なんて知ったかしながら……誰も読まないブログなのを良いことに書いた事があった。もっと極端に才能が『枯渇した?』なんて表現を使ったかも知れない。
『海辺のカフカ』辺りまでが我慢の限界だった。
『また?そうなるの?』……と。
1Q84で疲れきって『騎士団長殺し』は中途で投げ出した……。
村上龍は『笑うクジラ』がもうダメ!の限界点となった。
今日のYahoo!ニュース?だったかアメリカ人の女性文芸評論家が……村上の作品は『コピーのコピーのコピー?』と結構長い文章で同様の指摘をしていた。
その間……彼はノーベル賞候補?なんてこの国では『権威』そのものとなっていった。
僕は……『ノルウェイの森』、『ネジ巻きクロニクル』辺りまでは素直に作品の中に『入っていけた』のに……。
1Q84だったか?三人の小人達が糸を紡ぎだしたシーンで僕は真面目に読む事を完全に諦めた……。
何が?言いたいか?
『皆が口々に誉めている対象』をそうかなぁ?……僕には詰まらないんだけど?と感じたまんま正直に表明する事はとても恐怖を伴うものだ……と言いたかった。
その俊巡は……対象の権威と『皆の肯定』が威圧感となり、一方では『自分なんか!』というコンプレックスがあり、それらが混じり合ったメンタルをベースに生まれるのかなぁ?
文学作品ならシャカリキ主張なんて必要ないけれど……人に直接弊害が及ぶ事柄に対しては……『素直第一』に心がけなきゃね?……と、その評論を読んで思った…。
橋本徹氏の体幹と背骨がない軟体動物の様な『枝葉末節の役所技術ばかり』の小器用知ったか解説なんて要らないよね?……ソレを……橋本徹の解説を鵜呑みにしてる多勢に素直に言えるか?……。
『人が不愉快になる事は止めとこ!』なんて自分を説得して……ドンドン不愉快にばかりなるそんな自分を生きてきた気がする……。