私たちの世代は小学生の頃から先生に新聞を読むように言われていた。
勿論、小学生に社説を読めとは流石に言わなかったが。
漫画のみでも、スポーツ欄でも三面記事でも良いと言われていた。
難しい漢字があったり読んでも意味がさっぱりわからなかったり。
だけど、大人の世界を伺い知るには大いに役にたったと思う。
高校生になると某〇日新聞の社説を毎日読み要約しろという先生がいた。
当時の受験にその新聞のその社説や〇声人語からの出典が多いとの
理由からだった。
今もそうなのだろうか?
大人になった今、受験のためとは言え特定の新聞の社説を高校生に薦めることはとても感心できるものではないと考えるようになった。
新聞にはそれぞれ考え方の偏りがあるということに気がついたからだ。
相反する考えの方の複数の新聞を読む事を薦めるべきだと思う。
坂の上の雲で、秋山好古が大学生の弟に「お前は新聞を読むのには早すぎる。自分で考えよ。」と叱った場面を思い出す。
が、それも今は昔。新聞文化が終焉を迎えようとしている。
実際、私も新聞をとってはいない。テレビやネットで情報を得ることの方が早い。新聞よりもwifiの環境を整える方にお金をかけるようになった。
けれど、テレビやネットではやはりもの足らない部分もある。情報を咀嚼出来ない。頭に残らない。平たくいえば切り抜きが出来ないので情報を得てもすぐ消えてしまうのである。
もっと困った事には私自身の好みに沿った情報や記事を選んでしまい、結局は新聞よりももっと偏った情報収集をしてしまっているような気がしてならない。
かといって、新聞に戻る気ももうしない。
はてさて、どうしたものか、、。