昔のレコード販売に於て、200万枚はビッグセールスだったけど……。
この二つの同じ数字の違いのは何か?
ユーチューバーの200万という数字はフォロワーの200万人しか『主』を知らない。
昭和のレコード200万セールスは一億人をベースに『その中の200万人』がチョイスした訳で……大概の人はその歌い手を知っていたのである。
同じ人数ながら全く違う価値がある事に気付くのである。
ユーチューバーのフォロワー200万人の世界は日本、世界の中に掘られた『小さな収用人員200万人というローカルトンネル』なのである。
1億二千万人から『チョイスされた200万』は1億二千万という『分母を有している』のである。
ユーチューバーの200万人は最大認知度が200万の世界なのである。
良くも悪くもそういう性質をもつ。
世に『出て来易く消え易い』のは分母の小ささという宿命的出自にある。
最近……何時も感じるのは『分母を考慮しない所感・所見』を安易に口にして納得してる人多く……短絡的浅はかさと直結してるんじゃね?って感じるのである。
同じ数字でも……全く違う価値を有している❗ソレが『質的評価』というものである。
『レペゼン地球DJ社長』は嫌いじゃなかった。
しかし……同年代とこの話をしようとしても大抵の同年代は彼等の事を『知らなかった』のである。
事の大小あれど……TIKTOK,インスタグラム、fb,ツイッター……で広く繋がってる積もりで『何時もの馴染み達』と何時ものという『ローカルトンネル』の中で安住って状態になってる人達は多いんじゃないか?……と思う。
ローカルトンネルの中で『俺達だけが知っている』というエコーチェンバーによる錯覚……。
しかし、それは同時に、日本、世界の大きな流れを見る事が出来ず『俺達だけが知らない情報』を察知出来てない❗……という事でもあるのです。
自分の得ている『情報価値』、その分母が何で?その大きさは?……という一つの数字、情報を『標準化』して考慮するという姿勢を失えば……『偉大なる情報世界の田舎モン』って事にもなりかねないのです……。
200万はとても大きな数字であり、些末なチリ、アクタのようにとても小さな数字でもあるという事なのです。
その判断にはその数字を乗せる分母を用意しなきゃならないって事です。