サンチョパンサの憂鬱

思ってる事と演ってる事の違い?

ちょっと前のある週刊誌に60~70年代のフォークシンガーの特集が組まれてた。
戦争反対、人種差別反対、あらゆる権威に反対……とプロテストソングが世界を席巻した後の時代。

そのプロテストソングも観念的となり、時代がそれなりに安定してしまった時……人間の内面の心理を切り出して表現し始めた吉田拓郎を特筆すべきシンガーだと誰かが書いていた。

✳ 思ってる事とやってる事の違う事への苛立ちだったのか?……✳吉田拓郎 『間に合うかも知れない』の一節

『何かが違う?……』そんな思いを囲うのは若い時分特有の苛立ちだ。ひと歳取れば流され上手になりそんな事に悩まなくなるのか?悩める余裕がなくなるのか?……。

さらりと唄われたそんな歌詞にドキリ!としたのを覚えている。
青臭くイッパシに権威に逆らってるポーズの下に、就職を上手くやらなきゃ!なんて下心を隠してた訳で……。

それ……言うか?的に驚きそして楽になった。

そつなく綺麗に纏めれば観念的となる。然りとて本音本心で突っ走れば軋轢に見舞われる。そんな『二重人格的な後ろめたさ』は誰にもあるのだ……という安心感とソコを言葉にしてバラす勇気がカッコいいのか?と思った。

戦争反対を表明するのはある意味簡単だ。『文句無しの正義』だからだ。

自分の卑怯さや卑劣さを認めさらけ出す事の難しさ。
しかし本当の前進を果たすにはそのマイナスの位置に在る自分を認知しなければ始まらない。

何処までも美しい郷愁を誘うかぐや姫の『神田川』とはまた別の……嘘を暴かれてドキッとする様な鋭角的な感覚は彼の歌特有のモノがあった。

その系譜は尾崎豊に継承され、より繊細で鋭利な刃物の様な歌詞が、ど中年となった僕のメンタルを刺し貫いたのだった。

IT時代になって、情感が感じられない視覚的ミュージックが主流となったけれど、そのITとて創造主は人間であり……かのスティーブ・ジョブズの燃える様な情熱と挫折。そこからの復活劇はメンタルを刺激して止まない。

本気じゃないモノは心を打たない。
これだけモノ溢れ、便利至上主義の時代に在って人を自分を揺り動かす為には、自分に正直であること。そして何より自分の本気に身を任せる事しかない。

自分に後ろめたさが在るなら大丈夫。
未だ正常なメンタルが作動してるって事だから……。
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