サンチョパンサの憂鬱

本物の凄みと力

普通のバンドに生きる人間が余りに常人とかけ離れ過ぎた才能に出会うと、理解の域を越えてしまって戸惑う。
そして理解出来ないモノは忌み嫌うという反応に終止する。

死んでからやっと遅すぎる称賛を浴びた天才は数多くいる。ゴッホ、ガリレイ……その例を上げるのに困らない。

最近……星野源とか三浦大知とかが、ある限定された分野での優れた才能を見せてくれるけれど……彼等の凄さは僕にだって理解出来る。

店の前で、車の中でスタッフ達を待つ間に昔の音楽を聴く様になった。
改めて尾崎豊を聴くと……音楽性とか時代とかビジュアルとかといった一つの分野では括り切れない才能の奥深さを感じる様になった。

初めて聴いてから数十年の時が過ぎた。その時、彼はミュージシャンじゃなくアーティストだ!なんて事を思ったけれど、哲学者でもあり文学者でもあったんだと今にして思うのである。

何故、その時彼の音楽は中年の入口に居た僕に真っ直ぐ突き刺さったのか?少なくとも僕などより余程、音楽に詳しい同年代の連中はカリスマ?……と鼻で笑ってたのを覚えている。

僕はその時、経験した事の無い恐怖と不安にもがいていた。幾ら足掻いてもちっとも変わらない、何時終わるなんて考えられないドン底に居た。

彼の凄みが……救いになったんだと思う。本当に苦しんでいる人間には何か福音の様に感じたのだった。
彼の提示する生きる事の難儀の範疇に僕も居たからだと思う。

今になって鼻で笑ってた連中が彼の『アイラブユー』をカラオケで唄ってるのを聴いてそんな事を思うのである。

若いアイドル達が……人を『音楽の力で元気にしたい!』なんて言ってるのを聞いてると……とても恥ずかしくイタイのである。
尾崎豊が一般の人達の理解を呼ぶのに死後数十年の時を要した事が頷けるのである。

音楽の力で元気に?……とても恥ずかしくなる言葉だけど……僕は数十年も前に尾崎豊の歌で元気を取り戻したオッサンだったのである……。
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