サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……人の心の不思議(2)

前編で……コミュニティクラッシャーなる『歪んだ承認欲求の持ち主』の心理、執念の活動について書いた……。

どうしてもコレだけは整理整頓してケジメておきたかったので……。
文章としてアウトプットすると不思議なことに随分と客観的に観れる様になることにあらためて驚いた……。

そして……よくよく考えてみれば世の中は『意図的に捏造された世論とか空気』によって運ばれているよね?……と『そんな当たり前』を改めて再認識したのだった。

何より改めて不思議な気分になったのは?
突然立場とか態度を百八十度ひっくり返す人の全く整合性と節度のない豹変振りだった。

そんな人達の豹変は『空気という曖昧模糊』を根拠にして『言い逃れ出来んぞお前!!』的な証拠でも得たかの様に……確信で以て手のひらを裏返すことである。

国家レベルでも……『空気という曖昧模糊としたモノ』はかつてこの国では自分の家族をバンザイで以て死地へと送り出したりもした。

威張り散らしてた特高も軍人も愛国婦人会も敗戦の日から俯向き人目を避ける様に日陰を歩くようになった。これも『変わった空気』の仕業なのである。

『人の命の扱い』でさえ左右する『空気の在り様』は一人の人間では防ぎようがない。何も戦時ではなくとも、少人数の小学校のクラスの中でさえ時に空気は殺人まで運ぶこともある。

しかしそんな気紛れの空気は読めずとも……その『空気の発生源と成り立ちの筋の良し悪し』を感じ取ることは出来る……。

『悪意とか?無理筋の動機で醸成される空気』は一時的にどんなに猛威を振るっても……必ず瓦解へと向かうものである。
成り立ちと運びが余りにも作為的。非生産的で破壊を目論むという不自然そのものだからだろう?……と思う。

如何なる猛威を奮う理不尽な空気に在っても態度を変えない人は変えなかった。
どうということもない嘘一つ吹き込まれて見事に手のひらを返した人も居た。その人の心なりの空気の読み方なんだろう……?

学歴とか?基礎学力とか?そんな数値化出来るモンじゃなく……人間には自分の心の中に矜持とかプライドとかの付和雷同することのない行動基準を持っている人がいる。

一方で学力とかが幾ら優れていても……『空気一つで信義までを左右してしまう』人間がいる。

旧統一教会を巡る空気の変遷は観ていて百八十度の変わり様に……何の引け目もないのに恥ずかしくなる様な思いを味わった……。

当初、居丈高に構えてた政治家の不遜極まりない態度が臆面もなく萎れていく姿……。
『こんなの』が空気を作り上げ空気に踊る世の中……。

まことしやかな顔をして吹き始める風が何時しか、さも真っ当な顔をして日常に歪んだ空気を作る。
どうやって……その正体を見極めるのか?
その時自分の心がどうしようもなく『感じる違和感』だけが唯一の頼りなのである。


自分の中に『プライドを有する普遍の座標軸』を持たぬ人、持てぬ人を責めてはならないと思う様になった。

そんな人達は不自然で理不尽な空気に操られ何時も軽挙妄動を繰り返している。
結果……膨大な時間を失い自分の人間性の底浅さを最後には必ず証明してしまう。

人生は自分の『ありとあらゆる人間力をフル動員して走り抜けなきゃならない』……。
そのたった一つのルールの上で……自分に確固たる行動基準を持たない人間は間違いなく本物の弱者なのである……。
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