Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

神々のおわすところ

2016-05-18 | 

 

八幡さんの杜(もり)が好きだ。

ここの鬱蒼とした鎮守の杜は、近在でもっとも大きな古墳の杜だ。

森林公園の高台から望むと、海岸線まで広がる田圃の中にポツンと置かれた古墳特有の、こんもりした杜が目立つ。

私の好きな場所は、だいたい人気(ひとけ)が少ない。

鳥居と山門を潜って石段を昇った境内の雰囲気は、寂れた印象。

信者さんから、たくさん寄進を集めて壮大な社殿を誇る、どこかの宗教法人とはずいぶん違う。

本来、日本の神様は、森羅万象をその懐に呑み込んだ多様性の極地といえる渾沌(カオス)の神なのだ。

バラモンだって仏教だってキリスト教だって習合してしまう。

異なる文化を呑み込み、その上、勧請(かんじょう)という増殖機能まで持っている。

残念ながら、いつの間にか(おそらく明治維新の近代化以降)日本の神様は、拝金信仰と異文化に排他的な別物に変わってしまったようだ。

さて、ここ八幡さんの杜には、日本国中のいろんな神様がおわす。

小さな祠が、そこいらじゅうに点在して霊験あらたかな八百万(やおよろず)の神々を勧請し祀っている。

バラモンの神、恵比須さんの祠は、ミニチュアの神様が雛壇に居並び鎮座し微笑ましい。

宇和島の守護神、和霊さまだって勧請している。

古墳の神様は八森さまらしい。

古墳の鬱蒼とした森を巡って神様探しも楽しい。

 

森の中で突然、携帯の着信音が鳴った。

入院している弟からの電話は、とても不穏な内容だった。

物見遊山気分で巡っていた杜が、禍々しい翳りを落としてきた。

あぁ、ここには、あらゆる日本の神様が降臨しおわす場所。

踵を返し本殿の八幡さまから始まり、八百万(やおよろず)の神様ひとつひとつの祠の前に立ち頭を垂れて祈り続ける。

「神様、お願いします」

そして今日、役所を廻り交渉の結果、見事に事態は好転して暗雲は取り払われた。

マジで、この神様は効くぞ。

信心、侮るべからべからず。

 

古代から続く埋葬の憑代に宇佐八幡の謎多き神を勧請している此処は、

その場所に立てば分かると思うが、他所とは違う独特の雰囲気を醸し出している。

隠れた四国のパワースポットかも?

最後に伊予岡古墳八幡さまの縁起を貼っておきます。

ちゃんと明日は、お礼参りに行かなければ。

 


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常識の檻 (ランスケ)
2016-05-19 23:21:08
昨夜、何気なしにチャンネルを変えたTVで、目に留まった出来事がありました。
わりとキワモノ扱いされる学者が、異端の学説を披露していました。
それを司会者を含めて周囲のタレントたちが眉を顰めて常識はずれの危ない人を見るように言下に否定されていました。

最近、読んだ本の中に「常識を疑う」という記述があったので、「あぁ、これか?」としばらくTV内の経緯を見守っていました。
私たちが常識だと思っている知見は、現代の科学で証明されたと思われる仮説でしかない。
という記述でした。
確かに、そんな事柄は掃いて捨てるほどあります。
百年前の日本では、私たちの住むこの場所が丸い惑星だと云うと狂人扱いされたでしょう。
最近の例では、宇宙を構成する物質が、実は未知のダークマターという暗黒物質によって、その殆どが占められてという新しい知見だとか。

例えば、今回の記事の内容も、勝手な思い込みや迷信の類と常識の檻の中では言下に否定される記述でしょう。
事実その通りで、弟の高額医療費請求は、私がセイフティネットの仕組みを知らない故の結果です。
日本における控除の制度設計は、すべて自己申告制ですから。
こちらから申告しない限り、そのセイフティネットは機能しません。
昨日は役所の色んな部署をたらい回しにされて、やっとその場所に辿り着きました。
まるでカフカの不条理世界に迷い込んだみたいに(笑)

でも私は、何かを信じる、とか、何かを一心に祈るという行為は、
何処かへ回路が通じるための所作だと思っています。
これだけ世界のほとんどの人たちが古来より何かを信仰し、祈っているのですから。

例えば、「気」は、どうでしょう?
気配とか気持ちとか、その場に漂う気配は、その存在が科学的に証明されていなくても、
多くの人が、その存在を漠然と受け入れていると思います。
野生動物は、視覚的には何も見えなくても、脅威となる外敵の存在を未然に察知して回避します。
おそらく私たち人類も、まだ生物としての野生の機能を備えていた遥か昔には、
今では迷信やオカルトの類だと云って退けられる身体能力を残していたのだと思います。
世界中で、そういった迷信が伝えられるということは何かそういったことがあったのでしょうね(笑)

狭量な常識の檻に囚われることより、とりあえず信じてみよう。
たぶん、一心に祈る行為が、状況を好転させる切っ掛けとなる回路を開くのではないでしょうか?

想像力の扉を開いて、自由な発想に身を委ねたなら…
Cold play のPV、「up&up」は如何?

https://www.youtube.com/watch?v=BPNTC7uZYrI
鎮守の森 (鬼城)
2016-05-20 08:52:06
市街地にこんもりした木々が茂ったところがあれば、鎮守の森ですね。ここも通り過ぎるだけですが、たぶんと思っていました。大きな神社も森に囲まれています。南方熊楠は小さな社や植栽されたものを宣伝するのはだめだと言っています。荒らされるからです。山岳信仰もこの流れ・・・よいうより根本かもしれません。
ランスケさんが書かれているように気はあるのではと思っています。一方、拝金主義はいただけませんね。和霊信仰、ありがとうございました。初年度は「謎」、昨年は「浪漫」、今年は集大成で「和霊信仰」で解説するつもりです。
日本の神様は面白い (ランスケ)
2016-05-20 10:59:49
日本の神様は面白いですね。
絶対神である一神教と違って融通無碍、渾沌を内に抱えた自然崇拝であるところが魅力的です。

明治維新の近代国家としての体裁を整える過程で、本来の性格を失ってしまったのが残念です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%81%93

ついでに謎多き八幡神についての記述も。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E

でも、どっこい、土着性の強い神様たちは、しぶとく生き残っています。
そういった原風景としての土俗の神様を見つけると嬉しくなります。

昨日、またお礼参りに伊豫岡八幡さんへ行きました。
一通り、杜の中に祀る神様たちへお礼の祈りを奉げ、本殿に戻ってくると、
初めて、ここで人と会いました。
白髪の柔和な感じの初老の方で、しばらくお話しました。
なんでしょうね…話好きの老人なのでしょうか?
ずいぶん色んなことを話ました。
両親の供養の四国遍路の旅のよもやま話とか…

まさかね…八ツ森の杜の神様とか(笑)

南方熊楠は魅力的な人ですよね。
私も中沢新一の「森のバロック」等の本を読みました。
そういえば南方熊楠賞を中沢新一が受賞していました。
民俗学や文化人類学の本を読んでいると時間の経過を忘れます。
柳田國男や折口信夫を始め、スケールの大きい世界観を披露してくれますから。

和霊信仰も面白いですよね。
ぜひ鬼城さんのライフワークとして、その世界を広げてください。
楽しみにしています。

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