サンチョパンサの憂鬱

時間というコンピューターが出す答え

人は何かを得ながら……何かを失ったり忘れたり捨てたりする。

そういう新陳代謝がある内は、成長とまで行かないにしろ某かの変化をし続けている。

同じ作業、同じ道順、思考は停滞し心身共にルーティン化が常となっていく。目だったリスクなく目覚ましいゲットもない……そんなサイクルに入って時をやり過ごす様になるといった趣の人達が気付かず失うのは『ファイティングスピリッツ』だ……。

何かを始めるという思考・行動は影を潜め……全ての思考の根底には『60歳あたりを目安』に……『終わり・引いて行く』という暗黙の納得?をベースにする様になる。

実際にそのまま、自分の決めた終わりの時間が来ると……彼等は急に狼狽し始める。
自分が早くから想定していた自分像より、自分という奴が随分と生臭いのである。

改心して、もう一度!と仕事を探し始める人も居れば、勇気を失い、モチベーションが高まらないまま、想定していた『楽隠居』って所に落ち着こうとする人もいる。

哀しい言い方をすれば、若い楽隠居の人はそれを喜びとして享受出来ないらしい。

不安な彼等は町へ出て来て旧知の人間を訪ね歩く。まだ現役を張ってる人間に、自分はもう何も働かなくても良いんだ!なんて聞かれもしないのに滔々と喋るのである。

人に羨ましいと言われたら安心するんだと思う。ついつい、ヒマをモテ余さないか?なんて聞けば急に不機嫌になる。それを遮り年金が削られるとか保険が云々フィナンシャルのマニアの様に喋る。

何かを切っ掛けにしなきゃまさに濡れ落ち葉……貼り付いて離れてくれないのである。

人生の楽と苦痛の総量は皆フイフティ&フイフティなんだと何処かの寺の坊主が言ってたのを聞いた事がある。
早くから逃げ得ばかり考えて、仕事は最低限で失敗しない事しかしない。

そうやって想定していた人生の楽と苦痛のコーディネートの割り振りは大きくその人を裏切るのである。

暇を楽と翻訳し引退後の楽しみとし、現役時代は後進の人間の為の仕事は一切拒否して、我慢と称していたその仕事は、実のところ横着者の楽で出来ていた。

早すぎた楽隠居の暇……それは底冷えする様な孤独を味あわせて来る。
それこそが苦痛の極致と知る人も多いと聞く……。

今日は残された人生で一番若い日なのである。

『その一番若い日』にしか出来ない事を出し惜しみせず目一杯行い生きて見る事だ。
自分の意欲が本当に燃える事……それが、苦と楽の最善のコーディネートをしてくれるのである。

苦は楽しみに転じ、何もしない楽ではない、歯を食い縛り挑む苦役と見える時間を『演りたい事』が楽しい時間に変える魔法を使ってくれるのである。

今日という1日に
暇と嘯き自分の心と身体……使い惜しみしてはいないか?……。
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