サンチョパンサの憂鬱

ピタゴラスの三角形

再掲載……です。

悪徳の扱い方には注意を要する……。


僕は何時も自分の悪徳に怯えていながら、それでも悪徳を働く。
時に行動で、時に心の中で秘密裏に……。そうやって自覚ある無しに関わらず人間は悪徳を働いている。

どうしても『やっちまう悪徳』だからこそ、その認識、扱い方には注意を要するのだと思う。
自分のおバカ振りを知っていようが知るまいがおバカには違いない。

しかしその自分の無知を知っているならばその『無知の働き方』が違うのである。
これはテレビの養老孟司さんの対談を見ての受け売りだけど……。

科学はそんなに偉いもんじゃないと彼は言った。科学技術と言えば、破壊する技術ばかりであり、そんなに偉いならハエの一匹でも作ってみろと言うのだと彼は言った。

何かを構築する技術は殆ど無いのだと……。

人間はまともな奴からおバカまで皆が牛を破壊し食わなければ生きていけない。皆が牛の命を破壊し奪いながら生きている。

しかし……自分は牛を破壊しながらでないと生きていけない!と知っている人間は、牛の破壊のしかたが、牛を殺しているという自分の蛮行を知らない人より随分と違ってくるのだ!と彼は言った。

そこに『自分の愚かさを認知』している事の価値があるのだと……。
人間の価値は知識の量ではなく……自分が知らないことが沢山あると知っている事にあるのだと……。

同様に……自分の悪徳を認知出来ないととんだ勘違いを堂々とイケシャアと演っちまうのである。

まず何よりも自分に関する情報の第一は自分の『無知の知』であり、自分は恥知らずでともすれば直ぐ悪徳を働く存在だと知る『無恥の知』

この二つなんだろう……。


悪徳は誰もが働く。だからこそ、自分の悪徳の認識具合が人の生き方の明暗を分けていくのだと思う……。
自分の悪徳・罪を知らない人ほど、大上段に構えて、自分は神、仏の如く振る舞い、人を裁いてしまうのである。


自分の罪を知らない人間ほど質(たち)の悪いモノはない。文字通り恥知らずは自分の罪を知らないから……堂々と自分の悪徳に深入りしていくのである……。

散々書いてもういいかな?……と。
ま、自己の悪徳確認の為だから書き過ぎる事なんてない……。

他者の悪徳にまみれる自分も同じ穴のムジナって事だから……近親憎悪って奴かもね?
見え透いた欲得そのものを『……とでも言っときゃ良い』なる茶番劇の波をモロに食らってる僕……は『me too 』って事だから……ね?

ピタゴラスは戦争中に敵が攻めて来ても地面に三角形を書いていた?なるエピソードが残っている。

ソレだけの興味を自分から引き出せるか?……生きて見るならピタゴラスの様に『自分の本気の興味』の対象を見ながらってのが素敵だね……?
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