『メンタルノイズ』について前に書いたけど……それから逃れる為の方策として……『ジャッジ癖』を止めるというのがあった。
知らずしらず人や物事を『ジャッジしている自分』に気付くと……少しずつメンタルノイズから開放されていくのだとあった。
その態度は取りも直さず『自分が自分に向き合う態度』でもある。
何時も自分をジャッジしては自信喪失に導いている?
○か?☓か?の二者択一の答えの間に『どちらでも良い』というグレーゾーンを用意する。
例えば……誰からも好かれる自分。誰からも嫌われてる自分。という対極にある極論のモデルの間に『どちらでも良い自分』ってモデルを用意すると自分のジャッジからエスケープ出来る。
誹謗中傷に悩むのは、この対極の二つの判断モデルしかないからで『どっちでも良いやの自分』が居れば……小島よしおよろしく『そんなのカンケーねぇ!』と自分はジャッジの呪縛から逃れられるのである……と。
先般から書いてきた『明らかに極める=諦める』と同じことなんだな?と思った。
我が心さえままならぬ自分に…他者の心なんぞ左右出来よう筈も無くって事である。
そうなると自分も他者も『客観の海に浮かべて』等しく俯瞰する立場が手に入るって運びなのである……。
因みにネットで炎上させ騒ぎ立ててる人は七十万人中に一人しか存在してないんだそうな?先日NHKが取り上げていた……。
芸能人観てても…他者のスキャンダルに口出し、ダメ出ししてる奴は最近とみに面白くなくなった人であるという定理が見えてくる。
無意識に自分をジャッジして責めているその裏返しの言動なんだなぁ?……と。
そのジャッジ癖の基準って奴が……自分の本心じゃなく6才までに『刷り込まれた偽りの思い込み』なのだと言われると……とても哀しくなる。
『自己肯定感』なんぞにかまける必要はない。
大切なのはホントの自己基準に基いた『自己納得感』なのだという筆者の主張に……丸々賛成である。
それは最近の僕の体験から得た実感とそのまんまシンクロしたのである。
長い時間をかけて得た『自己納得』と引き換えに多くの誹謗中傷ネタを提供することとなったけれど……。
シャーデンフロイデとかルサンチマンとかを求めやって来る人達が僕を見るととてもガッカリするのである。
僕の納得感は彼らの『負の感情のジャッジ』に何ら取り合う暇もなく……『納得を以て』前を見ているからなんだと思う……。