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久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺
初心者歓迎 参加費無料
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初回参加者は6:15までに来てください。
●学校やクラブなど団体研修 坐禅申し込み随時うけたまわります。
出張も致します。
費用はご希望に応じます。宿泊はありません。
◯神と仏
京都、南禅寺でアメリカ人観光客に「神と仏の違いはなんですか」ときかれ、私は「神は自分の外にある存在で、仏は自分の中にある」と答えました。彼は「お―、おどろいた」といいました。彼は、私が、「神は自分の外にある」といった瞬間、うなずきました。そして「仏は自分の中に」といった瞬間、目を丸くしてそのように言いました。私の答えが意外だったのでしょう。
仏教はインドの多神教文化の中で生まれ、中国や日本の多神教の影響を受け、その中で発展しました。したがって仏教は神を否定しませんし、日本の寺院の中には神道の祠があります。日本の仏教は神道と共存してきました。実は7世紀に大陸からの仏教を受けいれるにあったって大きな争いがありました。その後、江戸時代に「新仏集合」という言葉も生まれ、また明治初期に「神仏分離」という苦難の時代がありましたが、今日ではお互いに日本社会に共存しています。
スリランカの仏教寺院やパゴダの門は日本の神社の鳥居にそっくりです。日本の鳥居は横が二本ですが、スリランカでは三本です。実は鳥居は仏教の門だったのが、いつの頃からか分かりませんが、神社の門になったのです。太宰府天満宮のような大きな神社の門は東西南北にそれぞれ鳥居が建っています。これも密教曼荼羅の「四門」つまり発心門、修行門、菩提門、涅槃門ではないかと思われます。
いずれにせよお互いに影響しあってきたのですから、どちらが先というのではなく、共存していくべきです。仏教はインドにおいてブッダ以前の人格崇拝が基礎にあるといわれています。日本の神道もいくつか系統がありますが天満宮などは人格崇拝がその所以だといえますので、私たちは共通認識を持つべきでしょう。
◯儒教と仏教
仏教はインドではじまり、チベットの山々をこえ、中国文化を吸収し、朝鮮半島を通って、あるいは東シナ海を渡って、ブッダの時代から1200年という年月を経て日本に伝えられました。したがって地域の文化を吸収しながら伝えられました。とりわけ中国思想の儒教と古い時代の道教の影響が大きいといわれています。ここでは仏教の慈悲と儒教の忠恕を考えてみます。
もともと慈悲は慈と悲は別のことばでした。慈は友人を表すパーリー語ミッタ(mitta)からできた(『中村元仏教語大辞典』)とされ、真実の友情を表します。悲は、苦しみを表すカルナー(karunã)からできたとされています。したがってどちらも「あなたの苦しみは私の苦しみ、あなたの喜びは私の喜び」という平等の共感性があります。
儒教の忠恕は「誠実で思いやりのあること」(『スーパー大辞林』です。孔子は周の時代の政治にあこがれていて、武力で国を治めるのではなく、伝統文化で国を治めることを理想としていました。孔子は旅から旅の人生でしたが、晩年は私塾の先生ですぐれた弟子たちができ、その後の時代にも立派な弟子がいて儒教は発展しました。
ブッダ晩年の弟子は1200人をこえました。祇園精舎には1200人が寝泊まりできました。ブッダは旅の途中、クジナガラの城跡で涅槃に入りました。インドにおけるクジナガラの聖王の時代は徳による政治で平和な時代だったとい伝説がありました。ブッダは聖王を尊敬していました。儒教や仏教は弟子たちによって発展し、社会に受け入れられました。仏教と儒教の違いはたくさんあるにせよ、そのように共通するところは大切だと考えます。
波羅蜜:パラミータとは「悟りの岸に到る」という意味です。ブッダが説法された寺院は、マガタ国の都ラージャガハの竹林精舎、コーサラ国の都シュラヴァスティの祇園精舎、マガタ国のクリドラクータ霊鷲精舎など5つが知られています。当時、竹林精舎などは、おそらく建物はなかったでしょう。『法華経』などの説法の舞台となった霊鷲精舎は小高い山の上で、ブッダや弟子たちは石窟の中で寝泊まりしていました。信者たちはブッダの説法を聴くために、川をわたり山の上まで登ってきました。その川が増水することもあったでしょう。信者たちは上流まで何十キロメートルも歩いて川をわたり、丘を登って精舎にたどり着いて仏陀の説法を聴きました。それで岸に渡る、パラミータという言葉が使われたと思われます。ブッダをこの目に見て説法を聴く彼らの態度は「柔和質直者」(心が温和で偽りのない人)であった」と『法華経』「如来寿量品」にあります。
前述の「仏陀の悟りに近づくために」で六波羅蜜の教えがあると述べました。これを大乗仏教が始まった当時、紀元前一世紀から二世紀ごろのインドの社会状況から考えてみましょう。当時は東西交易の発展していく時代で、盗賊に襲われた人も多かったのでしょう。『法句経』の翻訳で有名な仏教学者友松圓諦先生(1895~1973)は「当時の盗賊は軍隊並みの盗賊集団であった」と述べておられます。そこで仏教徒はどうしたか。これが「六波羅蜜」の原点です。これは私たちの本来そなわっているモラルで、規則ではありません。これに目覚めることが慈しみに目覚めることです。
六波羅蜜=悟りの岸に至る六つの徳目
*布施=お返しのできない者に施す
*持戒=他人の物を取らない
*忍辱=取られても怒らない
*精進=常に行う
*禅定=心が定まっていて疑わない
*智慧=心に自然に起きる
自己に勝つ
戦場に出づる
千たび
千人の敵に
かたんより
ひとり
自己にかつもの
彼こそ最上の
戦士なり
『法句経』103
(現代語訳)
戦場に出向いて千回千人の敵に勝つ戦士よりも
ひとりおのれにかつ彼こそは最上の戦士である
Overcome himself
He is a mark of the best warrior who can overcome himself
than the warrior to join in a thousand fights and defeat a thousand enemies.
"Dhammapada" 103
額:「吾唯足るを知る」 吉富宜健書
●坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺
初心者歓迎 参加費無料 詳細は電話でお問い合わせください。℡0942-34-0350
●学校やクラブなど団体研修 坐禅申し込み随時うけたまわります。
費用はご希望に応じます。宿泊はありません。出張講座もいたします。
坐禅儀より
夫れ般若を学ぶ菩薩は 先ず当に大慈悲心を起こし
弘誓の願を発し 精(ただし)く三昧を修し
誓って衆生を度し 一身のために独り解脱を求めざるべきのみ
現代語訳
そもそも禅を学ぼうとする修行者は先ず当に大いなる慈悲に心の目を覚まし、ひろく皆が幸福になってほしいという願いをもち、一生懸命に三昧をおさめ、誓って人々および生き物をみちびき、自分だけのために悟りを求めない。ただそうするべきである。
’English’
The method of meditation
(the beginning) First exactly, Buddhist monk who hope to learn a proper himself, should awaken great mercy himself and pray to pass over to the lotus land for all, have to learn Zen training as working intensively, and will swear to guide all beings. Should not learn Enlightenment for only oneself. Should only to do so.●坐禅研修受け付けます。詳細はお電話でお尋ねください。
坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 久留米市宮の陣町大杜1577-1 初心者歓迎 参加費無料 詳細は電話でお問い合わせください。℡0942-34-0350