臨済宗南禅寺派圓通寺

Zazen 法話のページ

日本の祖師のことば

2024-01-28 | Zazen
大いなる哉、心や
天の高きは極むべからず
而るに心は天の上に出づ
地の厚きは測るべからず
而るに心は地の下に出づ
日月の光は踰ゆべからず
而るに心は日月光明の表に出づ
 ――栄西禅師(1141~1215)――

魚は水中にありて水を知らず
人は妙法にありて妙法を知らず
 ――夢窓国師(1275~1351)――


心のもとは無一物なり 
心の動は第一慈悲なり
直なり、和なり、物の哀れを知るなり

生きながら死人となりてなりはてて思いのままにするわざぞよき 
 ――無難禅師(1603~1676)――


未だ道を得ざるに、
一時坐禅すれば一時の仏なり 
一日坐禅すれば一日の仏なり
一生坐禅すれば一生の仏なり

経、陀羅尼と云うは文字にあらず一切衆生の本心なり
 ――聖一国師(1202~1280)――


かたじけなくもこの法を一度耳にふるるとき讃嘆随喜する人は
福を得ること限りなし

 ――白隠禅師(1685~1768)――

坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 
久留米市宮の陣町大杜1577-1 圓通寺 
初心者歓迎 参加費無料 詳細は電話でお問い合わせください。
℡0942-34-0350
初回参加のみ千円。二回目以降つづけていただければ無料です。
●学校やクラブなど団体研修 坐禅申し込み随時うけたまわります。
出張も致します。費用はご希望に応じます。宿泊はありません。 


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インドの昔話 2

2024-01-18 | Zazen
  • 三階建ての家を建てる
『百喩経』に次のようなたとえ話があります。

あるお金持ちが隣町に行ったとき、立派な三階建ての家を見ました。その金持ちは自分の街に帰ってきて大工さんを呼んで尋ねました。
「私は隣町で立派な三階建ての家を見た。あなたはあのような三階建ての家を建てることができますか」
大工さんは答えました。
「はい、できます」
その金持ちは言いました。
「立派な三階建ての家を建ててください」
すると大工さんは家の基礎工事を始め、1階部分の工事を始めました。
するとその金持ちは言いました。
「大工さんよ、私は1階や2階ははいらない。3階部分だけでいい」
大工さんは言いました。
「ご主人さま、1階や2階がなくては、3階は建てられません」
それでもその金持ちはそのことが理解できません。
「私は3階だけが欲しい」。そのように言って大工さんを困らせました。

このたとえ話は何を伝えたいのでしょうか。それは仏教には「基礎が大切だ」ということです。インドで大乗仏教ができたのは紀元1世紀から2世紀ごろです。ブッダが教えを説いて500年以上が経ったころ、仏教は宗派分れをくり返し20の部派に分かれたと伝えられています。仏教はそうとう混乱した時代だったようです。そこで民間人の協力でインドの民話を取り入れた経典を編集するグループが出て来ました。ヒンズー教を取り入れた宗派もできてきました。その様な時代に『百喩経』が編纂されたとおもわれます。
この経典に説く「仏教の基礎」とは「仏法僧」のことです。仏とは「ブッダ」で、法とは「ブッダの教えや規範」です。僧は「サンガ」のことで「法を伝える集団」の意味です。「ブッダの教えは集団でまもっていく」ということが大切です。禅宗はこのことを大切にしています。
一般の生活や学業においても基礎が大切であることは言うまでもありません。小中学校は基礎教育期間です。看護師さんや美容師さんになるためには、国家試験がありますが、そのまえに基礎教育が必要です。


坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 
久留米市宮の陣町大杜1577-1 圓通寺 
初心者歓迎 参加費無料 詳細は電話でお問い合わせください。
℡0942-34-0350
初回参加のみ千円。二回目以降つづけていただければ無料です。
●学校やクラブなど団体研修 坐禅申し込み随時うけたまわります。
出張も致します。費用はご希望に応じます。宿泊はありません。
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インドの昔話 1

2024-01-16 | 坐禅研修
  • 正しく見る
昔、ある王様がゾウを前にして7人の小人にたずねました。
「ゾウはどんなすがたですか?」
ゾウのお腹をさわった小人が答えました。
「ゾウは壁です」
ゾウのシッポをさわった小人は言いました。
「ゾウは箒です」
ゾウの耳をさわった小人は答えました。
「ゾウはゴミ取りです」
ゾウの頭にのぼった小人は言いました。
「ゾウは岩です」
ゾウの後ろ足をさわった小人は答えました」
「ゾウは臼です」
ゾウの牙をさわった小人はいいました。
「ゾウはシャフト(長い棒)です」
ゾウの鼻をさわった小人は答えました。
「ぞうは長いものです」

この話は『華厳経』その他の経典に出てくるたとえ話です。これは何を伝えたいのでしょうか。物事を正しく見るには一点だけをとらえて判断してはいけないということです。それは人間でも同じです。たとえば小学校で「担任の先生はきびしい」と思うことがあるでしょう。本当はやさしい気持ちがあって、生徒に厳しいのです。お父さんやお母さんも同じです。
ではどうすれば物事を正しく見ることができるでしょうか。仏教には坐禅、念仏など体験を通して「正しく見る」ことを学ぶ方法があります。それにはまず合掌です。もとはインドの習慣だと思われます。おそらくはブッダ以前からあると思われます。合掌をして嘘はつけません。そのように合掌には不思議な力があります。
念仏は英語で「インボケイション・アミダブツ」といいます。「阿弥陀仏の呼び出し」という意味です。自分の中の阿弥陀仏を呼び出すのだから、悪いことはできません。物事を正しく理解するには「合掌」をする必要があります。「ありがとうございます」、「おせわになりました」という感謝のことばも「合掌」すると自然にでてきます。



坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 
久留米市宮の陣町大杜1577-1 圓通寺 
初心者歓迎 参加費無料 詳細は電話でお問い合わせください。
℡0942-34-0350
初回参加のみ千円。二回目以降つづけていただければ無料です。
●学校やクラブなど団体研修 坐禅申し込み随時うけたまわります。
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