サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……目的無き手段設定は機能するか?

『FIRE』というモデルが盛んに持て囃される様になった。資産一億円を保有することである。

それにも様々なモデルはあるだろうが……要するに年平均3%で運営すれば不労所得が300万円……贅沢しなきゃ食っていける?
そんな計算に基づくモデルである。

スタグフレーション(インフレ下の不況)というキナ臭い兆候も窺える状況下で……またしても『カネ命の単一(目的)』の価値観が世間を煽るの図である……。

人口三分の一が減少するのだから、放っといても内需は三分の一は失われる。人の命の数だからコレに対する有効な手立てはない。
『分かり切っていること』なのに『現実になってから』嘆くパターンである。

既に国民の『年金の夢』が百年大丈夫!という国家的詐欺に実際にあったのだからいい加減に学ばなきゃね?……って感じる。

『国民の命の総数と内訳』……は社会環境そのものの大きなファクター。そして個人の事情は必ずその社会の影響を受けずにはいられない。

『環境は絶えず変化し続ける』のである。

そして、日本の中だけの変化を計算しても『国力は一定ではない』のである。外部環境との比率が変われば地盤沈下だって必ず起きる。
国力を上げる国あれば、人口減少によって下降曲線必至の日本との国力比率は旗色は極めて悪し……。

不労所得三百万円?……それで買える力は予想される円安によって今ある力は必ず減少する。
詰まり一番欲しい『経済的安定』は失われる確率は高い……。

未来の社会像?……をどうするのか?という目的設定は、自分と無関係ではいられないのである。

自分の人生の目的設定(形而上、形而下引っくるめて)せず、『カネ一億円を唯一の目的』とする事の怪しさと発想の貧しさである。
『年金という制度依存』して目的化し、自分をその積立の手段とする生き方がその人達をどれだけ裏切って見せたか?……この現実から、学びませんか?

前編で公的組織の『目的設定無しの議論』が如何に下らない役立たずの結論しか導けないか?を書いた。コレも空論じゃなく、『現実にあった事実』です。

旭川では今なお懲りずに過去の悲劇の再現に公的組織が必死にひた走っているのです。一人の少女の命を犠牲にしてなお学べない大人達の哀しい姿……足を止めて『真摯な目的設定』を欠いた悲劇から学ばなきゃねって本気で思います。

受験による高学歴、安定した職業(公務員など)、その先に待ってると期待するおカネ、………よくよく考えてみて欲しい。

こんなのってどれも全て手段(道具)なのです。
立派な道具を揃えてソレ『何に(目的)使うのか?』がわからないまんまの人間がどうやって幸福になるのでしょう?

そこんとこ本気で求めないから考えない。
要するに考えることまで『楽したい』からそうなる。自分のホントの幸福を『楽した安易な思考』で横着する。
本気で求め思考しない?……何しろ目的すら設定出来てない人が保有する一億円?

如何にも薄っぺらで安っぽい幸福観ですよね?
カネで買えない『質的贅沢』無くして老後に安定などあり得ないのです。
目的を放棄した人は個性など微塵も感じられない……いつもひどく寂しそうな顔をしている。

自分の幸福って何?……そのたった一つのテーマを、前頭葉をフル稼働させて行う思考は、死ぬまでその人を幸福に在らしめる唯一の方法なのです。
ソレこそが『質的贅沢』って奴なのですよ……。
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