サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……弱者の定義

コロナラプソディーの一年余り……手は変え品を変えても……手を打ち改善を担う責任者、公共組織が悉く『変われない・変わらない』『失態を繰り返した』一年余りだった。

失敗と言えるほど高尚なモノじゃなく正に失態……特異な臨機に在っても応変なんて望むべくもなかった。
安心・安定と呼ばれた公的職業の人達に染み込んだ『今迄に追随』する神経は最早、DNAと化したのだろう……。

当たり前の話だけど、コロナウイルスの危険は変異によって変わらずに待っていてはくれなかった。
その性質は酷く悪化したモノとなっている。

民間に於ても『政府の無策を理由』にして飲み歩く人達多く……結局『命の危険』が我が身とならなきゃ分からない……『思い知るという方法』でなきゃ我が身に取り込めない人多数……。

生きる時間に無駄はない❗❗

『臨機応変』という『生存戦略を描けない』公的職業の方々も……『飲むという目先の快楽』を自分の、家族の命の危険そっちのけでチョイスする人達……。

生きる時間に無駄はない❗❗……。

最近僕は
そんな彼等こそが『本物の弱者』なのだ!と思う様になった。
『本当の弱者』というモノが理解できる様になったのである……。

『命懸けの楽と快楽』を何の思慮も想像力も疑問もなく実行に移す……『前頭葉の思考を欠いた短慮の極み』を観ていると……『牙と爪を失ったライオン』を観ている様で……もう、そんな彼等に対しては怒りより痛ましさのみに支配されてしまうに至った……。

冷酷な世の条件と対峙して、ある者は自らホームレスを選択し、ある者は力尽きて餓死にまで追い込まれている。
しかし、彼等は少なくとも弱者なんかじゃない!……全身全霊をかけてその自分の命と条件を背負い切っている勇者なのかもよ?……と。

利権とか、ソコから零れ落ちる利得に連綿と執着し逃れられなくなった政界、官僚という人達の……常軌を逸した『欲の皮』その究極の突っ張り具合を目にすると……哀れとしか映らなくなった。

ここに来てさえも……『そんな生き方の終焉』を一ミリも予測・感知出来ない『前頭葉』の未発達な『思考力の貧困者達』
の末路は……最早、予感・予知のレベルじゃなく『確信をもった予測』として直ぐソコにある危機だからである……。

ドイツでも日本でも……かつて『凡庸をウリにした人達』はその『無思考の罪』を大戦によって、自らの窮地によって、場合によっては命を以て償わされたのである。

彼等に対して批判してはならない。
彼等こそが……本物の弱者達なのだから。

心ある者達は、彼等に愛を以て接しなければならない。
心ある者に何より大切なのは……『その後の段取り』を思考するという責任がある事……それを忘れてはならない……。

再度言う。
気付いた者には行う責任がある!……のだと……。


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