明確なコンセプトを設定出来ない集団は、当初の和気あいあいってな雰囲気は早々に霧散する。
北に進むのと南を目指すのは方法論は全く変わってくる。
羅針盤を持たない船の様にその組織は紆余曲折を繰り返し方向感覚を喪失してしまう。
やがてコンセプト無き組織の構成員は矜持もプライドも責任感も喪失し、それぞれが勝手に瞬間芸に血道を上げ始める。
『言ったモン勝ち』、『演ったモン勝ち』となり狡い立ち回りが幅を利かせ何でもアリ!ってな応酬に終止する様になる。まさに『船頭多くして船山に登る』のである。
安芸高田市の石丸伸二元市長は……古参の議員たちを前に若い人を育てたいならカネを出してください。そして一切口は出さないで下さいと言ってたっけな……。
田舎の小カネ持ってんどぉ!的な経営者に多く見られるのは『何でも一番』になろうとする勘違いの人達。
率先垂範して物事の進め方を乱すのである。
お追従上手の声の大きな人間がコレに続く。
そしてモラルの崩壊……となる。
どこまで行っても人間には『無知の知』が必要なのである。
『自分は何が出来るか?』なぁ~んて、そんなの世の中の様々な仕事・能力のうちのほんの一端に過ぎないのである。
必要なのに『自分は何が出来ないのか?』ソレを認識してることこそがとても大切な能力となる。
それでもコッチを目指したい!となれば自分に出来ない様々の能力を他者から『借りる』事が必須の能力なのである。
田舎の……と書いたけどコレは何も地理的条件ではなく『文化的分類』のことである。
政界村大字自民党集落なんてまさにこの現象の最たるもの。
今尚、コップの中の嵐?なぁ~んてエリアを限定し、たらい回しで次の首相を選べばすべてヨシ!のご認識である。
我が飲食店業界にもこの店?何がウリたいの?と訳が分からんスペースは多くある。
迷走に次ぐ迷走を繰り返し……結局『量とプライス』は誰にも分かる?ってな発想に落ち着く。
そして……哀しく消えていく。
声が大きいとか?目立つとか?
長らく続いた盗賊の巣窟の様な価値観を捨てましょうかね?
自分の心に聞いてみて『無理がない状態』を実現すること。
不思議なんだけどソレが一番個性的にして落ち着ける空間になる不思議である。
もう『無理くり』が通用する時代は終わっているのである。
誰が演ろうと財務省の支配を許す限り……国民は疲弊し倒れていく。
財務省が手を突っ込む国民の懐には引っ手繰れるカネはもう残っていないのだから。
今こそ……『文化の力』を頼るしかいない時が来ている。
如何に上手く立ち回ろうと哲学無き者に出来る仕事はこの国に残されてはいないのである。