◯仏教以前のインド社会
アーリア系民族が現在のパキスタン北部のパンジャブ州に移住してきたのは紀元前1500年ごろです。彼らは馬に乗って移動しました。紀元前1000年ごろになると彼らはインド東北部ガンジス川流域にその領土を広げ、アーリア系16カ国と呼ばれる国々ができます。この時代は悲惨な戦争がつづく時代でした。小アジアのヒッタイトにその起源をもつ鉄器文化は、このころインドに伝播し、青銅製武器が鉄製になったことで、それまでより戦争が拡大し、悲惨なものになっていきました。
ブッダはそのような中、紀元前5世紀にシャカ族の国に生まれました。ブッダ出家のきっかけは『本行集経』「四門出遊」の逸話にありますように、仏陀がお伴の者とカピラ城の東西南北それぞれの門を出たとき、老人病人死人修行者と出会って、出家を決意したとあります。このことは当時、世の中が戦争の拡大で疲弊した社会であったと理解できます。
その様な中、人々は「この乱れた世の中に悟りを開いた人が現れて、私たちを苦しみから救ってくれる」という古来よりの伝説を信じていました。ブッダはそのような乱れた社会の要望に応えたのです。
◯仏陀の教えが受け入れられたわけ
ブッダの教えがインド社会に受け入れられた大きな要因は何かを考えてみます。前述のように社会が疲弊した理由は戦争の拡大に加えてカースト制度があります。バラモン・クシャトリア・バイシャ・スードラの身分制度です。国民はこれによって職業や結婚も決められていました。ブッダはこれに真っ向から反対するというのではなく「まことのバラモンとは何か」というように説得しました。
悪しきを去るがゆえに婆羅門というなり
行ずること均正なれば沙門と謂わる
おのれの垢を棄てたればそのゆえに出家というなり 『ダンマパダ』388
当時のインドでは、農耕中心の村社会が次第に大きくなり、商業が発展していく時代でした。たとえば商人のところへ地主が品物を求めて来たとします。地主は「わしは地主だ」といって値下げを要求します。あるいは支配階級だと「タダにしろ」と言ったかもしれません。物の値段はだれに対しても同じ価格ではなかったのです。
それが平等を旨とするブッダの教えですので、商人は喜んで信者になりました。今日でいうところの「定価販売」です。ブッダのもとに多くの商人が入信したのはそのような理由です。「行ずること均正」とはそのようなことです。
近代まで西洋社会は奴隷を使って経済発展してきました。それは事実です。ブッダの時代、ギリシャやローマでは市民の半数が奴隷でした。その時代にインドで仏陀は「人は生まれながらに平等である」という教えを説き、実践しました。これは驚異的な」ことです。
◯ブッダと商人
『ダンマパダ:法句経』の翻訳で知られる友松圓諦(1895~1973)は次のように述べています。
(仏教は)は商人階級に非常に受け入れられました。いちばん大きい代表が長者です。今で申しますと金融資本家です。その一人が祇園精舎を建立したのです。(--中途略--)よくお寺さんのことを導師といいます。導師とは導く師です。しかし元来、導師とは経済用語なのです。原語ではサッタバーハ(sãrtha-vãha)キャラバンを引っ張っていく人なのです。指導者が導師なのです。その時分は導師が村や町を歩きまして、「今度はずっと向こうのパキスタンのほうへ商いに行くのだが、塩のあるものは塩をもってこい、品物のあるものは品物をもってこい」と集めて、隊商を作って旅行に出ます。この場合、階級はいらない。
----ですから「仏法は市の如し」と経典にはたびたび書いてあります。
----人間の価値そのものを見ようというのがヒューマニズム、人間性、これが仏教の根底なのです。ですから(仏教は)商人階級とガッチリ手を組んだ。
『浅草寺佛教文化講座』「仏教の経済思想」第11集1966より
あるとき、モッガラーナとシャーリープトラが250人の弟子たちを引き連れてブッダの教団に入門してきました。そこで教団組織の規則を作る必要ができました。そのとき参考にしたのが商人たちの組織運営です。仏教の組織はサンガと呼びます。4人以上の比丘たちで組織されます。サンガは元々商人の集団、あるいは政治的には共和国のことです。商人たちは月に二度集会を開き情報交換をしました。これをウポーサタとよびました。ブッダはこれを教団に取り入れました。教団では月に二度、ブッダの教えに反しなかったかどうか反省会をしました。前述の導師も同じです。そのように仏教はインド社会の商業と共に発展したのです。
◯ダーナパチ
日本語の旦那さん、檀家さんの語源はインドの言葉、ダーナパチ(dãna-pati)で「恵みを与える人」という意味です。ブッダは苦行の後、川のほとりで倒れたときスジャータに牛乳入りの粥を施されて息を吹き返した。スジャータは仏教における最初のダーナパチです。仏教は与えることから始まったといっていいのです。
先般、友人の案内でスリランカの建築中の寺院を訪れました。白いパゴダやブッダ像を建築中でした。スリランカでは山の上にお寺を建て、町を見下ろすように大仏を建てるケースが多いのです。その理由を尋ねると「ブッダが見える町では犯罪が少ない」のだそうです。
この日、そのお寺の近くの銀行に支店長さんを訪ねました。40代の若い支店長さんで、イギリスに留学の経験があるそうです。支店長さんがこのように話してくれました。「アジス氏の設計で今、この町にお寺を建築中です。今、スリランカの国も景気が悪いのです。この町の人たちも経済的に苦しいのです。その中でみなさんはお寺のために寄付をしています。アジス氏がこの銀行に口座を開いて、その世話をしてくれています。」と。
これを差し出したら見返りがあるとか、こうしたら良いことがあるというのではなく、利害をのりこえた支え合い、それがダーナ:布施です。ブッダの教えの「我無し」はこのようなことです。