確かに日常を抜け目なくこなせる人には違いない。
僕は……ソコには余り興味がない。勿論生活運営に支障をきたすレベルは流石に困り者となるけれど……。
暗黙の了解とか阿吽の呼吸とか本来の信頼とか信義とか道筋、本筋とかいう根源的な人間の約束事っていうのが、実のところ世の中を支えている。
ソコに目を配ると日常の人間が得ている評価など余り役には立たず、人間の筋道を通すか通さないか?……交流が美しい舞いとなるか醜悪、俗的なモノに堕するかを決めている様に思う。
それを通すはとても難しく、特に状況的に追い込まれたシーンで問われる事が多い。当然、心弱きに流れ、その不文律を犯すことは多い。
その本筋って奴は犯した事よりも間違いを『正さない事』によって明白になってしまうモノなのかもね?……とも思う。
それを放置して薄っぺらい自己正当化に流れている人達は……その逮捕される事のない人の法を犯し犯される関係の中で保身の為の合従連衡に血道を上げるってな様相が日常化している。
その舞いは序・破・序・破・序・……を繰り返しどの話も『急』の段階を迎え完結する事なく新たな演目の『序』が混入し始まるといった体で……本人の思いを他所に一向にまとまらない時間を過ごしている。
『忙しい』の口癖で目に見える事のない魂の交流を果たせないまま、ただ気忙しく時を逃し続けてるといった風情である。
本人の思い上がりを他所に……物悲しく
もありその笑顔は寂しく苦悶の表情にさえ見えてしまうのである……。
カネ・ヒトが……ヒトを試し、そのカネ・ヒトもまたヒトに試されている?のである……。
筋が良く、筋の通った舞いは流麗であることは勿論……岩をも貫く意思の力を感じさせ……観る者を圧倒するのである……。
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