打たなきゃ良いでしょうね……?
解らないのはそれはもう大きな声でそこら中に喧伝しなきゃぁ気が済まない?といったニュアンスなのである。
一方で『何故?打たないのか圧力』を発する勢力もある。
『自分の正義』の出自やソレがナンボのモン?という事について……何時から僕達は冷静な判断を失ったんだろう?
『自分と違う』という事ことを許さない、許せない。
その狭小さは……肝心の自分の心を落ち着きのないモノに仕立て上げ絶えず自らを抑圧する運びとなっていく。だからまた攻撃性を高めるというスパイラルにハマっていく……。
『議論というものがトラブルと翻訳』され、お互いが主張を喋る口だけとなり聞く耳は一切持たないという餓鬼の喧嘩状態に明け暮れる。
先般亡くなった知の巨人立花隆さんが喋ってるビデオが流れた。
何であれ最後にはその組織のトップが責任を取る!そうでなきゃその組織は瓦解する……と語っていたけれど……。
その言葉が懐かしのメロディを聴くみたいに耳に響いた……。
そういう『正義』を語っても場違いじゃなく議論討論の中で骨格であり得た時代。思い返せば随分と健全だったのである。
『如何に出来ないのかの理由』を流暢に喋る人間がトラブル?シューターとして重宝され…出来ないなら責任放棄じゃないか?の声を上げる者達は事前に至極丁寧に省かれている……。
そんな『上手く運んだ劇場』は官民問わず上から下まで様々の組織で定番の運びとなっている。
『自分の正義』しか受け付けない人達の『発信とやら』は受信者の精査なんぞ必要としていない。
何しろ端から『正義に決まっている』のだから……。
そういった意味で……この国では立花隆さんの時代と比較すると…『国民間での会話』って恐ろしく激減しているんだと思う……。
ソレは…家庭内の親子のコミュニケーションに至る迄という意味でだけど……。
『個人の事情と正義』に忙殺され相手の『真意』なんぞに構ってる暇を失ってしまったんだろうなぁ?……ソレを補う為に出現したのが『演技性家族』だったり『演技性友人・仲間』だったりするのかも知れない……ね?