そんな記事を読んだ……。
十九年間営業した飲食店が孤軍奮闘の末閉店する運びとなった。
それまで足が遠のいていた多くの人間がその知らせを聞きつけて店にやって来た。
『何で止めんの?』、『えーっ困るよ。コレから私は何処で呑めば良いの?』、『僕の店が無くなるのは困るよぉ!』とか、とか、とか……。
その記事を載せた人が……我慢出来ずに声を荒げたという。
『何故?オーナーが店を辞めるのかってか?』、『アンタ等がそんな人間達だからだよ!』……と。
無くなる?……失うとなって初めてその存在の価値に気付くのか?
疎遠となっても無関心でいた自分の後ろめたさなのか?
ま、要するに意識的にか無意識的にか関わらず上から目線となって、『そんな人間達』はお店とオーナーをお手軽に粗略に扱って来た訳である。
十九年間と言えば半端ない努力を要しただろう
オーナーは相当な難儀をこなしながら責任を一身に背負い頑張り続けた……しかし力及ばずとなった。
そのオーナーも食べてかなきゃならない。
決意を新たに次に向かわなければならない。
『そんな人間達』の様に今更ながらの感傷に浸る暇なんぞもない。
唐突感満載の『今となっての惜しむ声』を浴びながらオーナーは戸惑いを隠せない様子だったと投稿主は書いていた。
この投稿主は人と結んだ信義を当たり前に守れる真っ当な人間なんだろうと思う。
しかしこんな人は二割しかいない。
中間層六割の人間は人の信頼感すら『ご都合信義』なのである。そんな人の信義は状況によって超軽くなったり急に重くなったりするのである。
時間経過と共に『来てやっている客』となりワガママを言うようになったり、特別扱いを要求したり……。
オーナーは十九年も看板を張ったのだから『そんな人間達』の要求はシャットアウトできる人だったんだと思う。当然『そんな人達』は面白くなかったんだろうなぁ?
やがてそんな人間達は目新しい店や、変わってる店やプライスが安い店などなどを回遊し件の店からは足が遠のいていく……。
『そんな人間達』ほど『特別扱いを要求する』のである。
ま、身の程を知らぬからこそのあらぬ要求者となる。
過疎化が進む地方では、よく鉄道の廃線を巡ってコレとよく似た構図が見られる。便利なマイカー利用で散々鉄道を蔑(ないがし)ろにしておいて、いざ廃線となれば急に『地域の心臓』なんだから困りますぅ〜なぁ〜んて騒ぎ始めるの図……。
『表面と目先の空気』でエゴイスティックに軽挙妄動しておいて急に信義に厚い人間になったり、地域の心配をする人間を気取って見せる。
哀しいけれど……人多く刹那で動き、口とカネじゃ得られない信義を失って行く。
僕は『そんな人間達』のイイ人振りに散々走り回らされた。
だからある時期からそんな人間達を一切追わない様になった。
どうせ席に座って貰うのならば、少しでもまともな未だ見ぬ一人を!……その姿勢でお客様を求める様になった。
『そんな人間達』を追うというのは、『媚びる』と同義となるからである。
平板で凡庸な信義なき人間ほど……媚びられたらつけ上がるのである……。