サンチョパンサの憂鬱

何やら高尚な……

何やら高尚なことの様に聞こえてくる『ガストロノミー』なる言葉。

食事の風景を思い浮かべれば……テーブル、食器、メニュー、飲み物、温度、内装、季節、旬の食材、聞こえ来るBGM……等々。

これは何事に於いても言える。
『一つのコア(核)』から『派生する興味・分野』を統合する思考?とでもいうモノである。和訳して『美食学』……となる。

走る事にはランニングシャツ・パンツ・シューズしか要らない。
しかし、栄養学、生理学的アプローチによる筋肉のタイプ、メンタルトレーニング、ペース分析等々……走るという一つの行為から様々な興味が喚起される人もいる。人によっては走る事で哲学の領域に踏み込む事だってある。

ガストロノミーという概念で捉える事で興味の自由な拡がりが『論理的に』語られる事が多くなったけど……供する側も供される側も『感じ取る事』に重点を置きたいと僕は思う……。

『論より証拠!』って事だけど、語る事によって人は思考、行動が不自由になる事が多い。何より……ガストロノミーを駆使して完成された空間をアレコレ語るって無粋なんじゃね?……と感じる。

ファーストフードのガサツさが嫌だな?と思ってたらスロウフードなる言葉が僕の感覚を正当化してくれたけど……論理は絶えず感性の後追いしてるだけで……そんな論を読んでから仕事するなら……その人は才能がないんだと思う……。

考えて見れば『AI時代』を迎えるに当たって人間が対抗出来る能力は『感じ取る嗅覚』しか無いのだから……。

評判や、権威や、格付け等々『人の言う事』ばかりしか信じられなくなってるおバカな大人は多いけれど……感じ取る種族はそんな人達を置き去りにして……どんどん楽しい領域に踏み込んで行ってる。

ガストロノミー……美食学のレベルはその人の文化度を忠実に指し示す。
こんなの昔から常識で……どんな人間か?は一度その人と食事を共にすれば良いと言われる所以なのである。

食事とセックス……この二大欲求は原始的行為故にその人の文化が露骨に表現されてしまうんだと思う……。
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