「はんなら」だっけ?
なかなか、やらかいおと。
「カリフラワーズ」
ファンク、すごくたのしい。
ずっと踊っていたので汗をいっぱいかきました。
オダギリジョー主演の映画「ゆれる」の音楽を担当してて、映画の話が興味深かった。
映画を観たくなった。
泣ける映画を観たい。
でも、泣ける映画です!って泣かせる気マンマンなのはねぇ、、、
うわっ、泣くと思わんやったー、なのがベストなんやけど。
まあ、映画でなくてもいいんやけど、
泣きたい。
なんでかしらんけど、渇いてる。
ん~、ちょっと違うなぁ。
厭世的になってるのかなぁ、あかんなぁ。
れっつ・ぽじてぃぶ・しんきんぐ!
プロテスタントの牧師さんと話をした。
神様のことを信じてある。
あたりまえか。
神様がすべてを創造されたとか、うんたらかんたら、、、
いやー、すごいなぁ。
こう、信じるものがはっきりとあるって言うのはうらやましい。
神とか仏とか、天国、輪廻転生、、
、、、信じれたら心安らかに死ねるんやろなぁ。
俺の場合、人々にモラルを示すためと
人々の心を救うために
昔の賢人が考えて造ったのが神様だと思っている。
そしてそれを利用することで民を治めた。
んで、最近読んだエロ本(敬意を表して「エロチック・マガジン」と言おう!)に
いいことが書いてあった。
要約すると、
「ボクは神とか仏とか極楽浄土や輪廻転生を信じない。
合理的な人間だから、どうしても納得いかない。
そこで、考えてみた。
精神と言うと、あやふやな物だけど、
物質が実在するように、精神も実在すると考えてみる。
脳=精神=心で人間は物質を知覚する。
目で見て世界を知る、つまり五感で知る、だから、
脳=心で物も心も宇宙も知覚する。
と言うわけで、心と物質は密接不可分。
心があるから宇宙をつかめる、こころは偉大、広大無辺。
だから、心の中にだったら、神や仏や極楽浄土があってもいいと思う。
これだと何の矛盾もなく理にかなっている。
でも、頭の中で整理はできたんだけど実感するところまでいっていない。」
何回か読み直して考えた。
ようするに、神でも仏でもイスラムでもなんでもええ、別に宗教じゃ無くていい、
自分のスタイルだとか 生き方とか つまり、信念を持てばええんかな と。
心に己が信じるものがあればええんかなと。
自信をもてばええんかな と。
自信をつくらなアカンな と。
どないしたら つくれるんか ようわからんけど、
やるぞー!
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