サンチョパンサの憂鬱

新自由主義の曲がり角

80年代後半から語られ始めた『新自由主義』は……小さな政府と経済への介入を最小限に止め『市場に委ねる』という考え方。

ソコに至るまでは……家族というミニマムな共同体と大きな国という公共体の間にあった企業コミュニティや地域コミュニティという中間的な公共体が機能し、人間を守るシステムが稼働していた。

徐々に効率を失うそれまでの管理システム故に……経済の行き詰まりを打破しなくては!となって登場してきたのが『市場主義経済』である。

サッチャー、レーガン、小泉、……彼等はみんな新自由主義に基づいて、規制改革と共に小さな政府を提唱していたけれど……。

結果的にはリーマン、日本ではバブルが弾けて多額の税金投入という大きな政府の役割をせざるを得なかったけれど……。

結果……欲望のメカニズム『市場経済』がグローバリゼーションを導き、人間をケアするのは企業でもなく国家でもなく、市場主義経済に委ねられた。

その流れから市場主義経済によって導かれたのが『自己責任論』である。
それ?あんたの責任!何?障害?老人介護?それアンタら家族の責任!っていう流れである。

その非情なる市場原理主義の冷徹な純粋なカネ理論の流れを止めたのは偉大なる人間のリーダーじゃなかった。
コロナ様である。

今、奇跡的に訪れたかの『人間性回復運動』のラストチャンスをどの様に活かすか?
当面……グローバリゼーションは大人しくしてるだろうから……?

バイデンさんは団結っていう。
富裕層への増税もするという。

『市場様』が踏みにじり置いてきぼりを食らわせた、没落白人層(トランプ支持者)を含め、危機的状況にある弱者達を市場の自己責任論からどの様にして『国家の加護へと救出するのか?』……興味深い。

大きな政府による国民の弱者救済とケア……半分社会主義的な『新しい社会のOSモデル』を構築する以外に……市場原理主義から国民を救い出し『アメリカを団結』させる手立ては無いんだと思う……。

それでもアメリカには希望がある。
『我々に課税せよ!』と自ら提言を行った超富裕層の存在である。

市場原理に組敷かれた人間から、市場原理をツールとして管理する人間として復権を果たさなければならない時が来ているのだと強く感じる……。
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