サンチョパンサの憂鬱

日本底国大本営発表……

何時だったか、最悪の残酷は無関心である……と書いた。

哀しいけれど、生きてる人々は往々にして、仕切りは法律ギリのところで得ている平和なんだということに行き着く。それにしては、とても罪の無い顔をして笑っているけれど。

子供をコネ入社させるとかはまだましで、出来レースの入札を落とすとか、
出し抜くとか平和な顔をした善人達がイケシャアそんな事を当然として生きている。

人の信を裏切るなんてのは当たり前の日常……。信じる方が悪い?なんて嘯(うそぶ)きながら笑顔で今日をやり過ごす。

人の情を感じるのは窮地にある時だ。

僕は、その無関心によってじゃなく、他人の必要以上の関心を以て救われて来た。そんな情を掛けてくれた人々は皆自分の悪徳を知っていたのだった。

関心を持つ事は……とても主体的で意思の存在がある。
意思を持ち、最悪の残酷に流れるのを避けながら生きる人達の恩恵によって僕は今日を生きている。

華やかな称賛とは無縁に、僕に対して然り気無く行われた親切、温情は僕の弱さや自分の正味の人間性を思い知らせてくれた。

ふと足を止める事の難しさだ。

昨日の続きが今日、その続きが明日という風に、気付かない悪徳一杯に善人達は生きていく。

自分の弱さや、悪徳や、卑小さに気付けた人生は悪くない……そう思う様になった。
知らぬまま仏の顔をして生きている事のあやふやさが……人を徐々に孤立に導いていく。

最近……こんな筈じゃ?ってな戸惑い顔の人をよく目にする様になった。
無関心なら綺麗に残酷を働けるのに……
一生懸命の人に、あれやこれやとチョッカイを出さなければ気が済まない?といった風情である。

無関心こそ武器だった人間達が、そんな自分の『悪意の関心』に振り回されているのを見れば……生き地獄そのものと映るのである。

人間の上達に……飛び級なんて無い。
人間力の単位不足はそうやって思わぬ頃にやって来るのである。

コロナは様々の欺瞞を暴いている。

哀しいのは……『暴かれている事に気付けぬ人達』の醜態……である。
官房長官の暗愚を絵にした様な顔した『無知の無知』でのゴリ押し会見は……百々の詰まりを見事に体現している……。

恐らく第二次大戦の時の退却を転進と居直った『大本営発表』も……そんな絵面だったんだろうなぁ?と……ふと思った……。
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