昨日……今時の大学生の3つのタブー……性愛の話、政治の話、趣味の話だという宮台真司さんの記述について書いた。
平均より『過剰』とみなされ『イタイ状態』になる自分を…何より恐れているのだという話。
自分の本心とか本質に関わる事はSNSの『裏垢』で仮面を被ってから表明する?という徹底振りである。
『イタイ』なる言葉は…90年代半ばに発明されたのだとか。ソレで…思い出したのが1997年の神戸の酒鬼薔薇聖斗のタンク山殺人事件。凶行に至る一週間前、彼の家族が楽しそうに庭で卓球に興じる姿が目撃されていた……。
酒鬼薔薇聖斗君は……自分を可愛がってくれた祖母が亡くなった頃を切っ掛けに極端に変わったとか?曖昧な記憶だが確か彼が小学五年生?だったか?
卓球で『演じる家庭の平和』より彼の深刻な変化に正面から対峙するのが『自然』な筈だと強く感じたのを覚えている。
その頃外商で学校周りしてて凄く平和に見える公務員家庭に『不登校・引き籠もり』の子供がやたら多いことに驚いていた時期である。
一見、平和に見える多数派の人達を見ていて…違和感?嘘臭さ?そんな『不自然さ』を嫌でも感じたのだった。
結婚相手まで『計算と打算で導いた人生?』と称して何かに文章を書いたのを覚えている。『演技性の家族・平和』の欺瞞に満ちている……と。
ソレから四半世紀……そんな空気の中で育った大学生達の『心を人に吐露出来ない孤立』は日常の当たり前になってしまったんだと思う。
そんな不自然に張り詰めた空気が、ヤラなきゃヤラれる?ヤラなきゃソン損!……の我田引水の力関係で……『公共財』までが私腹の元手と化している時代……。
スマートニュースで内田樹さんがそんな『生きている気がしない国』になった理由を書いていた。
日本人の未来観のタイムスパンが超短期となったことを原因に上げていた。『刹那の得が命』となってしまったからだと。
目の前の近くの私権、私財をある部分制限して遠く未来の公共に資する発想がなければ自分も含めてどんどん『困ることになる』という発想を失ってしまっているからだと……。
人が成長する為には……人との交流を通して『恥と失敗と惨めの体験』が必要不可欠なのです!
そんな『当ったり前』一つ若い人達に教えられない社会……恥を知れ!恥を!!…と自分に一喝するところから始めましょうか?