サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……ルッキズムと口にしなければならないのは……

建前とホンネ……と言われるモノ。

狡猾な人間はコレを巧みに混同しながら冷徹に使い分けているものである……。

ポリコレとかルッキズムとか?

ワザワザ言葉にして発し、『意図的に社会的コンセンサス』に導かねばならない感情は、逆説的に言えば……誰の心の中にも存在しているのである。

だから言葉にし、理論にし『ルール化』しなければならないのである。

パッと見てパッと感じる……直情的判断は、脊髄で反応する反射神経、小脳で感じる本能的反応に近い所に分類されるべき性質のモノだろう?

通り一遍の……キレイな建前での『言葉で』幾ら声高に喚き散らしても……効果は上がらないし、実際のところは『直情的判断』が現実を取り仕切ってしまうのである。

長い人生において、一年2年は刹那的、瞬間的といえる短い時間である。この短い時間単位で計るなら、キレイな看板だけ掲げながら……巧妙に狡猾に化粧して『直情型判断』で動く人間が優位を得るだろう……。

ある女性が言うのを聞いたことがある。

イケメンは女の期待値を爆アゲする。それ故に暫しのお付き合いの後になって…『コイツおバカじゃん?』となった時の落胆は『憎悪に近いモノになる』のだと……。

時間長く恒久的、普遍的持続力を有する……『人間の内面の価値』っていうのは『観念的言葉に反応』するだけの短絡的な判断力では見付けられないのである。

ルッキズムによるイジリとかポリコレに抵触する差別問題などが発生した時……何か?何処か?座りの悪い感覚が一瞬心の中を走る。
妙に不快な違和感?である。

その時が『何故?だろう?』とその問題を『大脳へ運び思考する』チャンスなのである。

『分かっちゃいるけど止められない』直情的判断(ルッキズム、ポリコレ分野の弊害)の暴走、暴挙は……『自分の原始的直情判断』を大脳で認知認識すること以外にブレーキをかける術はないのである…。

そして『なぜ自分は?』と思考し、ソレが如何に野卑なレベルなのかを考察する時……瞬間的ルッキズムなんかに惑わされない、『自分の力ある判断力』へと昇華を果たすのだと思う……。
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