こういう論が出るのは……『人を好きにならねばならない!』という社会規範とか?習わしというものがあるからだろうなぁ?
『オメェは嫌いなんだよ!』なんてわざわざ嫌悪感を表明する必要は無いけれど……根本的に嫌いな人ならば……当たりが不穏当にならない様に留意してやり過ごす方が良い。
社会を生きる時、『好き嫌い』を最優先出来ないシーンは多々ある。
カネを借りに赴いた金融機関の担当者だったり、手続きに訪れた公的機関の相手だったり……。または自分では選べない上司とか同僚なんてのも……。
不思議だけど……自分が嫌いなくせに相手からは好意めいたニュアンスが欲しい?そんな人は多い。
何故なんだろう?……『皆から好かれる?』とか『友達は多いほうが良い?』そんな刷り込みを幼い時から施されているからだろうか?
『諦めて覚悟をしておくこと』が随分と予防になるとこの方は主張されていたけれど……。
『そんなもんさ』と予め覚悟しておけばショックは随分と軽減されるのだと……。
何時だったか?
『人を嫌いになること』を自分の専売特許と勘違いしてる人が増えたと書いた。
そんなの幼児さえ出来ること……『嫌ってやるぞ!』がまるで相手を萎縮させる方法だという誤解である。
『誰からも好かれたり、友達がやたら多い?』と思い込んでいる?……そんな人は大抵誰からも信用されてないし、友達というのは単なる顔見知り?程度なのである。
恐ろしく幼児化した文化。
自分が相手を嫌いなのに相手には自分に対する好意を要求する?そこまで行けば……社会はもう保育所レベルの感覚に汚染されているのである。
『人間は好きな人と嫌いな人』がだれにもある。
情実で全てを決める……そんなの許した時点でその人は『死ぬまで大人のプライドは手に入らないこと』を天と約束してしまった人なのである。
好きになれない人がいる?
それ自体は何ら問題も不思議もない。
しかし、そのことで『悩む?』なぁ~んて問題にする人は……一度自分に言い聞かせた方が良い…。
自分にも……『自分をどうしても好きになれない人が存在していること』をである。
そんなの悩みに仕立て上げる人って、『その視点』詰まり『自分も多くの人に嫌われている』という事実を認知出来ていないのである。
『そんなの常識ぃ〜』とした上でどうやって必要案件を実現していくのか?
そこからが『大人の腕の見せ所』として生きて行きましょうかね?
大切なのは『自分のニュース』で生きていくことです。
わざわざ自分の人生の記録フィルムに嫌いな人に参加してもらう必要なんて無いですよね?
フィフティ&フィフティ(お互い様)……コレを知ればユックリ楽しく自分の心優先して生きて行けると僕は思います……。