サンチョパンサの憂鬱

僕は……生き神様じゃなかった

日常の会話には知らず知らずで、重要な決め事が交わされていることがある。
コレをウッカリ?なんてのはあっちゃならない話だけど……。

よくポロリと記憶から溢れ落ちる事もある。
それでも気付いた段階のご免なさい!で大抵は笑って許し合えるモノである。

しかし、重大な過ちを犯した後となれば……被害者の人間が……もう良いから!と言ったって当の本人にすれば冗談じゃない。私は私を許しませんから!……位の覚悟で自分を律してこそ、その人のプライドは回復へ向かうんだと思う……。

何とか仏心を掘り起こして、まあまあ人間の演る事だから……とギリギリの所で許した人間の心を他所に……『味をしめた?』かの様にその手口が常套手段と化す人ってのが結構居た……。

余りの『当たり前の顔して演る』ものだから……当初はあれ?俺?何かやらかした?なんて考え込んだ事もあった……。

人違えどもそんなこんなが時折起こる事を横で見てた人達が異口同音で僕に告げた……。

『人を観て善意を与えなさい!』というモノだった。
悪心の虜になって、それを武器かの様にトンでもない誤解をウリにしてる人を相手にあなたの様な事をすれば……相手が勘違いするのは当然です❗……と。

『何をしても許すぞ!コイツは』……となるだけでその人の為にも、当然あなたの為にもなる訳が無いでしょ?……と。

人間的失態、失敗を犯した人間が……改俊の情を示してからの話でしょう?
そりゃそうだな?……『独り善がりの最たるモノ』だったなぁ?とイタク反省したのだった。

『自分の許したい!』の気持ちに負けてたなぁ?……と。
許したい!と許しても良い!の判断は混同しちゃ駄目だったのである。
ソコの判断はその後の相手の心と態度次第だったのだ……と気付いた。

鋭い指摘に過去の虚しい数々の誤謬が一気に因数分解出来たのだった。
早く快適になりたいという気持ちに負けて『綺麗にまとめた積もり』でも相手の心は一切手が付けられてない悪心のままだったのである。

そういう常態の人は……ギリギリの我慢して許した人を単に『与(くみ)し易し』としてより醜悪に利用し始めるのである。

思い上がりの極致だが……彼等彼女等は『成功体験』として理解するのだから仕方ないのである。

そういう重要な過ち……。
僕のような『神様仏様じゃない人間』には安易に許しを与える力はないのである。

何より当人が『許しを求める』という人間界のルールに乗って初めて動かせる話だったのである……。

僕は生き仏にでもなった積もりだったのか?……相手には単なる『いい顔しい』としか映ってなかったのである。

今となっては嗚呼!恥ずかしい……なぁ。
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