サンチョパンサの憂鬱

似て非なるモノ……そのものに変わる時

辟易としながらも、人々が口を閉じ沈黙に入った時……似て非なるモノが、『そのものの顔をして罷り通る』という現象が風習・習わしかの様にこの国に定着したのは何時の頃からだろう?……。

言って良いこと悪いこと。演って良いこと悪いこと。
ソコに抵触すれば否応なしにシロクロ着けさせられる……それがいつの間にか?人々の感じる面倒が決着に勝る様になって沈黙する。

そして……当たり前の様に、言って良いこと悪いこと、演って良いこと悪いことが沈黙に乗じて承認された事になる。

ソフィストの如くの詭弁と厚かましさが総てを凌駕してのさばっていく。

公も私もスッカリそれが風習となり定着した今……ホントの意味で個々人の『自己責任』だけで降りかかる困難に対峙しなきゃならない時代である。

気が付けば一人一人が孤立して分断された社会となった……。

『皆が演ってるその態度』が結局の所『皆を分断し孤立化』させてしまったのである。

向こう三軒両隣の自分の宇宙が昨日と同じ今日ならばそれでよし!と生きてきた……。

今……向こう三軒両隣が社会の影響無しに
生き永らえる訳もなく……『お上が大人しい領民の財布に手を突っ込み放題』となって……それでも面倒はご面と沈黙してたら自助、共助の掛け声煩く、年貢を増やすぜ!とお上の前触れである。

国民の何割がドロップアウトしたら『似て非なる正義達』は行き詰まるのだろう?……。
人の破綻を数多く積まなきゃ仕方ないのか?
それ以外……何処までも胸張って進む『似て非なる正義達』を止める手立てはないのだろう。

既に教育界は『人が死んでも狂気は止まらない・止まれない』……。
シャラっと一言罪のない顔して『無かった事』にしてしまう。

『人の死』を『面倒とばかりに置き去りにする教育?』……ってこれまた『似て非なる教育』なんだろう……。

昔、本物ってこの国には沢山あった様な気がするんだけど?……。
少なくとも人間達の中に本物がいて正誤の歪みを矯正する力を持ってた……。

人々が『成長を期待する』のは今や経済だけだ……。
昔、子供は大人へと成長したもんだったけど……。
大人までが『似て非なる大人』だらけになっちゃったね?

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