Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

2014長岡花火フェニックス

2014-09-26 | 生活、環境

 

 本当に、久しぶりの更新です。

 でも、これは自力更新ではありません(汗)

 まだ旅から帰還して、自分自身の気持ちを巧く整理して言葉に置き換えることが出来ません。

 退院後も、本はずっと読んでいます。

 赤坂真理の「東京プリズン」、小島毅「靖国史観」、内田雅敏「靖国参拝の何が問題か」

 大貫妙子「私の暮らしかた」(彼女のお父さんは特攻の生き残りです)、池澤夏樹「氷山の南」…

 どれも示唆に富んだ内容でしたが、それを巧く言葉に置き換えられません。

 唯ひとつ判ったのは、明治維新の近代化以降、国が壊滅した大戦を経ても、

 日本という国は、ずっと変わっていないという事実でした。

 それに気づくのが、確かに遅すぎました。

 (外部からの視点や、その成り立ち(原典)に戻らないと見えてこないものがあるようです)

 

 秋彼岸の墓参も終え、亡き人たちと向き合った数日でした。

 宮崎駿の「風立ちぬ」と百田尚樹の「永遠の0」のDVDを続けて観ました。

 こんな時に浮かぶのは、声高に叫ばれる正義(大義)ではなく、ささやかだけど真実を求める声のように思えます。

 スーザン・ソンタグやハンナ・アーレントのように。

 

 今日、YOUTUBEの動画を観ていると長岡の花火大会、長岡花火フェニックスの動画に当たりました。

 中越地震復興の夏の夜空に上がる壮麗な花火には、胸を打つものがあります。

 ちょうどこの時期、長岡周辺を移動していた旅の途上でした。

 日本屈指の夜空を焦がす花火の姿をどうぞ。

 時期外れですが、亡き人たちへの慰霊を込めて。

 

  2014長岡花火フェニックス

 (右下、全画面サイズがお薦め)


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3 コメント

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再び「水を差す」 (ランスケ)
2014-09-29 12:04:50
花火の動画を掲載した翌日に「御嶽山の噴火」でした。
あまりにもタイミングが悪かった(反省)

旅の間は、ずっと社会の動きからウラシマ状態でした。
帰還してみると、とんでもないことに。
ここまで社会全体の右傾化が加速していたとは。

朝日新聞パッシング(内容が原発と従軍慰安婦ですから)や
安倍内閣閣僚の日本会議やネオナチ及び在特会との関係性に対する報道の、
海外メディアと国内メディアとの温度差には驚かされました。
ついにここまで来たか、という印象です。
少し前のブログ記事に書いた私自身のコメントを、もう一度引用させてください。
危惧したことが、どんどん現実化してゆきます。


「水を差す (ランスケ)2014-06-26 20:50:23」

今、読んでいる本から少し引用させてもらいます。

山本七平の「空気の研究」を例にとって、
その場を支配する空気に対抗するには、熱を冷ますための「水を差す」ことの重要性を説いています。

今後、言論は益々萎縮して行くだろう。
過剰忖度(そんたく)によって、言論の自由が侵され続けるだろう。
しかし、私たちに出来ることは、常に自分を客体視し、
忖度する内面に敏感になることである。
そして他者による忖度に直面した時、その力に屈しないことである。
全体主義は大衆の熱狂によって蔓延する。
長いものに巻かれてはならない。
迎合してはならない。

問われているのは、戦時中に竹槍戦術が施行されているとき、
「それはB29には届かない」と言えるかどうかである。
いつの時代も醒めた人間の常識こそが、水を差す力となる。
戦争をしない国 (俯瞰)
2014-09-29 20:38:21
8月に愛媛県美術館で書芸展がありました。
篠原氏の作品「二人の父」という作品の前で動けなくなりました。
今年お父様が亡くなり愛情をそそがれたことへの感謝とねぎらいそして冥福を祈る内容でした。
最後に戦死した父(兄)そして、今年亡くなった父(弟)二人の父に惜別と感謝の言葉で終わっていました。

後日、百田尚樹氏の「永遠の零」DVDを借りました。
篠原氏の「二人の父」とイメージが重なりました。
百田氏の「永遠の0」は、同じ世代なのでちばてつやの「紫電改のタカ」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AB%E9%9B%BB%E6%94%B9%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%82%AB
四国松山が舞台・主人公滝城太郎一飛曹のストーリがベースになっていますよね二人はよく似ています。
「永遠の0」の主人公・宮部久蔵(岡田准一)と滝城太郎は特攻に志願し最後は同じように生死は描かず終わります。

百田尚樹氏が構成作家として携わった番組に探偵ナイトスクープがあります。
2011年1月7日放送の「レイテ島からの手紙」は依頼者の母が5年前に亡くなり遺品を整理していると父から母に宛てた2枚のはがきをみつけたが月日がたち肝心なところが消えていて依頼者を身ごもっていたこと戦地で戦死した父は知っていたのかを調査する内容でした。http://matome.naver.jp/odai/2131037703304656301
親子の情・・号泣です。

「永遠の0」は放送作家の経験を活かした好いとこ取りの作品(○〇○)ですね。

そして、「積極的平和主義」一応、安全保障戦略という安部総理のメッセージは今戦争をしているアメリカの同盟国としての日本はいつでも戦争に参加しますと宣言しているように世界(YES,NOがはっきりしている)からみると取られないのではないのか。

永遠のゼロ (ランスケ)
2014-09-30 00:27:03
俯瞰さん、仰る通り映画「永遠の0」は、ベストセラー作家、百田尚樹と内閣広報室による見事な合作映画でした。

主人公の青年が、亡きお祖父さんと再び出会える場所は、靖国神社しかありません。
靖国神社は、戦死者の霊を独占している場所ですから。
あの映画を観て涙を流した人たちは、靖国神社に参拝して、
国のために命を捧げた人たちに尊崇の念を抱くという仕組みです。

但し、その靖国が体現する国体の護持の意味や歴史観を知ったら、びっくりします(汗)
なるほど、これは日本以外の国は、絶対に認めない筈です。
政治家たちが靖国参拝を繰り返す限り、永遠に諸外国とは平行線でしょうね。
あっ、永遠のゼロとは、そういう意味か?

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