コレって回りくどい『自説の強要』なんだけど、余りの頑なさに疲労困憊となった記憶がある。
こういう強要をする人は……その『自説』にはミエミエの作為が窺える……。
その作為が隠微であざとくて人を息苦しくさせるのである。
それも正論の化粧が施されているから余計にその人間の醜悪さが増すのである。
恐らく……そうでしょうね?
こんなシーン、人間に対して僕は……何時の頃からか?一貫してそう応える様になった。
そしてこう言うのである
あなたに『そう見えているのなら?』……と。
相手は、一連の事の流れがあり、その事の一場面を以て『その様に振る舞って良い!』と結論している。
『相手に見えている風景』がその様に見えているのだから……変え様は無いからである。
『色即是空』とはそういう事である。
たった一つの出来事、場面、人、……森羅万象総てに色はない。ただ、ソコに在り色のないものが提示されているだけ……。
その無色透明な一つのモノに人の数だけ色が付く。人の数だけ心があるからだ。
人の見る風景は『その人の心のレンズ』の色に着色されて見えている。
『そう思いませんか?』と問われて『そう思う事』など稀である。
ましてや正論で化粧された『歪んだ作為』が透けて見える事柄である。
だから……反論反駁なんぞ無意味である。
あなたに……そう見えるなら……きっとそうなんでしょうね?……という肯定で以て
相手の見えている風景からエスケープするしか此方には選択肢は無いのである。
人間を計るには……『その人が見ている風景』を感じ取る以外にない。
『時折言葉に混ざる意図』がその人の見ている風景である。
垣間見えた『その人の意図』が自分の矜持(人としての正義感)に照らしてNOならば……早晩、その人の見る風景と自分に見える風景はシンクロしなくなる。
『人と人の関係は順風あれば逆風』もある。順風下では見えなかったけれども逆風下で晒された『相手の意図』は相手の真実を語るものである。
関係が『相手には都合が悪い』に転換した事を示している。
あなたにそう見えているのなら……は自分に納得を導く為でもある。
『相手に見えている風景』自分の見える風景とは決定的に違う!という納得である。
コレもまた『明らかに極める』為の判断方法である。
当然……その判断に至る過程で関係に自分の全力を注ぐ事が前提条件である。
そうしないと……自分もまた『ご都合風景』で安易な判断をして『関係を投げ出す人間』となるからである。
同じ穴のムジナって事になる。
相手の失敗、失態に乗じて言を左右する人間にならない様に!……。
人間関係はあくまでも自分の心に問い掛けて処断しなければ……自分もまた万能感に支配された『生き神様』の如く尊大な生き方に堕落してしまうからである……。