サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……切り出された『ある気質』の主張

ある人から教えられた20数項目の設問って奴に答えての結果……僕はHSP(ハイリー センシブル パーソン)……いわゆる繊細さんだと……。

これに熱中する女性に何人も出会った。
男は…不思議と一人も見てない……。
他人軸、自分軸……HSPは他人軸で生きてるから苦しい?……恐らくそうでしょうなぁ?と僕は思った。

しかしね?……ソレで…?……と僕はその『主張に強い違和感』も感じたのだった。
『繊細さ』は『ウリ』にしても『エクスキューズ』にしてもならないのである。

気質には繊細の対極には『無骨・無神経』だってある。

無骨・無神経の気質の人間から言えば、HSPはネチネチして煮え切らない。プロジェクトを協力して前に進めようとする時、何時もブレーキ、障害となる?存在として映ってる『かも知れない』よね?

多かれ少なかれ……世の中は…様々な気質の人の『自分軸』、『他人軸』が入り乱れ少しずつ調整しながら一つの結果へと収斂していきプロジェクトは完成を見る事ができる。

親からの虐待を経験してる何人かの人と関わりを持って分かった事がある……。当たり前の話だけど虐待を受けた人に100%落ち度はない。完全に保護されるべき子供なのだから。

しかし……虐待によって抑圧された気質は成人したからといって『健全なその人の本来の気質』が何の努力なしに復活する事は無い。
世の中は…そんな事に頓着せず容赦なく『標準レベルの社会対応』を迫って来るのである。

HSPは単なる『気質』である。精神疾患じゃない。生き辛いことは知っている。自分自身がそうだから……。

自分の気質……『ソレを理由』にエクスキューズして自分を許せば自分はどんどん地盤沈下して行く他ないのである。

敢えて自分で自分に『ソレが何か?』と無機質に声をかけ、自分の尻を蹴飛ばし社会に出掛けさせる勇気を持たなければならない。
 
『社会の山』から自分を…俯瞰してみれば客観的に自分の今の位置関係を把握出来る。

自分に向き合う……というのは主観の目線と客観の目線の対極の二つの立場を必要としている、そう言いたかった。

人間は強くはない。アドラーさんのいう『それでも未来でしか解決出来ない』というスタンスたけでも苦しい。一方、過去の原因の中に逃げ込んで自分を許し続けていても『埒は開かない』のである。

『ソレがどうした?』……自分を励ます為に……僕は何時も自分にそう声を掛けるのである……。


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