前編で『完璧に権威主義を刷り込まれた人』が現実の社会で公務員をしながらまんま、生きている事が衝撃的だったと書いたけど……。
ソコまで『刷り込み』というものは人を支配してしまうのか?……ソレが正直な感想だった。
『刷り込み』は親は勿論学校でも、社会でも執拗に降り注いでくるモノだと思うけど。
エラそうに書いている僕にも、思わぬ刷り込みが気付かぬ内にされていた。
育つ家の環境……集まれば親戚の人達の我が子の学歴自慢合戦が日常だった。
家族の入院騒動がおよそ十年続いたお陰で……僕は……物心ついてからはトム・ソーヤの様に……自由だったけれど。
要するに親の目も手も僕に掛けれなかったのである。
ソレなのにいつの間にか?僕は……権威主義を心の何処かに仕込んでいた。
それに気付いたのは自分で独立して……学歴なんぞ何の役にも立たないと思い知ったからだろう……。
『自分で勝負出来ない人間』は自分の仕事を守れない❗というシンプルなルールが僕からそんな『悪い予断達』を削ぎ落としてくれたんだと思う。
アパレルにせよ飲食店にせよ……自分のセンスとソレをどの様に……体現出来るか?それしか問われなかった。
『体得した当たり前』が差別とか権威主義とかの無力・無価値を僕に叩き込んでくれたんだと思う……。
基礎学力はとても大事だとお断りしての話……ですよ勿論。
自己診断して自分は、自分以外の刷り込まれた情報で人を事を判断してる節がある?……となったら……徹底的に今の自分が『無駄と感じる事』をトコトン演る事をオススメします。
それも自分の価値観から一番遠く離れた位置にある下らないと感じる事?か……自分には無理と思う事柄に手を出してみて欲しい。それも演る以上は目一杯で……。
何でも良い。刷り込まれた感覚では無用と感じる事ならね?
要は……『初体験を演る事』が肝心なのです……。
僕の体験ではソレが一番自分の才能にフィットした事でした。
その二つが僕の今の仕事です。
自分は田舎モンだからと拒絶してたのです。客としてなら店に出入りしましたが……自分が供給側になるなんて?……と。
考えて見れば……この二つ、『権威なんて全く受け付けてくれない』という『本人次第の世界』だったのです……。
権威主義を刷り込まれてた僕は……きっと怖かった?んだと今になって思うのです。
権威主義者はひどく失敗を恐れます。他人の目線命ですから。
そういう、今までの自分が演ったことがない事柄なら『安心して失敗』出来るのです。その失敗出来る心地よさが……自分から『刷り込まれた邪念』をユックリ消し去ってくれる筈です……。
何故?こんなこと書いたか?
刷り込みの権威主義者の人生は面白くないからです。
それと……権威主義の人生は『自分の人生じゃない』からです。
そんなの窮屈な思いを自分に強要しながら人生が過ぎ去って行くなんて余りにも勿体無い❗と思う……からです……。