はるか昔、飲食店を開いたばかりの頃、ある初老の老人とよく話をする様になった。
政治や経済や世の中の動向などなど、この人と議論するのはシンプルに楽しかった。
彼は単なるインテリだけじゃなく、中心地の繁華街の土地を騙し取られたりとか、世相に翻弄されながら、強かに苦難をくぐり抜けた。
喫茶店を経営しながら儲けの殆どは株式によって上げていた人だった。
彼は帰るとき必ず僕に言った。
『君は株をやれ』、『恐らく凄い才能があると思うよ?』……と。
本気にする気はなかったが、それ以来新聞の株価欄を隅から隅まで訳も分からず読むようになった。
白黒の三角マークが見慣れてくる頃には様々の会社の株価の動向を眺めていると、実際に買うことなんて無かったが、その変化が単純に面白くなった。
カネがかかってない無心だからこの株はソロソロ上がるな?なぁ~んて言ってたらよく当たった。
スマホの時代になると世界の様々の指標がまとめられたアプリによって各指標が関連しながら変動を繰り返す様がリアルタイムで覗ける様になった。
そして、それらの指数の関連が少しばかりは理解できるようになった。
最近、友人に株を勧めたら本当に始めた。
それ故彼が買った株の掲示板なんぞも開く様に……。
そこに投稿する様々の論客達が蠢いていた。
彼等はハマスとイスラエルとの紛争もロシアとウクライナの戦争も世界で起きる事件の尽くを株価の動向と関連付けて数値予想を展開する。
建設機械メーカーについてはいずれウクライナの復興支援が始まるから?云々……といった様に。
『全ての事件はカネに通ず』って運びである。
幾ら綺麗事を並べても仕方ない。コレがニッポンを運営する原動力なのだから?と……ともすれば厭世感に襲われもする。
論客達はカネが大好きなんだけど何故か?子供染みたプライドが異常に高く、直ぐお互いが誹謗中傷を始めるのである。
『お前?中卒か?』とか『チャートも読めない癖に……』なぁ~んて金儲けには意味のない論争にえらくエネルギーを傾注するのである。
学歴を披歴し、僅かな偏差値の違いに自分の存在意義を探す学歴、権威主義者と同じ様に、
ここには『カネ持ってんどぉ〜!』自慢に躍起になる人達で溢れている。
きっとホントに稼いでる人達はこんなサイトにやって来て自慢する事になんて興味は無いだろう。
学歴にしてもカネが纏わる株にしても……単なるツール(手段)が目的化してしまう人達はここでも多数派を形成してる。
哀しいけれど……テニスブームの時代もゴルフブームの時代も、どんなテニス・ゴルフライフをしたいか?よりも兎に角『テニス・ゴルフを演ること』を目的にして突っ走る人達がいたものだった。
『主役は自分』を忘れて、目的をそっちのけで『手段の奴隷』になる人多く……。
カネの世界はそんな事にお構いなく流れ続ける。
目的を持たず(持てず)下手にただ単にカネを稼いでしまうと際限無くおカネ様に人生を賭して奉仕し続ける事になる。
カネは幸せの絶対必要条件にはなれない。当たり前の話である。
無いよりあった方がそりゃ良いよねっていう十分条件にしかなれない。ここにカネが仕掛ける落とし穴がある。
頂き女子リリちゃんもあの若さで数億を手にしたのに何故か?不幸に突っ走ってしまったのは
何の為に?という目的が設定出来なかった悲劇なのである。
哲学的目標?
なぁ~んて言うと、アチコチから哲学ではお腹は太らないじゃないか!ってな声が飛んでくる。
しかしね?カネの数字の大きさは、『心には一ミリも満足をくれない』事に気付かなきゃね?
って切実に思う様になった。
一方、カネの無さが子供達に絶望をもたらす悲惨が当たり前の国になってしまった。
たかがカネ?モノ?の為に……子供達を絶望させるのは大きな損失だと気付かなきゃこの国はもう駄目である。
たかがカネ?とする価値観には哲学が無きゃ至ることは出来ない。
『心的満足』を人間に与える事が出来る国になる為には……政治や経済の世界に『確固たる哲学』が絶対必要条件なのである。
長い間大騒ぎして集めたカネによって今、自民党の安倍派を中心に不幸のドン底に堕ちてしまった。
コレからのこの国は一体何が必要なのか?
カネは有用だけど万能じゃないという当たり前を知る大人達が増える事……。
『そんな綺麗事を!』なぁ~んて大人ブリッコしちゃって斜め上から笑ってた人達……。
カネ?……モノの道理一つ考えられない?
世の中はね『そんな、単純な事じゃない!』と知りたいよね?
人にも時間にも質的判断を下せること……ソレこそが文化的国家なのだから……。