Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

秋彼岸

2017-09-26 | 家族

 

彼岸の太陽は真東から昇り真西に沈む。

西方浄土への道が開けると云う浄土思想に因んだ先祖供養の行事。

日曜に墓参を済ませた。

七年も通うと、古い墓所を維持するルーティンワークが意識の大半を占める。

何代も前の風化した墓碑銘でしか知り得ない御先祖様と語り得るのも、この時間だけだ。

墓廻りを清掃して一段落して、線香を灯し墓前で手を合わせ祈る、一時(いっとき)。

今回は、ちょっと常とは変わったことがあった。

墓所の隅に脱皮した蛇の抜け殻があったのだ。

何やら、彼岸との回路が通じるこの時期に…怪しげな?

そう云えば、彼岸の入りの頃、誰かに手招きされている夢を見た。

もう身辺を片付けて、こちらに御出でということなのでしょうか?

それも、いいかな…と近頃思う。

この時期に咲く彼岸花の撮影に気持ちが傾きだしたのも、

西方浄土への道が開けるという浄土思想に出会ったことが大きい。

台風による氾濫の跡が生々しい川辺の耕作地に咲く彼岸花と

(何度やっても縮尺すると画像が劣化して真面に掲載できるレベルに達しません。残念。)

真西に沈む入日の風景を見守った。

水鳥たちの塒(ねぐら)への帰還の声が、夕闇に融けてゆく、かわたれどき…

 

 


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2 コメント

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墓参 (鬼城)
2017-09-27 08:20:54
盆暮れ、彼岸の墓参は日本人の信仰心の表れと言います。
最近、私の年になっても年中行事です。
年をとったからか、かもしれません。
立派な墓所ですね。
そしてお掃除をして、ご両親と話をし、夕方まで居られたようですね。
川面の彼岸花、蛇の抜け殻、自然現象だけとは言いがたい。
今回も色彩の妙に心を奪われました。
週末は山へ (ランスケ)
2017-09-27 16:07:20
鬼城さん、その後、体の調子は如何ですか?
ブログ最新記事を拝見すると、萩の咲く寺院まで散策されている様子。
無理しないで秋の石鎚登山に向けて体調を整えてください。
週末は雨上がりの寒気が入ってくるので、堂ヶ森から二の森へ入って、紅葉の様子を見て来ます。
お楽しみに。

萩寺の紹介にもあるように、宇和島周辺は禅宗の臨済宗妙心寺派の寺院が多いですね。
これも藩主伊達家の影響なのでしょうね。
我が家の菩提寺も同様に臨済宗妙心寺派。
禅宗らしい簡素で質実な本堂の佇まいが好感を持てます。
今回の墓参は15時くらいに片付いたので宇和島でバス待ちの時間があり、
久しぶりにお城に登りました。
あの鬱蒼とした照葉樹の森を上る苔むした石垣や石段がいいですね。
海への眺望が以前より開けているように感じたのは気のせいでしょか?

今回、掲載の画像は、日曜の墓参と翌、月曜の重信川河口付近の夕暮れの画像を一緒に載せました。
メインの落日と川辺の彼岸花の画像が、どうしても縮尺すると画像が劣化してしまい、
気分が落ち込んでしまいました(笑)
そうなるとテンションが下がり、まったく書く文章の精彩を欠いてしまいました。
もっと沢山、墓参の道中や黄昏の風景の中で、色んな思いが去来したはずなのに…
気分が落ち込むと、みんな何処かへ霧散してしまいます(汗)

なかなか難しいですね。
日没後の暮れなずむ時刻、まるで路面電車のような鉄橋を渡る明かりの灯った一両編成の列車の、
郷愁を誘う秋の夕暮れの風景に癒されました。

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