様々の組織が不祥事の度に演ってる『皆様の信頼を裏切り』、『多大なご心配、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした!』と定番の口上を述べる定番のスタイル。
そしてせ~ので深々とお辞儀して幕引きとなる流れ。
まるで長きに渡って上演され続けただけの詰まらない歌舞伎を観てる様な気分になる。
嘘臭さ?なんてもんじゃなく、ひたすらに空々しい。
嘘には真実という対極があるけれど、何処を見ても『実というもの』がないのでそれ自体が架空劇として完結してしまうのである。
長野、松本市の施設で中学教師の盗撮犯逮捕。
こんなの交通事故位の頻度で起こる日常の一コマとなって久しい。最早、驚く要素は皆無。
教育長のお詫びって奴だけど……ここに『空々しさ』の答えがあるなぁ?って思った。
この教師は中堅で職場でとても『信頼されていた』と教育長は言う。
そして常套句……『皆様の信頼』を裏切り『多大なご心配と……』と続く。
今やガッコにも教育委員会にも、まともな人間ならば『信頼』なんぞ一切置いてはいない。
故にそんな組織に対して『ご心配』なんぞする訳もなく……。
ありもしない信頼を裏切ったの?
ホントの所はね?皆様の気分をより一層辟易とさせてしまい……とすべきでしょうね。
皆様にご迷惑?じゃなく、被害者に対して真摯に向き合うことなんでしょ?大切なのは。
世間一般の目線命!とするこの感覚のズレ方こそ、深刻なイジメ被害者を冷酷に扱う原因なのである。
まともな仕事してないのよね。盗撮犯やら少女への性虐待なんぞが捕まると必ず『熱心なセンセ』だったとか?『信頼されていた』とか?
『そんなの』が信頼されたり?熱心で真面目に見えちまう環境だからこそ?問題なんじゃね?元々ね?
一連の不祥事からの謝罪会見が見映え命!型式命!の演劇性真面目な方々のコメディとなって久しい。
別に自虐的になれ!と言う気はないが、自分と自分の暮らす職場を謙虚に客観的に把握すれば?
自虐、自嘲からスタートするしかない惨状に自分達が在ることは分かるだろうと思うけど……。
自分達の現実の状況と、自己催眠の如く反射的に演じるお真面目劇場との気が遠くなる様な乖離振り……。
あたかも伝統芸能の如く何もかもが演技性のマニュアルでの対応しか出来ない『不真面目極まりない人間達』の集団である。
もうね?『こんなの』を真に受けるのを止めないか?
空々しさには対立軸を設定できないのである。
『空々しさ』ってどこまで行ってもゼロなのである。
信頼とか?熱心とか?真面目とか?……そういうものを『演技で事足れり!』としている世界。
ひたすらに空々しいのは『実体がまるでない』からに他ならない。
『そんなの』に少年少女の生殺与奪の権力を持たせ教育の現場を跳梁跋扈させている国、ニッポンである。
王様?……あなた方は裸だ!!
その声を上げること。
それはこの国ニッポンに生きる大人の最低限のマジメな態度だと思うけど……。
空々しさの中には……誠実も実体もない。
何処まで進もうともゼロの世界なのである。