サンチョパンサの憂鬱

親と子の距離感……

困った状況があるとする……。

ある種の人間はそんな時……自分で何とかしようとするんじゃなく『何とかして貰う事』ばかりで頭の中を埋め尽くす。

そんな態度を見たとき、放って置いてその人間に『やらなかった結果』の全てを与えるしかない。とヒトカドの人はそう思う。

それに尽きるのである。
自分で学び覚える……『自覚の問題』だからである。

あろう事か?そこで沈黙してしまうのである。話は分かる!でも何とかして!という事なんだろう?……と思う。

そんな人は自分が……何れだけ頑なになってしまっているか?自覚症状がない。自覚すれば自分が……しなきゃならない?それは嫌だ!だから沈黙して相手の根負けを狙うのである。

これ?丸々ワガママ放題の子供の話?じゃないか?と……。
でも、これはれっきとした大の大人の話である。

そんな幼児化人間は、子供だからそんな非常識な禁じ手を一度通して貰うと、常套手段にしていくのである。

何時しかそれは当然の自分の『方法論』にまでしてしまう……。
仏の顔を何十回もした後、関係者の『愛想が尽きる』時が来る。

対して、幼児君は、怒りの感情を持つ。
その非常識が当たり前化している為に
今度は『裏切られたという感情』を動員して対抗しようとする。またまたしつこい餓鬼の手法である。

そして放置されるに至る……残るのは餓鬼の遠吠えである。
最後まで付き合おうとする愚かな親もいるけれど……その親も老いてその力を失いやがて死ぬ。

そんな関係の成れの果てのニュースをよく目にする様になった。
余りに哀しい親殺し、子殺し……である。
子離れ親離れに進めなかった悲劇である。

人間は、中途半端な頭のせいである意味『イタイ動物』なのかもしれない。
そんな予感なんてない方が良いけれど……間違いなく親子間の悲惨なトラブルは増えるだろう……と思う。

子供の為なんていう歳じゃなくなった親御さんに進言するならば……自分の為に……今の内にNOを子供に与えて上げて欲しい……。

自分の意志で、自分から動く!……それは、サバイバルの為の最低限のルールなのだから。

拾った犬が19年生きてくれたけれど……今でも彼女は本当に幸せだったのか?と思うときがある。
鎖で繋がれ、寂しい時間を多く過ごさせてしまった……彼女があの世に行って15年……今でも時々僕は……そんな事を考えるのである。

彼女の自由を奪った事は彼女の為に……良かったのか?……と。
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