不幸せを数えたら両手でも足りない。
(ばんばひろふみのSACHIKOの一節)
世界の貧困層人口、おおよそ76億人。
その半数の38億人の総資産と同額を世界の富裕層上位のたった27人が所有している……とスマートニュースにあった。
この歌の片手と両手の比較なんてのとはかけ離れた『富の分配比率』である。
当たり前の話だけど…持たざる者は苦しい。生活も心も。それは容易に察しがつく。現在進行形の自分の実体験もあるしね?
持てる者は?どうなんだろ?と思い、想像して見るにコレもまた恐ろしく辛そうだな?と感じるのである。
自分の富に夥しい数の人間の暮らしや感情だのがぶら下がっている。
ビル・ゲイツはその『膨大な数量』の際限のなさにふと我に帰ったのだと話してた。
『自分を感じられなくなった』のだと……。
そしてアフリカのマラリア撲滅にのめり込んで行った。
自分の生きる意味……形而上の価値観が見つかったという訳である。
自分の富を寄付する額はビル・ゲイツがマイクロソフトと切れるまではずっと世界一だったのは知っているけれど。
世界の最上位27人の人となりは分からない。
しかしビル・ゲイツの様に形而上的閃きを得ない以上……本人の自覚云々は分からないけれど間違いなく不幸だよな?と感じるのである。
数字には終わりがない。即ち∞(無限大)の世界である。
僕はコレが形而下の世界の質(たち)の悪さだと思う。
命という有限が約束された大切な人生の道すがら。無限大の世界に夢中になりマネーホリックに有限の命を使い込む事は最悪の悲劇だよなぁ?……と。
マネーは覚醒剤以上に中毒性が高いから。止まらない。止められない命の空費となる確率は高いのである。
現に、数億人分の資産を掻き集めても尚、夢中な人が27人居るのである。
ウォーレン・バフェット爺さんって94歳にもなってなお、バークシャーグループを率いて投資に熱中している。
ある意味才能豊かなギャンブル依存症者なのかもね?
間違いなく資本主義のルールでは勝者なんだけど?彼自身の人生の中で生きる意味として果たして……どうなんだろ?
そんな事を考えたのは先般書いたパラレル・アメリカというドキュメンタリーを観たからだった。
三億を超える人口が居るのに年寄りバイデン、欲ボケトランプという選択肢しか持てない資本主義の優等生アメリカの現状、その悲劇性である。
『カネという数量のみの価値観・判断基準』こそがアメリカの悲劇の源なんだろうなぁ?
実際にアメリカ人の25%近く、四人に一人の比率で『ダブルヘイター(何方にも投票したくない人)』が誕生しているのだとか……。
カネは必要不可欠なんだけどソロソロ人間の前頭葉の要素、哲学を導入しないと今の資本主義では破綻しか導かないということなんだろうと思う。
因みにホリック(Holic)の語源はアルコール依存症……Alocholicから誕生したのだという。
まさに強すぎるマネーへの依存。
この国だって被害者を気取りながら?実のところカネカネ依存症に冒されてしまってる人が溢れてるから?
政治家の選択肢の質も量も細ってしまった。
人間の脳に前頭葉が仕込まれているのは?
『それを使って生きろ!』という天からのコマンドなのである。
量に飢え続ける小脳的価値観……ソレが食べても食べても満足感を得られない餓鬼道を導いているのである。