超絶忙しかった。
アルバイト君の成長に助けられた。
今年巣立って行ったもう一人のアルバイト君とこのアルバイト君二人が来てから、スタッフとの関わり方の趣がガラッと変わったなぁ?……と帰りの車の中で思った。
僕は、言わなきゃ駄目なことを歯に衣着せぬ言葉で強く指摘する様になった…。
不思議なことに、そうこうしてる内に、引きこもり気味だったこの二人はおよそ一年でガラッと変わった。何より僕を怖がらなくなった。
彼女達が自分自身についてネガティブな言葉とか態度をとった時、トコトン叱った。
『詰めた』と言った方が合ってるだろう。
従って当然、二人共、何度か泣かせた。
コレ、放っといたらこいつ等、本当に駄目になる!と実感したシーンに限っての話だけど。
それで辞めるなら辞めても仕方ない!
でもコレを面倒だからと見逃したら自分は自分の実感に対して大嘘つきになる?そう思ったからである。
こいつ等の瀬戸際?そんなニュアンスを強く感じた時だ……。
深夜の街の帰り道、車中で……考えればコレ?普通の(自然な)人間関係だよな?と思った。
帰宅してから……何か?定まらない少年少女の心象を歌った尾崎の『17歳の地図』を久し振りに聴いた。
そして関西に旅立っていったアルバイト君が言った言葉を思い出した。
♫〜♫ 尾崎豊『十七歳の地図』の一節
♫……十七のしゃがれたブルースを聞きながら
夢見がちな俺はセンチなため息をついている
…一時の笑顔を 疲れも知らず探し回ってる
バカ騒ぎしてる 街角の俺達の
かたくなな心と黒い瞳には寂しい影が……♫
私は貴方に泣かされたんじゃなく『泣いたんです』……やっと本気で泣けた?そんな気分でした。その切っ掛けを貰ったんですよ……と。
ドヤされて泣いたシーンは自分が気付かない振りして避けていた問題に首根っこ掴まれて
『見ろ!』ってやられた感覚でした……と彼女は言った。
♫……街角では少女が自分を売りながら
あぶく銭のために何でもやってるけど
夢を失い 愛をもて遊ぶ あの子、忘れちまった
心をいつでも輝かしてなくちゃならないってことを……♫
♫……少しずつ色んな意味が解りかけてるけど
決して授業で教わったことなんかじゃない……♫
多感な十代から二十歳の初め頃の少年から青年へと進む段階の人間って、世の中の矛盾や汚泥を深く鋭く読み取っている。
1983年に作られたこの曲を聴いたらそれがとてもよく分かる。
当時から『街角では少女があぶく銭の為に何でも演ってた』のである。
大久保公園に立つトー横キッズ達と同じ様に。
♫……電車の中 押しあう人の背中にいくつもの
ドラマを感じて
親の背中にひたむきさを感じて
このごろふと涙こぼした
半分大人のSeventeen's map……♫
尾崎豊は逃げずに、それを真正面から鋭利に切り出し、直球で表現して見せた。
そしてまた、当時の中高生の年代の少年少女達も逃げずに正面から呼応、共鳴するメンタルの力があったのである。
それから十年後の1994年、僕はバブリーなモールにマリンテイストのアパレルショップを運営してた。
尾崎の話になって、新卒のスタッフは『盗んだバイクで走り出すぅ〜』って恥ずかしいですよね?
そう言ってゾンビの様な笑いを浮かべたのを今でも覚えている。
直情、直球勝負の人間を……宮台真司氏の言うところの『イタイ奴』と笑う文化が既に始まってしまってたんだと改めて感じた……。
バブル崩壊?ソレを全ての犯人とする評論は聞き飽きた。
要するに自分って奴は『カネに支えられた勢いだけ』だった?と思い知った大人達が一斉に『自信喪失しちまった』のである。
姑息に、小狡く、小賢しく、……鬱屈した小市民に堕落し、その卑屈で隠微極まりない心の底に無邪気な悪意を隠匿する様になったのである。
そんな大人達が子供達には『イイコ』を強要し、自分だけは『逃げ切らなきゃ!!』って『狡っ辛い価値観を空気感染』させた。
それが少年少女達を絶えず怯えさせ、彼等が正体不明の不安に苛まれる様になった主原因?なのである。
この二人のスタッフに共通する特徴がある。
心の底に、諦め切れないピュアを隠し持っていたことである。
それ故に大いに傷付き、無意識に他者を怖れスムーズに人間関係に入れなくなっていたことだ。
傍若無人な僕の言葉に『本音・心情・心底』をシッカリと彼女達はそのピュアを以て受信してくれたんだと感じる。
言い方とか言葉遣いとか?技術論・マニュアル頻りの今の時代だけど?
『ホントの無い』言葉はピュアな心を痛め付けるだけなのである。
こうして過ごし来たここ二、三年……僕の時の流れは悪くないじゃないか?
マジに?そう思った……。
※……因みにこの尾崎豊の『十七歳の地図』と盗んだバイクで走り出す『十五の夜』は彼が高校生の時に作り、デビューを果たした曲である。