると、次のように考えることができよう。「正義」は社会的な権力関係によって、いかようにでも恣意的に変えることができ、不安定なものであるということである。だから人間は、共生社会を創るべく他人に関心や共感を持ち、愛情を注ぐことが大切であり、正義や真理は世の中が変わってもひとつしかないのである。

「十勝の活性化を考える会」会員