サンチョパンサの憂鬱

一体感と離別感が織りなすドラマ

何処かのSNSで……何かとトラブルを生じる人の特徴を取り上げていた。

興味深かったのは『一体感』と『離別感』の違いだった。
幼児が母親に求めるのが『一体感』であり成熟を果たした大人は『離別感』で他者と接するのだとあった。

子供にとって自分の求める所と母親との接触は絶えず一体感を伴わないと死活問題となる。
自分の望む通りに母親は応じてくれるから自分の安全は保証されるという訳である。

成長すると人は『私と他者は違う』ことを学ぶ。
『あなたはあなた・私はわたし』という距離感で人と向き合う様になる。

トラブルを多発させる人はこの『一体感』を絶えず相手に求める。しかし相手は相手の価値観で動く。すると精神未熟な一体感主義者は裏切られた?そんな感覚を抱いてしまうのだとあった。

この記述には考えさせられる所、非常に多かった。

『信じていたのに!?』……。『そんな奴とは思わなかった?!』……。
僕はここまで生きて来るのに何度そう呟いた事だろう。

信じていた?……今にして思えば、自分が勝手に妄想した相手像と現実の相手の本心が乖離していたに過ぎなかったのである。
『この様に考えてくれる筈?』……それこそが幼稚な一体感による思い込みに過ぎなかったんだろうと思う。

ギャンブル依存症の横領男に数億もの追い銭をくれてやったのは……自分の幼稚な一体感的思い込みに過ぎなかった。

上品下品は別にして、ペルソナを被り、自分の欲求以外は信じる訳もない人間は自分の要求を飲んでくれるか?否か?によって交流の是非を決めている。

そんなタイプの人達には僕はとても利用価値が高く且つ与し易い人間だったと思う。 
そんな人間達が『適正な離別感』を有する大人の態度で生きていたとは思わないけれど。
僕と彼等の狡猾な立ち回り技術とは天と地ほどに差があった。

アカラサマに利用されたにも関わらず、僕は『そんな筈はない?』という思いに引き摺られ何度も同じ相手から同じ結果を導くことが多々あった。

一方で自分が幼稚なメンタル構造で一体感の虜だったのか?と考えれば少しばかり反論の余地もある気がする。
『一旦、取り決めた約束は守ること』は超イナカモンの僕にとっては当たり前だったしそれは今も変わらない。

この国の大人達の大半はニヒリストを気取りながら実のところ、『相手に対して自分の思い通りに動いて貰う』ことを要求する幼稚なメンタルの持ち主だと思う……。

与し易し!と踏んでいた僕が、度重なるアカラサマな要求に『NO!』で応じると彼等は性別、年齢違えど恥も外聞もなく『怒りの感情を隠さなかった』のである。

離別感?は自分はこうだ!という動かぬスタンスを持った者が初めて他者との違いを認識することから手に出来るのだと思う。

彼等は、相手が弱者・与し易し者となれば居丈高となり、正誤は関係なく大きな声を出す者には卑屈な沈黙で応じるのである。
即ち、『確固たる自分』が何処にも居ないのである。

『大人になれ!』というセリフは大抵、狡猾になれ、利己的功利的になれという意味合いで『自分を持ってない大人モドキ』の連中がよく口にするけれど……。

そんな彼等こそが自分と等質、同質であることを他者に求める『一体感大好き人間』なのである。その列を乱す人間に同調圧力を仕掛け、イジメ倒す暴力性をメンタルに隠し持っている。

シャーデンフロイデ、ルサンチマン、スパイト行動……そんな陰湿な心理が世界の中で一番抜きん出ていると言われるニッポンの大人達。

日々、教育界、政界、財界など各界から信じられない幼稚な誤魔化し、不祥事が報じられる様になった。
これは……餓鬼のメンタルで大人の仕事はもう誤魔化しきれないという状況の社会が限界を迎えている証左であると思う。

『皆、演ってる。言ってる』というエクスキューズで大人のアマチュアをまだ続けますか?
生きてる間に……一度くらいは自分の本心を信じてやっても良いんじゃないでしょうかね?

自分が何を望んでいたのか?それさえ知らずに老いて行く?
それはとても痛ましく哀しい人生だと僕は思うのですが………?


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