サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……『僕の愚かな失敗』の教訓

よく……リーマンやOL達から……貴方は良いですね?演れば演っただけ貰えるから……と言われたものだった。

僕もまた『ソレを確信していた』のだった。
脱サラ時代の僕の勘違いは二つあった。
 
一つは……会社の信用で僕の無理強いも取引先はホイホイと聞き入れてくれていたこと。ソレを自分の力と目一杯思い上がっての勘違いだった。例に漏れず僕は僕自身の力では何一つ通用しないと思い知ったのだった……。

二つ目は『裏付けの無い自己信頼』だった。
『自分のことだから目一杯頑張れる』っていう思い込みは全く間違っていた。
自分が我慢すれば迷惑はかからない?そんな理由で僕は人に譲りまくった。
オマケに横着もしまくったのだった……。

人多く…いとも簡単に『自分を犠牲にし、自分を傷付ける』のである。

最近よく、自己肯定感が低い。自尊感情が希薄なんて問題になる。
差し迫るシリアスとか強いストレス味わうならと…人は安易に簡単に自分を差し出してしまうのである。要は自分を犠牲にしてしまうのである。

現代のニッポンはこの多くの『自分を人身御供に差し出す人達』の犠牲の上に成り立っている……と言って良い環境が出来上がってしまっている。

『怒る勇気を忘れた羊たち』が消費税というもの一つに富裕層には蚊に刺されたとも思わないカネ。
貧困層は……劇薬に近い『痛税感』を体内に溜めながらそれでも自分を犠牲にし無理やり笑顔さえ作っている。
耐性に限界が来れば……命さえ差し出してしまうのである。

ことほど左様に……人間は弱く『自分を主張することを躊躇する』存在なのである。
『コレが自分!!』と知っておきたい。『ソレが人間!!』と他人を見詰めたいと思うのである。

困窮者を眼前にしたとき『余計なお節介』なんてないのである。手を出さずしてお前は?人間か?……と自分に問える人間性を回復しなきゃね?って僕は思う様になった。

志願して自分が故なき理不尽な犠牲になる?
どう考えても『不自然』なのである。
不自然なニュアンスは人間の根本的間違いを知らせ来る天からのシグナルだと思うのです。
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