サンチョパンサの憂鬱

人物観察のプライオリティ

俺はここに居る!私はここに居る!……そんな誇示したいお気持ちも察しますが……『目立つ』というのはあくまでも第三者の目線に判断をお任せして淡々と作為なく生きる方が楽しいと思うけどなぁ。

自分の存在を大切にする事。それはとても良い事だと思うけど……問題なのは『大切の仕方』って美学が問われる所である。

されどされどされど私!と執拗に自分の事ばかりを強調するってのは却って美学的にはイケてない。
たかが私!……と自分を扱った方が絵的には随分と美しくなる場合も多いのよね?……。分を弁えてるって意味で……。

『されどな人達』が普段他人の事を扱ってる様に少し、たかがと……傍若無人に自分を扱うのも面白いかもよ?……普段の自分が少しは客観的に認識できるかも知れないから……。

ま、難しく拗れてる問題ほど正面突破が有効になるんだけれど……普段理不尽に自分を過大評価して人に当たってるされどな人は……いざとなるとそんな時勇気を失ってるのかも知れないなぁ。

自分の事をイケテるかどうか?
案外自分の事の把握を間違ってるのかも知れない。
自分の事を何時も大物として捉えたら世間舐めるわなあ~そりゃ。

人の事ばかり見ないで……時には自分って奴の本質を知ろうとする事が大切なのですよ~って言いたかった……。

プライオリティはまず自分を深く観ること。そうすると他者の心の深い所に隠されてる『本当』が見えてくる。

それを先ず『他人の目線』、『他人の評価』から自分を考えると全く見えてこない。
自分の本当が見えてない人間なのに『他者の本当』なんぞ見える訳がない!というシンプルな原理に気付いて欲しいと思うのです。

『自分が嫌なのだから……』、『他者も嫌なんじゃないか?』……それが『常識』って奴の理解の原点なのですから……。

他者を先に観てから自分を考える人は……自分を変える必要を見出だせない。
『他者用に変えてしまってる自分』には既に手を付ける必要なんぞ見付かり様がないのは自明の理なのである。
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