サンチョパンサの憂鬱

どんな聴衆の拍手が欲しいの?

どうも僕は……重要な問題をまあまあ、なあなあ、ソコソコ曖昧模糊にしたまま次に進むというのが苦手でありそういった才が無い。
それを世渡りという人も居るけれど……どうも僕は、杜撰と翻訳してしまう。

それは双方各々の理が合ってる面、間違ってる面あるんだと思うけど……。
良い悪いじゃなく必ず、そういった図式は組織の数だけ、業界の数だけ存在してる。

合意とか理解に至る為には、全てが符号する事は無いのだから骨格部分さえすり合わせが出来ればOKというのが現実論だと思う……。

清濁あい合わせ飲む?的に振る舞う方々の基本姿勢は僕も認める所なんである。
その『濁』の部分に法に触れる寸前のものやこりゃ正確に言えば法に触れるぜ?ってなモノ迄を十把一絡げにして、『モノワカリの範疇』で処理してしまう事に強い違和感を覚えるのである。

実際、世の中の様々な分野で、『誤魔化し』が横行しているし、それは明るみに出てモノワカリ の範疇で済まない事になり、信用失墜に至るのは、上手くやったのか?……大損を発生させただけじゃないか?……。

やって良い事、悪い事は最後の一線、『人間の筋道として』を踏み外し越える事はどんな性向の人間であれNOなんじゃないの?……と僕は思うのである。

自分の感じる『危険な合図』に基づいてやっても……モノワカリの悪い奴との戦略に何時も不遇を囲うという若い時代の経験から……僕が身に付けた対処方法は『沈黙』だった。

立場を鮮明にせず沈思して黙考 を継続する事。
そうやって必ず訪れる齟齬に用意し対応するのが一番有効な有用な方法だと気付いたのだった。

アイツが悪い!それみろ俺が正しいなんて、ミミッチイ根性に支配されてた若い自分もつくづくアホだったという事である。

お前は『どんな聴衆の拍手』を欲しがっているの?……ともすれば安い手柄話を直ぐ欲しがる自分に呼び掛ける僕の呪文である。
この呪文はとても良く効く。恥ずかしさで赤面してしまう場面が今でも……。

自分の安っぽさを知ると……今ではかなり、生活がシェイプアップされた様な気がする。
大上段に構えた世の中のイサカイは、大抵安っぽい手柄話の応酬なのである。

議論の為の議論。対立の為の対立……実際の議論を必要とする中身はそんなには無い。
だからそんな無駄な遺恨試合をする暇があるのである……。我ながら大人げない人生を歩いて来たんだなぁ?……と反省中である。
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