福岡女子大の客員教授の若宮和男さんの記述を読んだ。
ノブレス・オブリージュを富める者の義務?と捉えると非常に息苦しくなる……と。その義務感を負うものには『不公平感を生じる』事になると思う……と。
また一方で『キャンセルカルチャー』についても論評している。
まさに今、松本人志が真偽の程は別にして、性加害者?なんじゃね?……とネットで寄ってたかって叩かれている。詰まり『キャンセルされている』状態に陥っている。
古くは渡部建の多目的トイレ不倫によって一気に『彼がキャンセルされた』件もあった。
若宮和男さんはこのノブレス・オブリージュの不公平感、キャンセルカルチャーによる一発でアウト!!とする判断の仕方について考察している。
余りにも短い時間で……『今この瞬間・刹那』の判断によって結論を出してしまうんじゃなく『時間軸をうんと長く取ること』によって『今より暮らしやすい社会』というものになるんじゃないか?……という主張を展開している。
今は健全な立場で生きているけれど?何かの拍子に自分も最悪を犯すかも知れない?
当然、罪は憎み適度な断罪は必要だが……。
人の一つの失敗によって『その存在総てをキャンセルして消去する』のは長い時間軸で未来を見通すとその見方は『自分の為の安全保障』にはならないのだと……。
ノブレス・オブリージュにしても、恵まれぬ人の為に『私が犠牲になる?』という『あなたか?私か?』の二者択一的視線ではなく、時間軸を未来に長く取れば『あなたも、私も』より豊かになる?という価値観を手に出来るのじゃないか?……と提案している。
先般より、身綺麗に安全に生きてた人間がふとした切っ掛けで犯罪を犯したり?突如としてリストラに合ったり?なぁ~んて事は人間社会ならば当然起き得るはなしなのである。
松本人志にせよ渡部建にせよ……持て囃すだけ持ち上げておいて、一つの出来事によって抹殺せんとするネットの暴走……。
今、叩いている人が何時?叩かれる側になるやも知れないのである。
『明日は我が身』ってやつである。
刹那的時間軸の上で……『オール・オア・ナッシング』て運ばれる超ストレス社会は、持てる者、持たざる者双方とも安心感とは程遠い所を生きている。
何かに付けて余りにも短絡的に過ぎはしないか?……。
一つ一つの炎上とか?騒動には絶えず『軽薄のニュアンス』が付きまとい、断罪する側には『神様かの様な思い上がり』が立ち込めている。
松本人志がかつて宮迫を、渡部建を悪し様にこき下ろしてたのを思い出す。
キャバクラやクラブ水商売の女性にコロナの休業補償給付に自分の払った税金が費やされるのは釈然としない?なぁ~んて語ってた。
その『時々の明日』が今なのである。松本人志にとって即ち、『今となっての我が身』である。
失敗を受け入れ許す社会。持てる者、持たざる者共に長い時間軸で未来を、今より少しでもお互いが豊かに良くなる為の感じ方、考え方で過ごすのは結局個々の自分の為である。
半歩でも一歩でも人より先んじること。
それを唯一無二の成功法則として生きてきた結果の今がある。
そんな生き方、もう良いんじゃね?
安心して失敗出来る社会なればこそ、今日一日生きる実感を味わえるんだと思う。
長い時間軸で今を過ごす時……初めて未来に希望って奴が見えてくるんじゃないか?……読んでいてそう思ったのでした。